2025年05月25日(日) |
レモンとねずみ / 石垣 りん |
赤い紙の思い出
私たちは恐れました 一枚の赤紙が 家にくばられることを
恐れはやがて現実となって たくさんの家庭をおとずれ 赤い紙は連れ去りました 男を 女は歌をうたって 勇ましく送り 多くの男は ふたたび帰りませんでした
赤い紙のこなくなった玄関で 子供たちが遊んでおります
年とった女たちは ふと、不安にかられます ほんとうに もうあの紙は来ないだろうか?
もしかして 今日舞い込んだ白い紙が あの赤い紙の親類ではないのかと
高等小学校を卒業したのち、御両親は、 実践女学校への進学を勧めましたが、 それを蹴って、興業銀行への就職を決めました。 働いたお金で自由に本を買い、詩の投稿もしたいという願いからでした。 昭和九年、十四才ぐらいで、自分の進路を自分で 決めたという、意思の力に、今更ながら驚きます。 しかも短歌や俳句ではなく、まっすぐに詩だったということにも。 戦争を挟み、空襲で家は丸焼け、いつのまにか 一家で一番の働き手になってゆきましたが そのせいもあったでしょうか、一生独身を貫きました。 いろんな理由があったにしろ、そこにも あなたの強い意志を感じます。 いさぎよいです。
2005年2月7日 茨木のり子 弔辞 より
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