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■ リハビリに必要なものは
私は、倒れてから6年が過ぎていきました。 最近では、足が以前とはチガウ感覚で、気持ち悪かったり、そうは言ってもそのたびに目覚めていくようなかんじです。
最近発見したのは(おそいよ〜)、身体と心の関係で身体は・・・ 心が身体を愛するということ。 けっして身体が心を愛するのではないと思います。それは、投薬とかで無理に身体を起こそうとするとカンフル剤としては起こせますが、きちんと気が入って起きて維持し続けることは無理。
リハビリの起点は本人の治りたい意志による一歩からですから〜。 だから、中途障害者の社会参加の場が必要だと思うのです。 人がいるから会いに行きたい、そういう思いが歩かせるわけです。
でも医療従事者や医療機関や福祉、行政に必要!だと言いに行っても聞いてくれない。 このあいだカチン!ときたのは、 「そういうのがないのはニーズがないからよ」と普通の人との会話ででたこと。
本当は潜在的なニーズはものすごいあるのですが、うちら脳卒中は、なにせ頭がやられちまった病なので、意欲がなかったり、他者に理解を得られるようにアピール、プレゼンテ―ションなんてできない。 なかには、口が利けなくなった失語症になちゃった人もいる。 *ニ―ズを言いに行っても受け付けてくれない。 *ニーズにこたえられるものがないから *ニーズを記録してニ―ズに対応する努力してない(もんなー!) *ニーズがカウントされていないから・・・ないことになっている よって世の中では中途障害者の(主に脳卒中の機能回復の軽スポーツや交流の場)はニーズがない!ということになっているのだ。クソっ、ふざけんな!脳ってほっておいて勝手に治ってリハビリがどんどん進んで回復できると思うなよ!
私は、冒頭に書いたとおりガンガン回復してきていますよ。でもそれはたまたまであって私もタッチの差で重度の高次機能障害になっている可能性あった。タッチの差で死んでいた。タッチの差で生涯車イス生活になっていたかもしれない。だから他人の障害が他人事と片付けられないだけなのだよ・・・。 こういうふうに思うのって間違ってるかなー? 気付いた人が、それに対して能動的にはたらきかけしたらダメですかね―?
多少歩けてパソコンもこの程度なら活用できる私がなんとか小さく動き始めた。とにかく、以前作って現在中断している「いきいきフレシュ」サイトはこちら でも、私が動こうとしても限界・・・みんなの連絡取り等、送迎(ほとんどの人が自分で車運転できない、自宅近くに無料バス停がない・・・バスの本数が少ないので利用しづらい等々 とにかく私のキャパシティ超えてんどー!
どうして「必要」を言ってもその分野でお給料もらってる人がやらないで、病気で障害持って体力のないあたしが動かなくちゃならないのか? それって医療や福祉、行政の怠慢じゃないですかー。 私が必要!必要!と言っているのは、このまま中年層の中途障害者がおうちでくすぶっていると要介護予備軍を増やしつづけているにすぎないからです。
60歳以上の男性は、幼稚なことをさせている高齢者向けディサービスに行きたがっていない。 抵抗があるという人が多い。あんなのに行くくらいなら早く死んだ方がましだ!くらいなことを言っている人がいる(健常者の60代の男性たちのはなし)。
高齢者問題の問題点は「介護」となってるけども、厳密に言うと「独居老人」がネックらしい。独居老人すべてを在宅見守り介護するためには多くのスタッフ確保と、非常ブザーのようなものや遠隔テレビのようなもので見守リ道具の設置が必要となってくるのだそうです。
だから、身体のリハビリには心が動くようなことがまずは必要なんじゃ! というか、まとめになっていない・・・
2012年09月14日(金)
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