かたほうだけのパンプス
敦子



 障害者差別禁止法

昨日のラジオは「障害者差別禁止法案」がテーマだった。
私は、今回のアメリカ旅行で、放送内でも語られていたアメリカのADA法の資料を見せてもらった。
このブログでいくつか紹介しているが、アメリカでは車イス生活OK!なのだ。
私は、現在車イス使用ではないが、杖使用なので車椅子に準ずる状態だ。
むこうは、いいよー!コンビニのカウンターも車イス用に低い、コンビニのトイレももちろん車イスがすいすい入れる広くスペースとってある!

ラジオで気になったのは、やっぱり日本人の低さだった。
実は私自身も障害者を低く見ている。
それは、自分の要求を堂々と言えず、申し訳ないというお願いスタイルなのだ。
この間ある人から、こう言われた
「あなたは、絵や文を書くので夢を売る仕事だから、障害者ということを前面にだすな!」と
それは嘘をつけと言う意味ではなくて、価値を下げるということになるらしい。
でも、障害者って低いの?と思ってしまう。
ここで考えるよね。
私としては、障害者も健常者も同じ人間だから、どっちが上とかしたとか、価値が高いか、低いはないと思う。
でも、こういうことなのだ。
例えば、おいしい食べ物をプロが「おいしい」と言えばおいしいとみなが納得する。
でも味オンチの人が「おいしい」と言ってもそれがおいしいとはみなは納得しがたい・・・。ということと同じような受けとめ方になるというのである。

私の作品、フェィスブックとメールマガジンでショートストーリーやイラストが閲覧できます。作品にわざわざ作者が障害者という情報は不要だときっぱり言われた。
確かに私のショートストーリーは、都会で働く若い女性の戸惑いや、都会の主婦の戸惑いが多い・・・20〜30代東京在住だったから。
新宿副都心のスターバックスコ―ヒ―でコーヒーを飲みながら悩む女性のストーリーに関係のない情報は付加しない方がいいというのだ。

で、私は、今現在車の運転が出来ない。
もう「てんかん」の薬を飲んでいないから運転してもいい!と医師に言われたが、とてもじゃないが運転するほどの集中力はない。
今、うちでの生活は絵を書いたり、パソコンしたり、猫みたいに床にゴロゴロしたり・・・それが精いっぱいなのだ。
運転なんて想像の外なのだ。無理だ!東京まで二時間くらい集中力が途切れずに運転するなんて・・・というよりもひとりで車に乗れる?車によってはドアが閉められないときもある。

要するに出来る範囲内での生活なのにそれを他者に遠慮して生きる生き方しかできない社会とはなんぞや?ということなんですよ。

これは、介護してるときも、育児のときも、女性という「性」。私はいつもぶちあたる壁を見てしまうのだ!

「障害があるので出来ないことが多いので申し訳ありません、お手伝いください!」とわざわざ、頭を下げてやってもらう。他人に障害者ですみません。というような考えになる日本社会がおかしい!というのだ。

でも、よく「うるせーな!障害者のクセに」ってよく言いますよね。
そう思われているんだから深々と頭を下げてお願いしなくては〜と思ってしまうのだ。
でもこういうふうに考えることが本来ナンセンスなのだ。

日本中に点在して暮らしている私と同じような悩みを持つ諸君は、辛いけど、厳しいけれども、実は高尚な悩みなのだ。

私は、病気で障害が出ちゃったけども考えるレベルが高くなったようで、そう意味ではよかったと思う。
厚顔無恥な・・・というよりも身体に悩むけれどもその悩みの行きつくところが「豊かな」ことだという時点に立たされているんだ!と思うと。

ラジオの内容は、アメリカのADA法のように日本もやって行くべきだという意でした。


2012年09月20日(木)
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