2002年09月06日(金)
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『北の国から』ってきらい。
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いよいよ『北の国から』の最終章が明日に迫った。らしい。 宣伝費をよほどふんだんに使いまくったのだろう。関心の無い私にまで届いている。
一作も見たこと無いんですけどぉ。 関心ないって言うより正直、忌むべきものとして忌避しているといった方が正確。 見たら多分それなりに面白くて、泣きのシーンではあっさり泣いちゃいそうだから、 絶対見ないようにしてる。 悔しいもん。
なんつーか、あの図太い感受性が嫌いだ。田舎くさいんだよ。
富良野の綺麗な自然の中で、盛大に時間と金を掛けて綺麗な映像を作り、 さだまさしの透明で陰りの無い、"る〜る〜、るるるるる〜"を重ね、そこで描くのは、人間の心。 親子の情とか人間関係の行き違いとか、優しさとか郷愁とか。
綺麗に綺麗重ねて、遊びとかゲンジツの可笑しさとか、そういう息継ぎ無しに、 あくまで生真面目に突っ走る。 その迫力と衒いの無さに恥ずかしくなってしまう。 あと過剰な精神性も嫌い。
例えば、SMAP*SMAPで田中邦衛と吉岡秀隆が、ビストロの勝者の剛くんにに渡していた、泥のついた万札。 その時言っていた言葉と、新聞に書いてあった今までのあらすじを読むと、 どーやらその万札は、純が家を離れる時に、五郎が渡したもののようだ。
それには、肉体労働に日々汗を流す五郎が触ったためについたと思われる泥の汚れがついていた。 純はそれを大切にお守りとして取っておいた。(その後はしらん。書いてなかったので。)
で、その話を聞いた時に思い出したのが、久本雅美が家を出たときの話。 半分家出みたいに東京に出てくる時、まだ学生だった妹がね、 「お姉ちゃん。これ。」って封筒をくれたんよ。
車の中で開けてみたら、5000円入ってん。 今ならともかく、学生だった妹にしたら、5000円ってすっごく大きいやん。 ケンカばっかしてたんにな・・・って、泣けて泣けて・・・・。
その5000円はすぐ生活費に消えたけどな。
これだよ! 現実の情けなさ、可笑しさ、たくましさ。 真面目に必死に生きてる時に、企まざるして沸いてくる滑稽さ。 それが、『北の国から』には、無い。
件のシーンの万札のように、モノに思い入れて、そのものでなく、象徴として神聖視するところ、 そもそも舞台に富良野という世俗から離れた場所を選び、 自分の精神の純粋さを貫いて生きる男を主人公にするといった、 PURE信仰、精神性に大きく向いたベクトルは、どこか、体育会部活動を連想させる。
・千本ノックとか。 ・負けた試合の後は、グラウンドの神様ごめんなさいと、グラウンドに土下座するとか。 ・練習中に水を飲むと勝てないとか。
あほくさい。 『北の国から』のCF見るたび、そう思う。そんなに精神性が大切か?
家帰って、屁ぇこいて、寝てろ!
alain
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