かたほうだけのパンプス
敦子



 昨日は誕生日だった(8月11日のこと)

がーん。誕生日になってしまった。うれしくない、うれしくない。歳が増えるんだ。あー、若いままでいたいなー。

昨日はこっそりひとり映画に行った。
お盆休み入りとあって混んでいた。ただしガキ映画が。そういえば以前子供が小さいときは子供向け映画に連れて行ったが、きつかったなぁー。私は、基本的にお子ちゃま映画嫌いなのだ。だからあられちゃんとかドラゴンボールとかワケわかんなかった。でもこれも親の仕事だと思いがんばった!
で、何を見たかというと「アメリカン・グラフィティ」昔の映画サイコー!あれは、1970年代にフランシス・コッポラとジョージ・ルーカスらが作ったんだけど、1962年設定で作った青春映画。
昔は、カーレース。ジェームス・ディーンの理由なき反抗もそうだったけど、多かったんだね。その昔は、天井桟敷の人々のなかでほんの少しのことでプライド傷つけられた等のことで決闘していた。すぐ死をかけたり、勝負しちゃうんだね。
アメリカン・グラフィティのなかで主人公は、生まれ故郷を離れ勉学のために東部(映画ではアメリカ西部の片田舎設定)の大学に行くということをためらう。
それは、四人の主人公にも同じようにそれぞれの青春ならではの戸惑いやラブだったり錯綜する。現在と違うのは、一晩中若者はラジオをつけ、ラジオはみな聞き、ラジオが彼らの青春の舞台にある。現在でいえばフェィスブックってとこかなぁ。

私の青春時代は、もともと身体が丈夫じゃなかったから(中学生時に腎臓が悪くて入退院を繰り返す)やりたいことは半分しかできなかった。やりたいことがゼロじゃなかったぶんよかったかもしれない。でも制限付きのかたくな青春だったと思う。まぁ誰でも大なり小なり青春とはそういうものなのかもしれない。

一番よかったことは、「絵」をよく見たこと!
とにかく実物の絵を見た。ダリ、ピカソにクリムトに杉山寧に・・・。それは私の宝かもしれない。よく宝ものってモノだけど、私の場合は、貴重だと思えるその「とき」だったり「空間」だったりしっちゃうんだなぁ〜これが。

辛い時、イマジネーションを膨らませたいときもそのときに見た絵が私を支えてくれているのだ。絵は言わない。言えないのだ。絵は動かないし、何も変化はないんだけど、一つの画面にそのときの世界を凝縮しているので映画一本よりも深く重たく心に響くことがあるんだよな〜。


2012年08月13日(月)
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