ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月31日(土) 思う存分に

雲一つない青空。夏日となったが爽やかな風が吹き抜けていた。

洗濯物を干すのが嬉しくてならない。主婦冥利に尽きる。


函館の五稜郭公園では藤の花が見頃とのこと。

田植えも始まっているそうで如何にも初夏らしい。

厳しい寒さを乗り越えてこその歓喜の季節であろう。


最低限の家事だけで寝てばかりの一日だった。

玄関先の花が枯れてしまったので夏苗を買い求めようと

思うだけで行動に移せない。困ったものである。

娘が多肉植物を育てていてほっこりと心が和むばかりであった。



朝のうちはカーブスへ。今日は駐車場に空きがあり助かる。

「あったかパーキング」の許可のおかげであった。

一台のみのスペースなので車椅子の人には申し訳ないが

早い者勝ちだと思ういささか非常識な私であった。


筋トレを始めるなり心拍数が異常に高くなる。

コーチやお仲間さんに心配を掛けたが何とかノルマを達成した。

体力が無いのが一番だが太り過ぎも原因かもしれない。

とにかく身体が重くてどうしようもないのだった。


お昼には田舎寿司とたこ焼きを食べる。異常な程の食欲であった。

そうして直ぐに寝てしまうので肥満にならざる得ない。

喫煙はもちろんだがとにかく「我慢」することが出来ないのだ。

随分と落ちぶれたものだと思うがそれを許す自分がいた。


結局4時まで寝てしまい半日を無駄に過ごす。

残り少ない人生なのにとその無駄を責めようともしない。

読みかけの詩集や歌集が山ほどあるのだがいったいいつ読むのだろう。


そのくせ活字中毒なのか自分の過去の日記を読むことが多い。

今日は4時から5時まで昨年の初冬の日記を読み返していた。

つい半年余り前の日記なのに随分と昔のように思う。

それだけ記憶があいまいになり忘れていることが多いのだろう。

「人生の記録」と云うほど大層なものではない。

ただ過ぎ去った日々が愛しく思う。書き残して良かったと思うのだ。


あやちゃんからの願いを受け止めSNSのリンクを外してしまえば

もう個人を特定出来なくなり良い意味で自由になった。

思う存分に書きたいことが書けるようになったのだと思う。

恥も外聞もない。ありのままの暮らしを公にしている。

僅か20人足らずの読者であるが何と有難いことだろう。

毎日欠かさず投票をしてくれる人もいて今月もランクイン出来た。

それが励みでなくて何だろう。読者あってこそのこの日記である。

最後の日まで書き続けたいと一心に願わすにいられなかった。


間抜けで愚かな私であるがこんなにも生きている。

それを誇りに思えるように日々精進したいものである。


※以下今朝の詩


          夜明け

      川向の山が姿を現す
      風はひんやりと吹く

      波立っているだろう
      川面はざわめいていて
      魚達が躍っているだろう

      雀だろうかその囀りは
      まるで歌のようである
      ちちちちと合唱が始まる

      終の棲家の窓辺に居て
      幾度目の朝だろうか
      白み始めた空には
      希望が垣間見える

      私は詩のようなものを
      書いているのだが
      雀のようには歌えない
      けれども書かずにいられない

      五月が尽く日であるが
      真っ新な夜明けであった







2025年05月30日(金) 主なくとも花は咲く

ぽつぽつと小雨降る一日。気温は20℃に満たず肌寒さを感じた。

北海道札幌では27℃とすっかりもう初夏である。

高知も明日は良く晴れて初夏らしい気温になりそうだ。


職場の直ぐ前に誰も住んでいない大きな家があるのだが

管理を頼まれている人が居て時々草引き等をしている。

春には桜の木を伐採した家で庭にはもう樹木は一本もない。


今日はっとしたのはその家のブロック塀沿いに沢山のどくだみの花。

辺りの草は綺麗に引かれているのだがどくだみだけ残してあった。

十薬とも呼ばれれっきとした薬草である。

その可憐な純白の花はまるで十字架のようだ。

管理をしている人がそれを承知で残してくれたのだろう。

花を思い遣る優しい心の持ち主に違いない。

主なくとも花は咲く。ほんのりと心温まる風景であった。




今朝は雨にも関わらず義父の姿が見えなかった。

ポストの朝刊もそのままで気にはなっていたのだが

居室の上り口にはいつも履いている作業靴が揃えてあった。

日頃の疲れが出てゆっくりと寝ているのだろうと思う。

しかし午後1時を過ぎても一向に姿を見せないのだった。

もしや倒れているのでは。その上に最悪の事態まで頭を過る。

とにかくと電話をしてみたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。

「これはいけない」と思い居室に向かって大声で義父を呼んだ。

そうしたらか細い声が聴こえ発熱で寝込んでいるらしい。

今思えば様子を見に行くべきだった。もう後の祭りになってしまったが

一瞬コロナかもしれないと思ったのだ。接触してはいけないと。

薄情な娘である。病院へ連れて行ってやれば良かったのにと思う。


後ろ髪を引かれるように帰路に就く。義父が心配でならなかった。

けれどもそこで例の女性の顔が目に浮かんでいた。

きっと駆け付けて来てくれるだろうと思ったのだ。

そう思えばもう私の出る幕は無いに等しい。

複雑な気持であったがここは成り行きに任せるしかない。


強靭な肉体と精神力のある義父であったが歳には勝てないのだと思う。

先日からの疲れも尾を引き免疫力も下がっているのだろう。

一昨年コロナに罹った時も高熱が続いたことを思い出していた。


平穏無事とは行かなかった一日であったが

月末の仕事は何とか乗り越えられた。

来週にはもう6月である。またゼロからの出発が待っている。

それにしてもいったい何に背中を押されているのだろう。

あっという間の一週間。駆け抜けたようなひと月であった。


※以下今朝の詩(マンネリ化しており申し訳ありません)


           声

     眠らない鳥が頻りに鳴いている
     羽根は雨にしっとりと濡れ
     暗闇に映す姿も心許ない

     空が天である限りつらぬく
     生きるための叫びであった

     きっと誰かに届くだろう
     耳を澄ます誰かのために
     歌にはならない声を放つ

     貶められてはならない
     蔑まれてはならない

     生きた証であるならば
     声は息にも等しいのだ

     薄っすらと夜が明けて来た
     濡れた羽根に風が寄り添う

     果てしない空である
     何処までも飛べるだろう

     声は掛け替えのない命である



2025年05月29日(木) 枇杷の種

雨のち曇り。朝のうちは地面を叩きつけるような大雨だった。

そんな雨も次第に弱まり今は静かな夕暮れ時である。

不如帰が夜を待ち兼ねるように頻りに鳴くばかり。

予報では明日も雨とのこと。おそらく走り梅雨なのだろう。


枇杷の実が随分と色づきそろそろ食べ頃のようだ。

サニーマートの店頭で売っているのは高級な果実である。

わざわざ買って食べる人がいるのだろうかと思う。

やはり枇杷は木から千切って無造作に食べるのが好ましい。

子供の頃にはそれが当たり前だったが今の子供は見向きもしなくなった。

そもそも庭や畑の隅に枇杷を植えている家が少なくなったのだろう。

枇杷の実は甘くて美味しいが私は種が苦手である。

種の無い枇杷があればと無理なことを願わずにいられない。




仕事は今日も車検が一台のみ。雨のせいか他の来客は無かった。

車検をなるべく早く済ませ例のエンジン交換に取り掛からねばならない。

正規の工賃では9時間の仕事であったが同僚の場合は2日掛かりそうだ。

今週中に終わらせなければまた来週から車検の予約が入っている。

義父は執刀医にも関わらず一切手を貸そうとしないのだった。

もしかしたら同僚の腕を試しているのかもしれない。


実質的には明日が月末となるので資金繰りの段取りがあったが

今月はぎりぎり何とかなりそうである。

最終的にはゼロになってもまた一から始めれば良い。

仕事さえあれば挽回は出来る。それが希望でなくて何だろう。

お金の苦労にもすっかり慣れてしまってもはや貧乏のプロである。


毎週木曜日はリハビリのある日で少し早めに退社した。

雨の日はキャンセルが多いのでもしやと期待していたのだが

結局は予約時間通りとなり30分待たねばならなかった。

待合室でスマホを操作している人の何と多いことだろう。

最近では高齢者のスマホも珍しくはない。

私はガラケーなのでポケットから取り出すことも出来なかった。

私もみっともないが高齢者のスマホもみっともないと思っている。

負け惜しみだろうかとも思うが私はガラケーで十分であった。


4時過ぎに帰宅。「夏井いつきの365日季語手帳」が届いていた。

俳句は若い頃に少し齧ったことがあったが今は初心者である。

70の手習いではないが最近少しずつ詠み始めている。

きっかけはSNSだが季語に興味を持ったのだった。

俳句を発信している人が多くはっと心を動かされることが多い。

特に「お花の父」さんの俳句は誰よりも素晴らしいと思う。

知らなかった季語にどれほど心を惹かれていることだろう。


詩に短歌それに俳句と欲張りな私であり

どれも未熟で他人様の目を汚すばかりであったが

残り少ない人生である。好きなことを貫いてみたいのだった。

種の無い枇杷が無いからこそ私は種を残したいと思う。


※以下今朝の詩


       走り梅雨

     雨が近づいている
     急がずにゆっくりと
     忍び足のようである

     ざわざわと騒ぐ空
     雨雲は躊躇っている
     風は踊り子のようだ

     皆が一斉に集まれば
     仲間外れもあるだろう
     独りぼっちはさびしい
     真っ先に泣いてしまいそう

     涙であってはならない

     雨として貫こうとする
     落ちるのではない
     潤すためであった

     もう少しあと少しである



2025年05月28日(水) ひっそりと咲く

晴れたり曇ったり。午後は気温が高くなり蒸し暑さを感じた。

明日は雨らしく夕陽も雲に隠れている。

梅雨入りは6月の初旬とのことまた雨の日が続くことだろう。


山里は見渡す限りの緑であった。植えられた稲はぐんぐん伸びている。

風が吹くと一斉になびくのだがまるで緑の波のようだった。

義父にとっては我が子のようなもので愛しくてならない様子である。

無農薬とは行かず病気から守るために農薬を散布せねばならないが

年々価格が上がっており頭を悩ませている。

政府は消費者のことばかりで生産者に救いの手は届かない。

たとえ赤字であっても米は作らなければならないのだ。

日本中の米農家が生産を止めてしまったら大変なことになるだろう。

少しでも高値で買い取って貰わなければ報われないのだ。




仕事はまずまず順調。昨日の車検整備も朝のうちに仕上がる。

検査を済ませ書類を整えてから義父は農作業に出掛けた。

アマゾンに注文していた高麗人参も届き上機嫌の義父であった。


午後は工場の仕事が途切れ同僚も私も手持ち無沙汰となる。

例の大型車のエンジンが届いたが義父の指示が必要であった。

人間だと心臓移植の大手術である。執刀医無くしてどうして出来よう。

義父の帰りを待っていたが2時になっても帰って来なかった。

私も何だか嫌になってしまい早目に退社する。

同僚も掛かりつけの内科へ薬を貰いに行くことになった。


3時過ぎに義父から電話があり「誰もおらんぞ」と機嫌が悪い。

同僚が病院へ行ったことは話したが大型車の事が気になったのだろう。

先ずはエンジンを脱着しなければならないが全く手を付けていなかった。

「いったい何をしよったがぞ」と同僚を責める口ぶりである。

義父の指示待ちをしていただけに同僚が憐れでならなかった。

また明日が思いやられるが義父次第だと思うことにする。


平穏はそう長くは続かない。谷川沿いを歩いていても直ぐに大きな山がある。

その山を登り切らなければ何も達成出来ないのだった。

皆で力を合わせ励まし合うこともままならず限界は常に身近にある。

かと云って誰一人倒れてはならず過酷な道のりであった。


私は谷川沿いにひっそりと咲く花を見つける。

その場から離れずずっと見ていたいような可憐な花だった。

名も知らぬ花であったが何と優しい姿だったことだろう。


※以下今朝の詩


          味

      苦労はしたくない
      けれども
      苦労した人ほど味が出る

      塩辛いのか苦いのか
      酸っぱいのか甘いのか
      こくがあり美味いのか

      私の苦労など些細なこと
      もしかしたら
      苦労とは呼べないかも知れない

      深く傷ついた少女の頃
      私ほど可哀想な人はいない
      そう思えば惨めでならなかった

      けれども
      季節は何事もなかったように
      冬の記憶を消し去ろうとする

      いったいどんな味なのだろう
      千切るのか砕くのか
      何の手立ても在りはしないが

      私の味はいっそうと濃くなる








2025年05月27日(火) 社長、高麗人参はお安くなりません

朝のうちは曇っていたが次第に青空となり気温も高くなる。

夏日の割に暑さを感じず爽やかな風が吹き抜けていた。


毎朝四万十大橋を渡る前に土手の道を通るのだが

茅(チガヤ」の白い穂が寄り添うように風に揺れている。

何と表現すれば良いのだろう「チロチロ」と声が聴こえるようだった。

川面には朝陽が射し始める。まるで絵のような風景である。


子供時代は山間部で育ったが列車が通る山村であった。

線路脇にそれは沢山の茅が群生していた。

私達はそれを「ガム」と呼んでいたのだった。

白い穂を千切り口に含みガムのように噛むのである。

大人たちに咎められたこともなくそれが「遊び」の一環だったのだろう。

どんな味がしたのか憶えてはいないが決して不味いものではなかった。

もちろんお腹を壊すこともなかったので当然初夏の楽しみとなる。

お菓子などまともに食べられなかった時代のことであった。




義父が高知市へ出張し同僚とのらりくらりと仕事をする。

車検の予約が入っていたがいつまで待っても来店がない。

難聴のお客さんなのでショートメールをしてみたが返事もなかった。

思うように行かないもので結局半日を無駄にしてしまう。

お昼休みにやっと来てくれたがメールは見てなかったようだ。

会話は一方的で「急がないから」と言い残し代車に乗って帰って行く。

しかし急がなければならない。以前に代車で自損事故を起こしていた。

義父次第だが明日は完了するだろう。どうか順調にと願うばかりである。


午後は来客も無かったので同僚に留守番を頼み2時半に退社した。

義父の帰りはおそらく夜になるだろう。

長距離運転の疲れが出るだろうと気掛かりでならない。

今朝は出掛けに「高麗人参」を飲んでみたいと云うので早速注文した。

アマゾンの定期購入で一割引きであったがそれでもけっこう高い。

けれども義父がそれで元気になって来れれば安い物である。

アマゾンの便利なのは「お急ぎ便」があることで明日にはもう届くようだ。


4時前に帰宅。相撲ロスの夫の何と憐れなことだろう。

退屈極まりない様子でぼんやりとテレビを見ていた。

4時からは私も一緒に「三匹が斬る」を見る。

坂上忍が出ていてまだ少年のような顔に驚くばかりであった。

みんなみんな年を取るのだなと思う。そればかりはどうしようも出来ない。


私にもやっと仕事のゴールが見え始めて老いの覚悟も整った。

よぼよぼのお婆さんになってもパソコンに向かっていることだろう。

「ある日突然」は決してあってはならないのだと思う。

とことん人生を全うしてからあの世に旅立ちたいものである。


※以下今朝の詩


         直ちゃん


    「あったかパーキング」に駐車して
     杖を付きながら20メートルあるく

     直ちゃんを見つけて手を挙げたが
     私が誰か分からなかったようだ

     10年ぶりの再会であった
     歳月の何と悪戯なことだろう

     直ちゃんは白髪の紳士であったが
     私はさながら老婆のていである

     「よっこらしょ」と椅子に腰掛け
     二人でブラックコーヒを飲んだ

     懐かしい思い出話より近況ばかり
    「俺、癌になっちまってさ」
     直ちゃんの東京言葉は変わらない

     6月になれば手術をするのだそうだ
     深刻になってはいけないと思う
     かと云ってどうして笑い飛ばせようか

     潮騒に満ち溢れた海辺の町であった
     もう少年と少女には戻れないだろう

    「またきっと会おうな」
     直ちゃんの笑顔が切なくてならない

     最後かもしれないと思う
     降り始めた雨はほんの少し暖かい



2025年05月26日(月) 奥様は68歳

曇り日。朝の肌寒さをそのままに日中も低目の気温であった。

先日来の夏日、真夏日に比べると随分と過ごし易い。

明日からはまた夏日になるとのこと。体調を崩してしまいそうだ。


今朝の山道では猿に遭遇する。その直ぐ後には狸である。

以前には猪の親子を見かけたこともありいかにも田舎らしい。

猿は悪さをし民家に吊るしてある玉葱を齧るのだそうだ。

次から次へと齧るそうで民家の住民も頭を悩ませている。

山里ならではのことで野生動物と共存しながらの暮らしであった。


紫陽花が少しずつ色づき始めた。今朝は水色の紫陽花を見つける。

峠道へ差し掛かる前の集落でのこと道路際に沢山植えられており

ちょっとした「紫陽花街道」であり色づけばそれは見事である。

また朝の楽しみが増えた。今日よりも明日と咲き始めることだろう。





義父は元気そうに見えるが先日から頻りに「しんどい」と云う。

一気に5キロも体重が落ちたそうでそのせいかもしれないが

とにかく退院後も休みなく農作業に精を出し過ぎたのだろう。

今はやっと一段落しており少しずつ休養を取っているが

よほど疲れが溜まっていたのだろう。思うように楽にはならないようだ。


今日は富士薬品のM君が来てくれたので義父の相談をしたら

疲れに良く効くサプリメントがあるのだそうだ。

高麗人参とすっぽん、黒酢と黒にんにくが配合されているらしい。

高価なサプリであったが義父の為にと購入することにした。

義父は出掛けていたがきっと喜ぶだろうと信じて止まない。


しかし義父は喜ばなかった。子供のように「すっぽんは嫌だ」と云い張る。

確かにすっぽんのエキスが入っているが味がする訳でもなかった。

「亀だぞ、あの亀だぞ」と大声を上げて喚き散らすのである。

誰も亀を食せとは云っていないのに義父には亀の姿しか目に浮かばないのだ。

これには私も参ってしまい無理強いは出来なかった。

代金も支払っており今更返品も出来ず親身になってくれたM君にも申し訳ない。

仕方なく60日分を私が飲むことになった。

ゼリー状のサプリで蜂蜜も入っているのでけっこう美味しい。

これならば続けられるだろう。今以上に元気になるに違いない。

それにしても義父の強情さはまるで笑い話のようであった。

しかし何の手立てもせずに放りっぱなしには出来ない。

疲労回復に効く他のサプリを探してみようと思っている。

ちなみにM君は私と義父が夫婦だとずっと思い込んでいたようだ。

それだけ義父が若々しく私が老けて見えるのだろう。

M君に限らず初対面の人は私を「奥さん」と呼ぶことが多い。


母は18歳で私を産んだがその頃の義父は13歳だったことになる。

だから私と義父は13歳の年の差であった。

夫婦だとしても決して不思議ではないだろう。

けれども私は夫がもう直ぐ82歳なのはどうしても我慢出来ない。

想像も出来ず何よりも現実の夫に申し訳なくてならないのだった。

生さぬ仲の間柄であっても義父にはずっと「お父さん」でいて欲しい。


もし義父が亡くなれば喪主は私が務めようともう決めている。


※以下今朝の詩


         季節

     春の名残だろうか
     ひんやりとした朝

     夏は途惑いながら
     身を細めるしかない

     何処からだろうと思う
     線引きの出来ない季節
     空が真っ二つになれば
     どちらを選べばいいのか

     せめぎ合えばくるしい
     命までも心細くなる

     散り尽くした花は緑に
     咲き始めた花は紫色に
     風は分け隔てなく吹く

     千切ることなど
     どうして出来ようか






2025年05月25日(日) 感動しかない

雨上がりの晴天だったが強風が吹き荒れ肌寒い一日となる。

蒸し暑さが無かったので運動会には最適だったようだ。

生憎昨日の大雨で校庭がぬかるんでおり一時間遅れで開催される。

予定した競技も3競技程省かれたが十分に楽しめた。

何よりも子供たちの元気な姿に感動を覚える。


全校生徒80人足らずの小さな小学校であった。

マンモス校だと孫の姿も見つけられないことが多いが

めいちゃんは直ぐに見つかり終始目が離せない。

普段はめったに履かない紅い靴下がよく目立っていた。


競技は百メートル走から始まり何とめいちゃんは一番であった。

男の子も一緒に走っていたのに凄い頑張りようである。

嬉しくてならず千切れんばかりに拍手をした。


ふと自分が子供の頃を思い出す。かけっこはいつも一番だった。

今では考えられないことだが郡の陸上大会で優勝したこともある。

その貴重なDNAが遺伝しているのかもしれないと思った。

足が不自由になり歩くこともままならなくなった今だからこそである。

こんな私にも駆け抜けた子供の頃があったのだと懐かしくてならない。


毎年恒例の「一輪車パレード」「よさこいソーラン踊り」もあり

昨年よりもいっそうと成長した姿も感動的であった。

もうそれも来年で最後になるのかと思うと感慨深い。

ずっとずっと小学生で居てくれたらなと思う程だった。


隣の応援席にあやちゃんの同級生が二人来ていて

すっかりイケメンの中学生になっているのに驚く。

弟や妹の応援に来ていたのだろう。何とも懐かしい顔であった。

あやちゃんは今日もお留守番を申し出て「行ってらっしゃい」と

皆を送り出してくれたのだった。「一緒に行かんかね」と告げれば

「なんか今日は体調が悪いけん」と笑い飛ばしていた。

本当は行きたかったのかもしれないと老婆心は思う。

けれども娘に云わせればそれは余計なことなのだそうだ。

触れてはいけないことが多過ぎてまた疼き始める老婆心であった。

「余計なこと」と云われるのが一番辛く「どうして、どうして」と思う。

思い遣るこころはそうして行き場を失ってしまうのだった。



この日記を書き始めた時には茜色の夕焼け空だったが

一時間もすればもう真っ暗闇である。

明日の朝は気温が下がり少し肌寒くなるのだそうだ。

春の名残はそうして夏とせめぎ合っているのだろう。


私はいったい何とせめぎ合っているのかと思う。

もしかしたら私の中にもう一人の「わたし」がいるのかもしれない。


※以下今朝の詩


         野辺


     野辺の片隅である
     降り続いていた雨がやみ
     爽やかな風が心地よい

     項垂れてはいられず
     真っ直ぐに空を仰ぐ
     濡れた体に相応しい
     優しい風であった

     「雑草」と云う名の草はなく
     草であることを誇りにおもう

     たったひとりのひとでいい
     私の名を呼んでくれまいか

     ずいぶんと生き永らえてきた
     野辺に咲けばいのちがにおう

     どこまでも続く空である
     わたし以外の誰が
     わたしになれようか




2025年05月24日(土) ささやかな一日

雨、風ともに強く嵐のような一日だった。

夕方になりやっと雨が止みほっと空を仰いでいる。

大雨のため列車が運休となったりダムの放流もあったようだ。

これから本格的な梅雨を迎えるが災害等に繋がらないことを願う。


お天気は次第に回復とのこと。明日は運動会が出来そうである。

めいちゃんの成長した姿を見るのが楽しみでならない。



朝のうちにカーブスへ向かったが駐車場が満車状態だった。

近隣の施設に停めることも考えたが傘と杖ではとても歩けそうにない。

しばらく待機していてやっと「あったかパーキング」に停めることが出来た。

許可を取っていて良かったと思う。人目を気にせず堂々と駐車出来る。


蒸し暑さのせいもあり今日も汗びっしょりとなる。

俯けば汗が滴り落ちるほどで異常な汗であった。

ふうふうと息が切れ心拍数も高くなり無理は出来ない。

もう十分だと思い少し早めに切り上げて帰って来た。


昼食にローソンの冷やし中華を食べお昼寝体制に入ったが

お客さんから2回も着信がありその度に跳び起きる。

同僚に対応を頼み終えまたとろとろと寝るばかりだった。

3時頃からは大相撲を観る。十両の「草野」が強い。

まだ大銀杏も結えていないが来場所からは幕内なのだそうだ。

夫は何でも知っていてそれは得意そうに解説をしてくれる。


娘達が夕食不要とのことであり合わせの夕食だった。

そろそろ食べ頃ではと「らっきょう漬け」を出してみたが

まだあまり美味しくなくもう少し置いた方が良いのかもしれない。

2キロも漬けてしまったのだ。美味しくなってくれなければ困る。


「行って来まーす」めいちゃんが元気な声でダンス教室へ行った。

最近はジャズダンスも始めたようで楽しくてならない様子である。

娘夫婦も一緒に出掛けあやちゃんはまたお留守番となった。

干渉すると嫌がるので声を掛けることも出来ない。

今日は朝から一度も顔を見ていなかった。

老婆心は疼くばかりで何だか心を鬼にしているような気がする。



窓の外はすっかり暗くなり爽やかな夜風が心地よい。

特に変わり映えのしない平凡な一日であったが

その平凡こそが「平穏」に違いなかった。

大きな穴がぽっかりと空いていてその穴を埋める術がない。

幸せで胸が一杯とは無縁のようにも思える。


ささやかな一日である。欲などこれっぽっちもありはしない。

ぐっすりと眠ればまた「あたらしい一日」が始まる。


※以下今朝の詩


        独り言

    つぶやくような雨音
    独り言なのだろうか
    空は孤独であるらしい

    明朗ではいられない
    たとえ青い空であっても
    哀しみは絶えなかった

    光り輝けば影となる
    その真っ只中にいて
    踏み続けているのだ

    さらりと水に流せば
    どれ程救われるだろう
    失ってしまえばもう
    拘ることもありはしない

    雨ならば訊ねよう
    生き方を知っているなら
    おしえてはくれまいか

    いのちが呟いている
    独りぼっちにはさせたくない



2025年05月23日(金) あっけらかん

朝は晴れていたが次第に雲が広がる。

まだ梅雨入りの発表はないが明日は大雨になりそうだ。

降り過ぎることなく適度な雨であって欲しいものである。


明日はめいちゃんの運動会があるのだが延期になるだろう。

日曜日に出来なかったら月曜日になるのだそうだ。

楽しみにしているだけにお天気の回復を祈るばかりである。

我が家の輝く星である。期待に応えようとどれほど頑張っていることか。

努力家であり姉の分もと張り切っている様子が頼もしかった。

その上に姉を気遣う気持ちもあり健気で優しい子である。





今朝は義父の従兄弟の家に弔問に行こうと思っていたのだが

家のすぐ近くまで行ってから思い留まってしまった。

日頃から親しくさせて貰っていても遠慮するべきかもしれない。

「ごめんなさい」と手を合わせてそのまま職場へと向かった。

愕然と人の死に慣れてしまっている自分を感じる。

いったいこれまで幾人の人を見送ったことだろう。

それだけ死は身近になり哀しみにも鈍感になっている気がする。

昨日の義父もおそらく同じ気持ちだったのだろう。



仕事はぼちぼちの忙しさであったが大変なミスをしてしまっていた。

タイヤ交換のお客さんのタイヤがサイズ違いだったのだ。

注文する際によく確認しなかった私のせいである。

義父に散々叱られ「おまえはボケたのか」とまで云われた。

確かにボケたのかもしれないと思う。それがショックでならない。

幸いお客さんは月曜日まで待ってくれることになり一件落着となった。

しかしこんな初歩的なミスは二度とあってはならないのだ。

歳のせいにしてはいけない。もっと気を引き締めなければと思う。


午後2時を過ぎてから車検が一台完了し書類を作成する。

義父が居てくれると手順も捗り大助かりであった。

ただ口煩いのが玉に瑕だがそれも今に始まったことではなく

「社長」なのだと思えば当然のことである。

月末には例の大型車の中古エンジンが届く予定であった。

義父はすっかり社長の顔になり大いに張り切っている。


4時半に帰宅。気疲れもなく至って元気であった。

月末に向けてもうひと踏ん張り頑張ろうと思う。

遺影の母に手を合わせ「母さんお疲れ」と声を掛ける。

母は何とあっけらかんとした笑顔なのだろう。

「なるようになるけん」いつもそう語り掛けてくれるのだった。

生前一緒に仕事をしていた頃はいがみ合ってばかりいたが

今は「一心同体」である。私が泣けば母も泣くので私は決して泣かない。


※以下今朝の詩


         ほととぎす

       眠れないのではなく
       眠らない鳥であった

       暗闇に鳴き声が響く
       てっぺんかけたかと
       語り掛けるような声

       夜風がひゅるりと
       吹き抜けていく
       流れる雲は見えず
       風の行方を知らない

       独りぼっちなのだろうか
       切なさが込み上げてくる

       憐れにも思えてきて
       寄り添うことを選んだ
       その声こそが命である

       眠ってはならないと
       決めたのは誰だろう
       風ならばその理由を知りたい



2025年05月22日(木) 鳩ぽっぽ

午前中はにわか雨が降った時間帯があったが午後には青空が見える。

陽射しがあると一気に気温が高くなり30℃の真夏日となった。

風もなく何と蒸し暑い一日だったことだろう。


朝の道の良心市にまた沢山のそら豆が並んでいた。

食べたくてならなかったが家族には不評なので諦めてしまう。

枝豆よりも美味しいと思うのだが孫達も食べてはくれない。

買って帰れば娘に叱られてしまうだろう。



職場に着くなり訃報が舞い込む。義父の従兄弟が亡くなった知らせだった。

確か母と同い年ではなかっただろうか。もう高齢には違いない。

お葬式の段取り等を義父に任せたいと頼ってくれたのだが

今日は最後の田植えの「種籾」を撒く予定を組んでおり

また友人達が手伝いに来てくれることになっていた。

従兄弟の家族に何と云って断ったのだろう。

「それどころじゃない」といささかご機嫌斜めの義父であった。

本来ならお葬式を優先するべきである。それが人の道に思えるが

義父の頭の中は米作りに支配されていると云っても過言ではなかった。

今回に限らず義父はよほど頼りがいのある人物らしい。

それだけ信頼されていることをもっと喜ぶべきに思うのだが

「どいつもこいつも」と声を荒げているのだった。

挙句には「何かに取り憑かれているかもしれん」と嘆くのであった。

あまりの忙しさに平常心を失っていたのだろうと思われる。

お通夜、お葬式と続くが身を粉にしても尽くす義父であった。



リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが

今日は待ち時間が長く病院を出たのが4時過ぎであった。

夕飯のメニューも思い浮かばず半額品ばかりカゴに放り込む。

娘が何とかしてくれるだろうとひたすら頼るばかりであった。

こんな時に娘が居てくれるとどれほど助かることだろう。

幸いと云って良いのか再就職の話は一切まだない。


娘達の夕食時、あやちゃんが「くくっと」鳩ぽっぽになっていた。

両親と10年後の話をしていたらしくあやちゃんの未来である。

「株でもやって稼げや」と父親。

「それがええねえ」と母親。

あやちゃんはそれが面白かったらしく笑い転げていた。

10年後は23歳のあやちゃんに会えるのだ。

私も仕事を全うし穏やかな老後が待っているかもしれないと思う。

「のっぺらぼう」ではいられないのだ。しっかりと見届けなければ。


あやちゃんの10年、私の10年と未来への道が続いている。


※以下今朝の詩


        穴

    すっぽりと抜け落ちた
    穴のようなものである

    昔まだ子供だった頃
    三角定規の丸い穴から
    青い空を見たことがある

    その穴は一つでは足らず
    やがてシャボン玉のように
    透明な穴になり空を舞った

    おとなになれば穴は深く
    落ちてしまうと這い上がれない
    もがき苦しむことを覚えたのだ

    けれども見上げればいつだって
    青い空がどこまでも続いている

    どうしようもなく途方に暮れた時
    自ら穴を掘ることを覚えた
    泥だらけになってしまったが
    不思議と守られているような
    まあるくてあたたかい穴だった



2025年05月21日(水) のっぺらぼう

二十四節気の「小満」すべての命が満ち満ちていく頃。

いかにも初夏らしい節気ではないだろうか。

雨の一日となり今も降り続いているがその雨さえも生き生きとしている。


かなりの雨量となり田んぼの水不足は完全に解消されたが

今度は植えたばかりの稲が水没しているのだそうだ。

水の管理は難しくそのまま様子を見るしかないようである。

雨が降らなければ困る。雨が降り過ぎても困るのだった。

稲の成長は早くあと三ヶ月もすればもう稲刈りである。

台風の心配もあり無事に収穫に辿り着くよう願うばかりであった。




午前中に例の大型車のお客さんが来店し義父と今後の策を練る。

やはりエンジン交換しかないようだがお客さんは悩んでいた。

いっそ諦めて中古のダンプを購入しようかとも云う。

そうなればこれまで費やした労賃は水の泡であった。

会社も大損となり取り返しがつかなくなるだろう。

義父はそれを一番に危惧しており必死で修理を勧めていた。

お客さんは70歳を過ぎており一存では決められないとのこと。

後継者の息子さんと相談してからどちらかに決めることになった。

長いこと商売をしていると大きな壁は付き物である。

どうか順調に決着が付くことをひたすら祈るしかない。


事務仕事は決算に向けて少しずつ準備をしているが

4月分の帳尻が合わなかった原因が分かり始めて来た。

車検費用の預り金の記帳ミスのようである。

4月分だけなので直ぐに判明するはずなのだが思うようにいかない。

しばらくは頭を悩ますことになりそうだった。

36年前には経理の「け」の字も知らなかった私である。

そんな私に一から教えてくれたのは母であった。

その当時は今のようにパソコンはなく全て手書きだったのだ。

我ながらよく努力したと思う。それも母あってのことである。



仕事は基本好きであり天職のようにも思っている。

事務畑に種を蒔き今まで育てて来たのだろう。

しかし花畑とは限らない。雑草だってはびこっている。

その雑草を抜くこともせずに費やした歳月であった。


10年後、職を失った私はいったいどうすれば良いのだろう。

最近よくそう考えるようになった。

のっぺらぼうではないが目も口もあるのだろうか。

もしかしたら頭も無くなってしまっているかもしれない。

わずか10年後の未来にもう途方に暮れようとしている。


※以下今朝の詩


         小満

     しくしくと泣いている
     いったい何があったのか
     空に訊いても応えはない

     夏の始まりの雨である
     田畑を潤し野に降り注ぐ
     恵みの雨なのに違いない

     すべての命が輝くころ
     誰一人欠けてはならず
     みなに等しい雨であった

     涙であってはならない
     それが哀しみであるなら
     癒される時がきっと来る

     止まない雨などないのだ

     雨上がりの陽射しを待つ
     きらきらと輝くいのちに
     ふさわしい夏が訪れる






2025年05月20日(火) おかげさん

晴れたり曇ったり。ほぼ真夏日の気温となり蒸し暑さを感じる。

全国的にも真夏日の処が多く山梨では34℃を超えたようだ。

まだ5月のこと。異常気象としか思えない暑さである。

これから梅雨の季節となるが梅雨が明ければ猛暑となることだろう。

まだ先の事と思っていても季節はどんどん進んでいく。

職場もとうとう冷房無しではいられなくなった。

一度頼ってしまうと毎日となりまた光熱費に頭を悩ますことになるだろう。

それは我が家も同じであるが今のところ扇風機で凌げている。



大口の支払いがある日だったが思いがけずに大口の振込入金があった。

何と助かったことだろう。大船に乗ったような気分になる。

おかげで取引先に迷惑を掛けずに済み肩の荷が一気に下りていた。

何とかなるものなのだ。前途を悲観してはならないと思う。

義父には報告しなかったが元々何も知らないのでその必要はなかった。

かつての母がそうだったようにお金の苦労は全て私が背負うしかない。


工場の仕事は順調に見えて実は大きな難題を抱えている。

同僚が幾日も手掛けた大型車の修理が台無しになってしまったのだ。

最悪の場合はエンジンを交換せねばならず莫大な修理代となるだろう。

もう同僚はお手上げ状態となり義父が後始末をすることになった。

義父が社長の顔になっている。何と頼もしいことだろうか。


同僚の胃痛は少し治まったようだが今日も元気が無かった。

日頃からの気の弱さが祟っているとしか思えない。

もう60歳を過ぎており憐れでならなかった。

もしかしたら仕事を辞めたくなっているのかもしれないが

それだけは何としても考え直してもらわねばならない。

一人でも欠けたら会社は即刻に潰れてしまうだろう。

皆がぎりぎりの瀬戸際にいる。それを限界に繋げてはならないのだ。



今日も4時に帰宅。直ぐにばたんきゅうと寝転んでいた。

大相撲を観ていたつもりだったがうたた寝をしていたようだ。

夕飯は素麺ではなく「ひやむぎ」にしてみた。

桃色や緑の麺が混ざっており何だか子供のように嬉しい。

素麺では味わえないような懐かしさがあった。

おそらく子供の頃に母がよく茹でてくれたのだろう。

記憶は曖昧であるが母と暮らした日々が確かにあったのだ。


母は死んでしまったが毎日私と一緒に仕事をしている。

思いがけない事がある度に母のおかげだなと思う。

今日もそうだった。きっと母が助けてくれたのに違いない。

魂は強い。魂は負けない。魂は生きているのだと思う。


※以下今朝の詩


          うさぎ

      片方の耳を失ったのは
      いつのことだったのか
      もう忘れてしまったが
      真夜中に疼く時がある

      ずきずきとそれは叫び
      命も心細くなるばかり

      確かに聴こえているのは
      囁くような風の声である
      いつの間にか春ではなく
      夏の風が吹き抜けていた

      過ぎたことなどもう
      どうだっていいのだ

      草の原を駆けていく
      若い緑の真っ只中を

      どれ程の疼きであっても
      生きてさえいればと思う











2025年05月19日(月) 崖っぷちの豚

明るい曇り日。気温は夏日となり今日も蒸し暑くなった。

山里の郵便局ではもう冷房を。役場や農協ではまだなので

節電を兼ねて窓を開け放し自然の風に吹かれていた。

そんな我慢も今月いっぱいではないだろうか。


ツツジの花はすっかり朽ち果ててしまったが

ここ数日の間にサツキの花が咲き始めている。

両者はよく似ていて見分けがつき難い花だが

春に咲くのがツツジ。初夏に咲くのがサツキである。

それとツツジよりもサツキの方が小ぶりの花だった。


我が家には土の庭がなくどちらも縁がないのだが

かつて姑さんの畑だった場所にかなり大きなサツキの木がある。

かれこれ40年程昔のこと近所に住んでいた伯父に貰った木だった。

盆栽が趣味の伯父が植え替えをしており間引いた苗を捨てると云う。

まだ小さな苗だったが一輪だけ花を付けていた。

捨てるには憐れでならず「私にちょうだい」と貰ったのだった。

さて何処に植えようと辺りを見回し姑さんの畑の隅に植える。

畑には邪魔にならないだろうと思ったのだが

姑さんはあまり良い顔をしなかったのを今でもよく憶えている。


歳月を経て小さな苗は立派な木となり毎年花を咲かせてくれた。

伯父は20年程前に亡くなったがまるで形見のように思っている。

誰かが刈らない限りは私の死後も咲き続けるだろう。





さあ月曜日と鼻息も荒く山里の職場に向かう朝だった。

例の良心市に「そら豆」が沢山並んでおり迷わずに買う。

塩茹でにして食べるのが好きで買わずにはいられなかった。

わくわくと嬉しくてならない。助手席のそら豆と一緒に出勤である。


義父は昨日また友人達に助けられ田植えを済ませたようだった。

最後の田植えは来月らしくしばらくは骨休みが出来そうである。

工場の仕事の段取りもしてくれてどれ程助かったことだろう。

しかし精神的なストレスだろうか同僚が胃痛を訴えていた。

あまりの忙しさに義父の指図を受けてパニックになったようだ。

早退させてやりたかったが義父の手前それが出来ない。

胃薬を飲ませ様子を見ていたが午後はかなり辛そうであった。

同僚に限らずマイペースが一番であるが思うようにはいかないものである。


来客があったが3時に退社。後のことは義父に任せた。

エアコンの修理が2台。今年も「エアコン祭り」が始まったようである。

こればかりは義父の専門でお神輿を担いでもらわなければならない。


4時に帰宅。夫と大相撲を観るのが楽しみであった。

大の里が9連勝。このまま一気に横綱になって欲しいものだ。

しかしまだ24歳の若さである。どれ程のプレッシャーかと気遣う。



明日はあしたの風が吹くらしいが私はいつだって心細い。

明日は特に大口の支払いがありどうなることやらと頭を悩ませている。

なるようになるらしいがいったいどんな結果が待っているのだろう。

まるで追い詰められた「崖っぷちの豚」のようである。

ぶーぶー泣き叫んでも誰も助けてはくれないのだ。

そうなればもう立ち向かうしかない。豚の腕の見せ所である。

筋肉だか脂肪だか見分けはつかない腕だが私はけっこう逞しい。



※以下今朝の詩

          糸

     強くなったり弱くなったり
     かつては真綿だったらしい

     縒り続けていれば糸になり
     いまわたしの手元にある

     陽に当ててみたり
     水に濡らしてみたり
     試行錯誤を繰り返せば
     よほど堪えるのだろう
     切れてしまいそうになる

     息を吹きかけてみる
     指先でなぞるように
     その存在を確かめる

     些細なことなのだろう
     どれほど大切にしても
     弱くなれば途方に暮れ
     強くなれば希望になる

         







2025年05月18日(日) 夏支度

どんよりとした曇り日。まるで梅雨入りしたかのような蒸し暑さだった。

少し動いただけで不快な汗が流れる。もう我慢が出来なくなり

とうとう扇風機を引っ張り出し暑さを凌いだ。

その扇風機の何と汚いことだろう。昨年洗わずに仕舞ってあったのだ。

面倒であったが各部を分解し水洗いをすれば綺麗に快適となる。


昨夜も蒸し暑く寝苦しかったので掛布団を夏用にした。

真夏になればエアコンを点けっぱなしにして寝るのだが

さすがにまだ早く布団で調整した方が良さそうだ。

5月も後半になったが本格的な夏となればどれほどの暑さだろうか。

冬の間は寒さに耐えたが果たしてこの夏を耐えられるのかと思う。




歳のせいか最近食べ物の好みが変わり無性にらっきょうが食べたい。

それとご飯である。今朝も大盛のご飯をがつがつと食べた。

昨日はJAの直販所へ行き「洗いらっきょう」を2キロ買って来る。

簡単にらっきょう酢で漬けたのだが早く食べたくてたまらない。

最短でも3日は必要らしいが我慢出来ずに少し味見をしてみた。

しかしやはりまだ早かったようであまり美味しいとは云えない。

あと2日の辛抱である。ご飯が3杯くらい食べられそうだ。


そんな有り様なので当然のように太り続けている。

しばらく会わなかった人には別人のように見えるらしい。

そうして醜態をさらけ出しているのだが自分では気にしていなかった。

70歳が近くなりガリガリに痩せているよりずっと良いと思う。

おかげでムチムチとしており皴も目立たないのである。


週末は殆ど寝ていることが多いが今日は例外だった。

昨日寝過ぎたせいもあるが横になっても眠くならなかったのだ。

午後は夫とテレビを見て過ごす。2時にはもう大相撲中継が始まっていた。

明日からはまた仕事なので身体慣らしになったことだろう。

仕事のことは忘れているようでやはり気になっているようだ。

また山あり谷ありの日々が待っている。一歩でも前へ進もうと思う。

あと10年である。今まで見えなかったゴールが見えて来たのだ。

くたばるわけにはいかない。倒れるわけにはいかない。


※以下今朝の詩


          平行線

       ひとつであること
       ふたつであること

       転がしたり並べたりしているが
       たったひとつきりにはなれない

       かと云って捨てることは出来ず
       欲張りなおんなの姿が見える

       これ以上でも
       これ以下でもない

       失ってしまえば空っぽになる

       花が散れば種を残すが
       朽ちたままの花もある

       どちらの生き方も尊く
       花であることに違いない

       交わることのない道を
       ひたすらに歩き続ける
       辿り着けば救われるだろう

       たったひとつきりになりたい



2025年05月17日(土) 平行線

小雨が降ったり止んだり。気温はそう高くなかったが蒸し暑さを感じる。

昨日は九州南部が梅雨入りとのこと四国も直ぐに後を追うだろう。

梅雨もなくてはならず日本はそうして水に恵まれているのだそうだ。

豪雨の被害も多いが耐え忍ばねばならないのだろう。


梅雨と云えば紫陽花の季節だが花芽が見え始めたようだ。

あと2週間もすれば色づくことだろう。楽しみなことである。



蒸し暑さのせいか不快な程に汗が流れる。

まだ扇風機も出しておらずひたすら耐えた一日だった。

カーブスではエアコンに加え扇風機も回っていたが汗が止まらない。

脂肪が燃えているとは思えず太った体を持て余していた。

あと10年は続けたい。いやもっと90歳までと思う。

そうして少しでも体力を維持出来たらと願うばかりであった。

死んでしまえばそれまでだが生きている限りのことだ。


昼食にはローソンの「冷やし中華」を食べた。

夏ならではのことで美味しさに心が浮き立つ。

夫はビールを。私はノンアルビールを飲む。


午後はお決まりの昼寝であったが今日も寝過ぎてしまった。

4時に目覚め自室でアイスコーヒーを飲み煙草を吸う。

こんこんと咳が止まらなくなる。それでも吸わずにはいられない。

何と不健康なことだろうと我ながら嫌気が差していた。

自分では自制出来ない。立派な「依存症」だと思う。


娘達は夕食不要とのこと。夫と大相撲を観ながら焼き肉を食べた。

先日の残り物であったがまるで冷凍室の「宝物」である。

二人きりだと楽だなと夫と顔を見合わせながら喜んでいた。



風の強い一日だったが夜風はぴたっと静まっている。

雨は止んでいて明日は少し陽射しがあるようだった。

また怠惰に過ごすしかないだろう。それも良しと思う。


詩も短歌も平行線を辿っていてこれ以上もこれ以下もない。

ずば抜けてなどいないのだ。それは愚かなあがきにも等しい。

けれどもあがけるうちが花だろう。枯れてしまえばもうお終いである。

あがいて結果を出す。その結果こそが私の「いのち」なのだと思う。


※以下今朝の詩


           五月雨

      雨混じりの風が吹いている
      窓を開ければ生暖かい声が
      まるで噂話をしているよう

      ねえねえ知っている?
      ううん知りたくはないの

      初夏の花が枯れたこと
      沢山の種を残したこと
      やがては真夏の花が咲くこと

      本当は知りたかったのだ
      ほんの少しの希望がある
      けれども私なんかにと思う

      惨めであってはならない
      誰にも等しく季節は巡る

      降り注いではくれまいか
      私は濡れてみたかった
      真夏の花になるために



2025年05月16日(金) 花が散れば実にもなる

曇り日。気温は24℃と過ごし易い一日だった。

今夜遅くには雨になるらしい。


辺りの山々を黄な粉色に染めていた椎の花が見えなくなった。

おそらく散ってしまったのだろう。山の緑がいっそう濃くなる。

椎の実が成るのは秋だがきっと沢山の実がなることだろう。

子供の頃には椎の実を炒って食べたことも懐かしい。


花はアマリリスが盛り。これも子供の頃から見慣れた初夏の花である。

大金鶏菊は黄色の可愛らしい花だが特定外来植物に指定されており

絶滅を目指し駆除対象の花であった。繁殖力がとても強いのだそうだ。

これは子供の頃には見かけなかった花でいつ頃日本に来たのだろう。

花には罪はないが駆除専門の業者まであると聞きおどろく。

無残に思われるが日本の植物を守るためには仕方ないことであった。




義父は高知市で会合があり8時半には既に出掛けていた。

帰りは夜になるだろう。一気に肩の力が抜ける。

同僚も同じくで何となくのほほんとして見えた。


水道の蛇口をひねればちゃんと水が出る。

さすが義父だなと思った。昨日のうちに直してくれたのだ。

やる時はとことんやる。そんな義父を尊敬せずにはいられない。


今月は決算月なので帳簿の記帳をしていたのだが

4月分の帳尻が会わず頭を悩ませていた。

それも「現金」である。確かにゼロだったのに残高があまりにも多い。

使途不明金にするには納得が行かずきっと大きなミスがあるのだろう。

長年経理をやって来たがこんなことは初めてであった。

あれこれと考えていたが頭がパニックになりもう嫌になってしまう。

例の如くで同僚に「嫌になったけん帰る」と告げ逃げるように帰って来た。


3時半には帰宅していたが大相撲を観ながら寝てしまったようだ。

ごうごうと大きな鼾をかいていたらしく夫は呆れ返っていた。

精も根も尽き果てるとはこのことだろう。疲れには勝てなくなった。

いやしかし後10年である。一気に自信が無くなってしまいそうだ。


「やれば出来る」らしいがそもそも「やる」気力に乏しい。

仕事に一生を捧げるほどの大志も抱けなかった。

そうなればもう「なるようになるだろう」と客観的に考えるしかない。

私は何になるのだろうかと途方に暮れるばかりであった。


花が散れば実にもなるが私の実はほんの一粒かもしれない。


※以下今朝の詩


           夜明け

       夜風が朝風に変わる頃
       闇の中から声が聴こえる

       おいでおいでこっちへおいで

       まさかあの世ではあるまい
       私は息を確かめている

       あたらしくなりたかった
       老いた身にも花を添える
       初夏の花は凛々と咲き
       健気に風に吹かれている

       闇を追いやるように夜が明ける
       心細くてならなかったいのちが
       息を紡ぎ始めているようだった

       おいでおいでこっちへおいで

       耳を塞げばただ風になるばかり
       始まりはいつもそうである
       どれほどあたらしくなったことか



2025年05月15日(木) お腹の幸せ

今日も27℃の夏日。風が無かったせいか蒸し暑さを感じる。

お天気は下り坂のようで明日の夜から週末にかけて雨になりそうだ。


花屋さんの店頭に半額の紫陽花が並んでいた。

おそらく母の日の売れ残りだと思われるが

半額でも1500円とそう安くはない。

しかも花はすっかり枯れており憐れな姿である。

花屋さんがどうしてそれを売ろうとするのか分からなかった。

ハウス栽培で一足早く咲かせた花なのだろう。

紫陽花の気持ちになれば決して嬉しくはないはずである。

やはりその季節に相応しい花であるべきだと思う。

もし買い求める人がいるのなら花を剪定し地に植えてやって欲しい。

もしかしたら来年には違う色の花を咲かせるかもしれない。




工場の水道は地下水を利用しているのだが昨日から断水になっている。

ポンプのスイッチが壊れているらしく義父が直してくれていた。

それが思いのほか手間が掛かりお昼を過ぎても直らない。

器用な義父も苦労しながら必死の思いで取り組んでいた。


同僚は厄介な大型車の修理に集中していたのだが

整備士魂が燃えるどころか火も点かないくらい面倒な様子である。

「もう嫌になった」と嘆くのを宥めながら応援するしかない。

最終的には義父の手助けが必要に思うがしばらく様子見であった。

出来ないでは済まされないのだ。何としても直さねばならない。



午後、内科と整形外科に行かねばならず1時半に早退する。

内科は2ヶ月ごとに薬を処方してもらっているのだが

主治医は不在で私とはとことん相性の悪い若い医師との面談だった。

ほんの数十秒の面談でろくに話をしようともしない。

不信感がつのるばかりで逃げるように薬局へ行った。

薬の種類が多いせいか7千円弱の痛い出費である。

70歳になれば医療費が安くなるらしく早く70歳になりたいと思う。


整形外科は予約時間よりも1時間も早かったが

いつもより随分と空いていて早めに診察を受けることが出来た。

医師の判断で血液検査もすることになり採血をする。

ドロドロどころかさらさらの綺麗な血だった。

結果は3週間後の診察日だが白血球の数値が少し気になっていた。

診察後はリハビリでU君の魔法の手で随分と楽になった。


医師に診断書を書いてもらっていたのでその足で福祉事務所へ行く。

「高知あったかパーキング」の利用証を交付して貰うためだった。

その利用証を掲示すれば病院等の専用駐車場に停めることが出来る。

私のような軽度の身障者が利用するのは心苦しくもあるが

僅か30メートルの距離も歩けないのだ。仕方あるまいと思う。


帰宅が遅くなる予定だったので娘に夕食の買い物を頼んでいた。

思ったよりも早く4時に帰宅したが娘がカレーを作ってくれていた。

それが何と美味しいことだろう。顎が落ちるほどであった。

これからもずっと娘が仕事をせずにいてくれたらと願わずにいられない。

ある日突然に「明日から仕事行くけん」と告げられたらどん底である。


娘は何も話してはくれなかった。特に急いている様子も見えない。

けれども覚悟はしておくべきだろう。そうそう楽も出来ないと思う。


カレーをお代わりして二皿食べた。お腹が幸せでいっぱいになる。



※以下今朝の詩


           残影

      月を見ているのではなく
      月が私を見ているのだ

      逃げも隠れも出来ない
      もう曝け出すしかない

      うつくしくありたいが
      みにくさがしはいしている

      澄んでなどいないのだ
      どれほどあがいても
      真っ当にはなれない

      けれどもひとつきりの
      いのちを守らねばならない

      移ろう季節の真っ只中で
      花として咲ければと願う
      救われる瞬間がきっとある

      月は見ることを諦めない

      見届けてくれるだろうか
      私が枯れて朽ちるその日を



2025年05月14日(水) 10年の未来

最高気温が26℃となり連日の夏日となった。

幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。


大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。

昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。

好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。

隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。

やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。

義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。

私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。

鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。





田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。

仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。

同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。

私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。


午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。

会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。

義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。

会社も困窮しており助けてやることも出来ない。

宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。


驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。

会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。

義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。

命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。

しかし「やるっきゃない」の義父である。

精神力の強さは並大抵ではなかった。

命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。

そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。

誰一人欠けてはならない会社である。

難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。


途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。

その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。


覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。

79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。

今日ほど生きたいと思ったことはない。

義父を残してどうして先に逝けようか。


※以下今朝の詩


         信念

     真っ直ぐに貫いている
     折れることもあれば
     倒れることもあった

     茎には紅い血が流れ
     花には蜜があふれる
     葉は風に揺れるばかり

     いったい何のためにと
     生きる意味を問うている
     永遠など在り得ないのに
     儚さを糧にしようとした

     命がけで貫いている
     最期は燃え尽きるのか

     誇る程の花ではないが
     野辺の片隅で生きている

     生きた証を残さねばならない




2025年05月13日(火) お月さん桃色

黄砂だろうか少し霞みがかった空であったが気温が高くなり

27℃の夏日となった。もうすっかり初夏の陽気である。


今朝はいつものように4時に起床し窓の外を見ておどろく。

何と燃えているように紅い月が見えていた。

川向の山の上である。まさに沈もうとしていたのだろう。

後から知ったのだが「フラワームーン」と名付けれた満月だったようだ。

午前1時45分に満月になったのだそうだ。

久しく月を見ることはなかったが何と幻想的な月だったことだろう。


満月の頃は大潮である。潮が引けば誰かが死に

潮が満ちれば誰かが生まれると云われている。

引力と人の命は深い関りがあるようだ。




田んぼの代掻きが一段落したそうで珍しく義父が居た。

次は田植えだが来週あたりに予定しているようである。

今はまだ早稲で全ての田植えが終わるのは来月らしい。

米作りの苦労は大きく気が遠くなりそうであった。

年始からの怪我に加え二度の入院と重なりどれほど焦ったことだろう。

けれどもその強靭な精神力には誰も敵わないと思う。



午前中にオーストラリアから移住して来ているコナン君が来てくれた。

先日初めての赤ちゃんが生まれたのだが心臓に欠陥があったのだそうだ。

生後10日で手術のため岡山の病院へ向かい大きな心配であった。

幸い手術は成功したが2か月の入院が必要とのこと。

コナン君は仕事があり後ろ髪を引かれるように帰って来たらしい。

片言の日本語で「ダイジョウブ」と告げるのが精一杯である。

赤ちゃんは女の子で名前は「ニーナちゃん」だった。

どんなにか可愛らしいことだろう。早く会いたくてならない。


奥さんの車の修理を頼まれていたのだが直り次第に売却するとのこと。

余程暮らしに困っている様子が窺え可哀想でならなかった。

村の行政で助けてやれないものだろうかと願うばかりである。

若い二人がどうして山里に移住して来たのかは分からないが

縁あってこそである。どこか故郷に似ているのかもしれなかった。



満月の夜であるが窓からは見えない。

明日の夜明け前にはまた紅い月が見えることだろう。

潮は大きく引きそうしてひたひたと満ちていく。

「いのち」が揺らぐ。決して失ってはならないと強く思う。


お月さん桃色誰が云うた 海女が云うた 海女の口を引き裂け

高知県西部に古くから伝わる歌である。




※以下今朝の詩


         紅い月

    川向の山に落ちようとする
    燃えているように紅い月だ

    川面には火が灯る
    魚達も目を覚まし
    潮に身をまかせる

    夜風が朝風に変わる頃
    一筋の光が降りそそぐ
    陽に押しやられるように
    落ちていかねばならない

    哀しみはそうして消える
    もう誰も苦しみはしない

    夜が明けようとしている
    とうとう月は落ちてしまった








2025年05月12日(月) あざみ嬢のララバイ

朝のうちは曇っていたが次第に青空が見え始める。

日中は25℃の夏日となり陽射しが眩しい。

けれども爽やかな風のおかげで過ごし易い一日となった。


朝の山道の楽しみが増え野ばら、野あざみ、ウマノアシガタと咲く。

どれも野生の花たちでひっそりと咲いているのが好きだ。

特に野ばらの純白は清らかな乙女の風情で心がときめく。

野ばらと野あざみには棘がありウマノアシガタには毒がある。

そうして身を守り続けて来たのだろう。何と健気なことか。

もし野の花になれるのなら私は野あざみかもしれない。

花が終われば綿毛になり旅をするのも楽しみである。




さあ月曜日と気ばかり急いて職場に着いたが

義父は既に田んぼに出掛けておりもぬけの殻である。

車検の予約が入っており同僚と段取りをした。

先週からの大型車の修理がまだ終わっておらず

同僚はいささかご機嫌斜めであったが車検を優先しなければいけない。

その上に飛び込みのオイル交換が2台もあり増々機嫌が悪くなる。

私が口やかましく指図をするのも気に入らない様子であった。

けれども仕事をして「なんぼ」なのが商売ではないだろうか。

同僚は真面目だが時々投げ遣りになることがあり私は途方に暮れる。


車検整備が完了したのを見届けて3時に退社した。

後は義父次第だが昼食も食べずに頑張っているのだろう。

無責任と云ってしまえばそれまでだが思うようにはいかないものだ。

明日も明後日も車検の予約が入っている。さてどうしましょうか。


買い物を済ませ4時に帰宅したら夫は大相撲に夢中であった。

お風呂に入る時間も惜しみカラスの行水である。

娘と夕飯の支度をしていれば「おい、時間いっぱいだぞ」と叫ぶ。

注目の大の里と高安の取り組みであった。

一緒に見ないと機嫌を損ねるので炊事の手を止めて見入る。

大の里が勝てば大喝采である。ビールをごくごくと飲み干す夫であった。

晩酌はしているがまるで子供のようである。

夫の一番の楽しみなのだろう。それも微笑ましい姿だった。

夫の好きなことに興味を示す。それが夫婦円満の秘訣ではないだろうか。

男は単純だがその単純さが可愛らしいものである。


この日記を書き始めた時には茜色の空だったが

一時間もすればもう真っ暗闇の夜である。

星を見上げることもしなくなったがきっと輝いているのだろう。


ささやかな日課であった。書かずには眠ることも出来ない。

今日はSNSで詩人の紗野玲空さんと話すことが出来て嬉しかった。

「雑草という名の草花はありません」と云ってくれたのだ。

どれほど救われたことだろうか。私にも名があるのだと思った。


※以下今朝の詩


          夏草

       花園の雑草は刈られ
       毒を撒かれることもある

       若い緑であった
       陽を浴びて輝く
       背伸びなどせず
       等身大で生きる

       名はあるのだが
       夏草と呼ばれた
       生い茂ればもう
       真夏にもなろう

       うつくしい花達
       自信にあふれた
       その姿を見れば
       惨めにもなるが
       嘆くことはない

       在りのままを貫く
       刈られても残る根

       その根こそが命である



2025年05月11日(日) 夢で会いましょう

午後から雨の予報だったが思いがけずに晴れていた。

夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。


昨夜は母の夢を。内容はよく憶えていないが確かに母だった。

生きているのだ。私は未だに母の死が信じられずにいる。

今日も3時間ほど寝てしまったがまた母の夢を見た。

見たと云うより会ったのだ。その声が今も耳に残っている。

私は黒い服を着ており母になじられていた。

その母に私は食って掛かり憎々しく暴言を吐いているのだった。

ああまただと思う。どうしてもっと優しく出来ないのだろう。


「母の日」が頭から離れないのだった。

少女の頃から無くなれば良いとどれほど思ったことだろう。

それは母と再会した二十歳の頃も変わりはしなかった。



嫁いでからもう一人母が出来たが

貧しい暮らしをしており姑さんに何かを贈るのが苦しかった。

それでも何もしないわけにはいかずほんの気持ちを届ける。

感謝の気持ちなど微塵も無く義理を通すことしか頭になかった。

今思えば夫を産んでくれた人である。もっと感謝すべきだったのだ。


粗末な菓子折りを届けに行けば玄関に立派な胡蝶蘭が置いてある。

義弟のお嫁さんからの贈り物である。大きな引け目を感じずにいられない。

どうして「母の日」などあるのだろうとその時も思った。



我が家はひっそりとしており「母の日」など無縁に思っていたのだが

この日記を書き始めた頃、娘がショートケーキを持って来てくれた。

「ほれ母の日ぜ」と娘らしい一言が何とも嬉しくてならない。

甘さを控えた苺のショートケーキだった。いかん目頭が熱くなるやんか。

ゲンキンなもので「母の日」も好いものだなと思う。

母にも姑さんにも申し訳ないが私は恵まれているのだろう。


過ぎた日は変わらず心に残り続けているが

恨んではならず嘆いてもいけない。

私がこうして生きていられるのは誰よりも母のおかげだと思う。


※以下今朝の詩


           母の日

        母に会う
        夢だとは思えないほど
        母は生きていた

        どうして「母の日」があるのか
        13歳の少女には恨めしく
        何と寂しい日だったことか
        いっそ死んでしまえばいいと
        突き放すことしか出来なかった

        歳月は流れるばかり
        幾つもの季節を乗り越え
        もう何度目の夏だろうか

        本当に母は死んでしまった
        私がコロシテシマッタのか
        心の底から赦すことをせず
        母も詫びることをしなかった

        母はどうしようもなく女だったのか
        子を捨ててまで貫いた人生である

        母の日は辛く寂しい
        なのにどうしてこんなにも
        母が恋しいのだろうか



2025年05月10日(土) 雨がやんだら

雨上がりの朝であったが思うようには晴れず

曇り空のまま一日が暮れようとしている。

夕風の何と心地良いことだろう。

まるで風が歌っているようである。


朝のうちはカーブスへ行っていたがその後は寝てばかり。

今日も4時間の昼寝で我ながら呆れ返っている。

読みかけの詩集や歌集が沢山あるのだが開こうともしない。

とにかく自室に籠ってしまうと煙草ばかり吸ってしまうのだった。

寝ていれば吸わなくて済む。何と云うご都合主義だろうか。

ふとこのまま死んでいくのだろうかと思う。

死んでしまえばもう二度と目を覚ますことはない。



夕飯は奮発してステーキにしたがポイントが貯まっていたので助かる。

四国電力の「よんでんポイント」は他社のポイントに還元出来るので

サニーマートのポイントに振り替えていた。2千ポイントは大きい。

2千円分の買い物が出来るとなれば当然のように太っ腹になる。


夫や娘達が「今日は何事ぞ」と驚いたのは云うまでもない。

母の日の前夜祭とでも云えば良かったのだろうか。


母の日と云えばサニーマートは花盛りであった。

花屋さんはもちろんのこと店頭にもずらりと花鉢が並んでいた。

カーネーションが主流だがミニ薔薇や紫陽花もあり心が躍る。

私は全く期待していないが贈られたらどんなにか嬉しいことだろう。


息子が高校生の頃のことだが親友のS君がミニ薔薇を贈ってくれたことがある。

S君は幼い頃に母親を亡くしており父子家庭であった。

我が家で夕食を食べてから一泊して帰ることも多かったのだ。

「おばちゃんいっつも有難う」と何と嬉しかったことだろう。

私にとっては我が子同然だった。S君のことは一生忘れられない。

母親のいない子は大勢いる。「母の日」ほど寂しい日があるだろうか。



失ってしまえば二度と還らない。長く生きていれば生きるほどに

どれ程の大切なものを失ってしまうのだろうか。

失って初めてその大切さに気付くことだってある。

最後には自分の命であるがどうしようもなく儚い。

思い残すことがあってはならないがそれが叶うとは限らないのだ。

私などは特に全う出来ないことの多さに途方に暮れてしまう。

中途半端に生きて来た。その結果ではないだろうか。

今からでも遅くはないかもしれないが心細くてならない。


※以下今朝の詩


        雨がやんだら


      むかしむかしのこと
      雨がやんだらお別れなのね
      そんな歌があった
  
      多感な14歳の少女には
      どうして別れてしまうのか
      男とか女とかよく分からず
      けれども哀しい歌だなと思った

      雨がやんだら男は出て行く
      濡れたコートと濡れた体で
      そう約束していたのだろう
      女は黙って涙を呑んでいた

     「終わる」ことを知ったのは
      それから三年後のことだった
      恋の詩を書き綴ったノートは
      もう誰にも読んでもらえない

      雨がやんだら雲が遠ざかり
      切り絵のような青空が見える

      まるで天使のような陽射しが
      降り注ぐ瞬間を見たのだった






2025年05月09日(金) 雨の慕情

雨の一日。気温は上がらず春先のような肌寒さを感じる。

風も強くまるで嵐のようでもあった。

かなりまとまった雨となり水不足は解消されたようだ。

まだ水を張っていない田んぼにも十分に行き渡るだろう。


晴耕雨読とは行かず義父は今日も田んぼだった。

キャビン付きの中古トラクターを買ったので嬉しくてならず

出掛けた切りお昼になっても帰って来ない。

まるで子供の玩具である。面白くてたまらないようだ。

入院中のロスを挽回しようと躍起になっているのだが

いくら鉄人でも81歳の高齢であることを忘れてはならない。



事務仕事は午前中で一段落し午後は来客もなく暇を弄ぶ。

同僚は大型車の厄介な修理と格闘していたのだが

私が「もう嫌になったけん帰る」と告げれば

「俺も嫌になったけん帰りたい」と顔を見合わせ笑い合った。

「あなたも早く帰って来てね」「晩ご飯は何が食べたい?」と

冗談も程々にせずに愉快極まりない午後2時のことだった。


降りしきる雨の道をライトを点灯し走り抜ける。

何か温かい物が食べたい。そうだ豚汁にしようと思いつく。

メニューが決まると買い物も楽だが何と云うことでしょう。

肝心の豚肉を買い忘れたまま家に帰り着いてしまった。

近所の地場産店へ買いに行ったが肉類は全て売り切れていた。

何も買わずに帰るのも気が引けあんパンを買って帰る。

最近朝ドラの影響か無性にあんパンが食べたくなるのだった。


娘が冷凍庫の中を探してくれて何とか豚肉が見つかる。

おかげで予定通りに豚汁を作ることが出来た。

鰆の切り身も買っていたので塩焼きにしたら鰤にそっくりである。

脂がのっており鰤よりも美味しいくらいだった。


あやちゃんがその鰆を食べていた。鰆を食べるのは初めてである。

「あやちゃん、そのお魚美味しいろ?鰤みたいなね」と

うっかり口を滑らしてしまい娘に睨まれてしまう。

あやちゃんは好物の鰤だと思って食べていたのだそうだ。

機嫌を損ねるのではと思ったが「もう食べたけん」と笑ってくれた。

なんとほっとしたことだろう。鰆さまさまであった。


穏やかな夕暮れ時である。めいちゃんが窓の外を見て「まだ明るい」と。

いつの間にか随分と日が長くなったようだ。


雨は降り続いているが明日は晴れるらしい。

気温も高くなり夏日になる予報であった。

今日よりも10℃以上高くなり寒暖差が身に堪えそうだ。


今週は3日しか仕事がなく何となく物足らないが

休みとなればまた怠惰を貪ることになるだろう。

そうして生き永らえている。人生はまだまだこれからだと思う。


※以下今朝の詩


          声

     ひそひそと雨の声が聴こえる
     噂話だろうか悪口だろうか

     気にしない気にしない
     云いたい奴には云わせておけ

     崩れ落ちそうなのは心の壁
     どれほど精を尽くしても
     報われることはなかった

     季節は移ろい夏の色に染まる
     その扉の前に呆然と立つばかり

     相応しいとかそうでないとか
     どうして決めてしまうのだろう

     私は「わたし」であるべきなのだ
     胸を張り堂々と生きねばならない

     雨の声は夏の声である
     ずいぶんと生き永らえて来たようだ





2025年05月08日(木) だましだまし

概ね晴れ。五月の風の何と爽やかなことだろう。

まだ扇風機もエアコンも要らず自然の風が一番に思う。


朝の道の良心市にスナップエンドウが並んでおり買い求めた。

一パック百円の安さである。おまけにとても新鮮であった。

鍵付きの料金箱などなく小さなマグカップを置いてあるのだ。

それでこその良心市ではないだろうか。


ふと辺りを見回すと民家の庭先に真紅のアマリリスが咲いていた。

毎年目にする花で今年も咲いてくれたのだと嬉しい。

昨日は気が付かなかったので咲いたばかりかもしれない。

アマリリスは品種改良をされ今は色んな種類があるが

昔ながらの真紅のアマリリスが一番好ましく思う。

ちなみに昔は「ラッパ草」と呼んでいたようだ。



義父は今日も田んぼへ。とても病み上がりとは思えない。

昨日からの疲れも出ておらず生き生きと元気であった。

とにかく全ての田んぼの代掻きを終えなければいけない。

そうして田植えまで漕ぎつけたらやっと一段落となる。

無我夢中になっている姿はやはり鉄人にしか思えない。

まるで「心配無用」と背中に書いているようであった。


お昼には一度帰宅し私の車に玄米を積み込んでくれる。

もうこれで高いお米を買わずに済み何と助かったことだろう。

順調に行けば8月には新米が獲れるが

まだ昨年のお米が沢山残っているのだそうだ。

「遠慮することはないぞ」と云ってくれてほっと嬉しかった。


30キロの玄米は精米すると25キロとなるが

それでも我が家の2ヶ月分の主食となる。

世間では米不足が深刻な問題となっておりこれほどの恵みはない。

義父が苦労して作ったお米である。こんなに有難いことはなかった。



2週間ぶりのリハビリに行くため2時半過ぎに退社する。

実は昨日県立病院で歩き過ぎたせいか昨夜は痛みが酷く眠れなかった。

痛み止めはもう長いこと服用しておらず薬には頼りたくはない。

療法士のU君にそのことを話すといつもとは違う施術をしてくれた。

足ではなく腰と背中を集中的に揉みほぐしてくれ何とも心地よい。

無理に歩こうとすると腰や背中に負担が掛かるのだそうだ。

私の場合は体重もあり余計に負担を掛けていたのだろう。

随分と楽になりおかげで今夜はぐっすりと眠れそうである。


だましだましの日々が続いているようにも思うが

自分を騙すのも必要に思う。辛くても大丈夫と云い聞かす。

しんどくてもまだまだこれからと暗示を掛けて行くのだった。

そうでなければとっくに圧し潰されていただろう。

騙すのは噓をつくのとは違う。騙されるのは私以外の誰でもなかった。



※以下今朝の詩


          バトン

       緑濃く艶やかな葉に
       花芽を添える季節だ

       夏が立ち春を仕舞えば
       花達はそれぞれの手に
       渡すバトンを持っている

       朽ち果てた花もあろう
       目を反らす人も多いが
       見届けてやらねばならない

       最後の力を振り絞って
       震える手でバトンを渡す

       受け取ったからには
       花として生きるしかない

       夏の花はその健気さを
       真心として愛に変える

       バトンを握りしめていた
       そうして始まる夏がある



2025年05月07日(水) 枯れない花

黄砂の影響だろうか霞みがかった空だった。

気温はほぼ夏日だったが風があり過ごし易い一日となる。

五日ぶりの朝の山道は清々しく山の緑が目に沁みるようだ。

山里の最初の民家に差し掛かると道路に白い花びらが敷き詰められていた。

見事に咲いていたオオデマリもとうとう散り始めたようである。

今日よりも明日と散り急ぐのは何とも切ないものだった。



9時頃義父から電話があり午前中に退院の許可が下りたとのこと。

よほど嬉しかったのだろう。声は明るく弾んでいた。

10時には来て欲しいと云われ仕事どころではなくなり

大急ぎで車で15分程の県立病院へと向かう。

連休明けのせいか駐車場が満車状態で困り果てていたら

身障者用のスペースに停めるようにと守衛さんが誘導してくれた。

車椅子の患者さんも多いだろうに何と助かったことだろう。


義父は既に身支度を整え子供のように待っていた。

会計を済ませ領収書を見せないと退院出来ない決まりになっている。

そうでなければ私が出向く必要はなかったのだが

ここは全ての経理を任されている私の出番であった。


前回の入院時には足腰がすっかり弱っていた義父だったが

今回はしっかりしており駐車場まで颯爽と歩く。

体力を保つために気力で乗り越えた結果だろう。


11時には山里まで帰り着いていたのだが義父の素早いこと。

昼食を食べ終わるなりトラクターの準備をし田んぼへと向かう。

無理は禁物と云い聞かせたがもう聞く耳も持たない有様であった。

まるで鎖から解放された子犬のようである。

喜び勇んで跳び回っているようにしか見えない。

そうなればもう繋ぐのは不可能である。好きなようにさせるしかない。

無理を重ねれば再発も在り得ることで気が気ではないが

義父の精神力にはとても敵わなかった。


何はともあれ予定通りに退院できたことを喜ぶべきだろう。

後のことは野となれ山となれと思うしかなかった。


義父の入院費に会社の資金を使ってしまったので

またゼロになってしまった。

もう何度目のゼロだろう。慣れたのかあまり苦には思わない。

工場の仕事は後を絶たないのできっと挽回出来るだろう。

何とかするのではなく何とかなるものなのだ。


ほんの少しの気疲れ。それもまたよしと思う。

する仕事があるのは有難く明日も精を尽くして見せよう。

試されているうちが花である。私はまだ枯れる訳にはいかない。


※以下今朝の詩


         花のいのち


      春の花が散り枯れていく
      尽きることは切ないが
      また巡り来る季節がある

      純白の花を茶色に染めて
      無残で憐れにも見えるが
      泣いている花があるだろうか

      風に逆らうこともせず
      ただ受け止める夏である
      花を失くせば緑が萌えて
      いっそうに輝くのだった

      見て見ぬふりをしてはならない

      花として全うした命である
      最後まで見届けてやりたい

      花に重ねる命が在る限りに









2025年05月06日(火) 厄介な老婆心

雨のち曇り。昨夜からの雨は恵みの雨になったのだろうか。

義父の田んぼが気になってならない。

毎日の見回りを欠かさなかっただけに余計にそう思う。


今朝は農家仲間の人から電話があり水の心配をしてくれたが

私に何が出来ようか。仕方なく義父の入院を伝えた。

義父に話せば焦りが募るばかりだろう。

けれども報せなければ何も知らなかったと気を悪くするに違いない。

迷った末に報せたが「もういい」と投げ遣りな返事だった。


明日こそは退院と決めつけているのだが

今日は主治医が休みで相談も出来なかったとのこと。

苛立ちは募る一方で不機嫌な声音だった。

精神力は人一倍強い義父であったがさすがに参っている様子である。

とにかく辛抱をと伝えることしか出来ず無力感しかなかった。




連休もやっと最終日。もうこりごりに思う。

仕事の事など忘れてのんびりと過ごしていたつもりだが

武者震いをするように気が急いてならなかった。

今日は休業にも関わらず車検の予約が入って来る。

耳の不自由なお客さんでショートメールからであった。

まずは日にちを決めなければならず明日連絡をすることになる。


午前中は起きていたが午後はまた寝てばかりだった。

この連休中の昼寝時間を計算すると丸二日寝ていたことになる。

異常としか云いようがないが眠気には勝てなかった。

寝る子は育つと云うが私の場合はひたすら太っているようだ。


夕食時、珍しく夫と娘婿が一緒に晩酌を始めた。

夫の何と嬉しそうな顔。会話も弾み賑やかな夕食となる。

一緒に暮らし始めた頃は毎晩の事だったので懐かしくもあった。

もう11年目なのか、歳月の流れはとてつもなく早い。


娘からお小言ではないが昨夜の事で少し苦言を受けた。

あやちゃんが「おばあちゃんはうるさい」と怒っていたのだそうだ。

独りぼっちで居てもそっとしておくべきだったのだろう。

老婆心とは何と厄介なものだろうと改めて思った。

あやちゃんにとっては大きなお世話に他ならないのだ。


見守る事と放任する事とは違うのだと思う。

私から見ると娘は放任主義にも見えるのだが

あやちゃんの繊細な心を必死で守ろうとしているのだろう。

私はその繊細な心のドアを叩いてしまったのだと思う。

心配でならないのは信じていないことに等しい。

きっと乗り越えられると信じることが一番大切なことなのだ。


あやちゃんの笑い声が聞こえる穏やかな夜のこと。


※以下今朝の詩

   
          早苗

       ぽったんぽぽたん
       雨が歌っているようだ

       早苗は水を求めている
       声は嗄れてもう歌えない
       そよ吹く風に揺れながら
       好きだった歌を思い出す

       鳥にはなれやしないのだ
       まして雨になどなれない
       夢のように願うことで
       救われる時もあるだろう

       ぽったんぽぽたん
       軽やかな歌声を聴きながら
       夢の続きを追い求めていた

       遥かな空の彼方には
       きっと辿り着く場所がある

       早苗の声に耳を澄ます時が来た




2025年05月05日(月) こどもの日

二十四節気の「立夏」暦の上では夏の始まりとされ

緑がいっそう濃くなり陽射しが眩しくなる頃である。


川向かいのパン屋さんの庭にそれは見事な藤棚があったのだが

今日前を通るともう藤の面影さえ見えなかった。

立夏を知っているかのように儚く散ってしまったのだろう。

何だか目の前に「現実」を突き付けられたような衝撃を感じる。

散ってこその夏である。夏の花は何処で息をしているのだろう。



入院中の義父からは連絡がなかったが落ち着いているのだろうと

敢えてこちらから電話もせずに一日が暮れてしまった。

もう少しの辛抱である。順調に快復することをひたすら願うばかりであった。





連休も3日目となれば苦痛としか云いようがない。

一日の何と長いことだろう。

今日は気分転換を兼ねて夫の夏物のズボンを買いに行く。

余程思いがけなかったのか夫は子供のように喜んでいた。

定員さんにウエストを測って貰ったら何と100センチもある。

大きいサイズの専門店ではないので探すのに一苦労であった。

若い男性の定員さんが二人係で探してくれてやっと見つかる。

裾上げは無料で助かり20分程で仕上がった。

夏用の帽子も買う。我が夫ながらよく似合っていて惚れ惚れとする。

ズボン二枚とベルト、帽子で5200円の安さであった。

私の衣服と比べると何と安上がりなことだろう。

その上に夫が上機嫌となれば大きな得をしたように思う。


その上機嫌を良いことに昼食を誘ったら直ぐに了解してくれる。

西へと車を走らせ「一風」でいつものラーメンセットを食べた。

最近食が細くなった夫はやっとの思いで食べたようだ。

大食いの私には丁度良い量で何とも幸せな気分である。

「これで連休はおしまい」と思わず呟いていた。

欲を云えばきりがないのだ。これ以上望むことなど何もない。


帰宅後はひたすら眠る。久しぶりに母の夢を見た。

一緒に仕事をしている夢だったが言い争うことはなかった。

ほのぼのと穏やかな夢で母が懐かしくてならない。


「こどもの日」でもあり娘達はかつての海苔の作業場でBBQとのこと。

作業場は娘達がすっかり手を施しもはや別荘のようになっている。

生け簀もあり伊勢海老やアワビも育てているのだった。


あやちゃんは例の如くでお留守番であったが

部屋の灯りも点けず毛布にすっぽりと包まっていた。

その姿があまりにも憐れに思い声を掛けたが

「行きたくないけん行かなかっただけじゃん」と荒い声が返って来る。

娘達も最初から諦めており誘うこともしなかったのだ。

けれども誘ってやって欲しかった。それが老婆心である。

あやちゃんは寂しいとは一言も云わないが本心は誰も知らない。

背中を押してはならないが背中にそっと手を載せてやりたいものだ。


※以下今朝の詩(息子が初めて歩いた日のこと)


        こどもの日

      はじめて歩いた日は
      土手の緑が萌える頃
      そよ吹く風に支えられ
      ひよこのように歩いた

      きみの夢は何だろう
      おおきくなったらね
      未来は空のように広く
      果てしなく続いている

      苦労などさせたくはない
      涙を流す日がないように
      母は祈り続けてきたのだ

      よちよちと歩くその一歩が
      希望でなくてなんだろう

      きみは空を仰いでいた
      きらきらと輝く瞳には
      初夏の風が見えるようだ











2025年05月04日(日) みどりの日

雲一つない快晴。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

長いこと咲いてくれた桜草もとうとう散り始める。

右隣の奥さんは茎を切り落とさず来年まで残して置くのだそうだ。

とにかく手を入れてはいけないらしい。そっとするべき花である。

私は花の知識に疎いが右隣の奥さんは花博士のような人だった。



入院中の義父はやっとお粥が食べられるようになったとのこと。

今朝はスープも付いておりよほど嬉しかったのだろう。

声も弾んでおり嘆くこともせず私も目の前が明るくなった。

連休明けには退院が出来るかもしれないがそればかりは勝手が出来ず

医師の判断に任せるしかない。やはり俎板の上の鯉である。

大きな失望と焦りであるが義父の身体を一番に重んじるべきだろう。





午後けたたましくサイレンが鳴り響き近くの平野地区で火災があった。

元消防団長の夫は居ても立ってもいられなくなり現場を見に行くと云う。

現役の消防団員である娘婿は既に消火活動に向かっていた。

平野地区は海の見える高台にあり今は高級住宅地であったが

火災は昔からある住宅らしく隣家にも火が燃え移っているようだった。

野次馬などもっての外である。現場周辺は沢山の消防車であった。

興奮していた夫もやっと我に帰り邪魔は禁物と気づいたようである。


3時間ほど燃え続けただろうか。4時頃鎮火の防災放送が流れた。

帰宅した娘婿に聞けば3棟の住宅が全焼したらしい。

何と気の毒なことだろう。何もかも焼け尽くされてしまったのだ。

せめて住民の命だけは無事であって欲しいと願うばかりであった。


いつ何があるか分からない世の中である。

火災は日頃から用心していれば防げるが延焼は免れようがない。

台風や地震ともなれば決して逆らうことも出来ないのだ。

自然災害が起こる度に明日は我が身だと思う。

如何にして身を守るかだが何ととてつもなく大きな不安だろうか。


「笑点」が終われば「ちびまる子ちゃん」があり「サザエさん」がある。

日曜日の夜はこの上なく平和であった。

けれどもそんな平和とは全くかけ離れている人が居ることを忘れてはならない。

せめて朝の光だけは分け隔てなく降り注ぐべきなのだ。


※以下今朝の詩

    
        みどりの日

      こころが豊かになる
      ほんのりと緑が匂う
      それはある日の野辺

      若草は陽を浴びて
      きらきらと輝いている

      踏まれた日もあった
      冷たい霜に覆われた日も
      けれども嘆くことをせず
      空を仰ぎ続けて来たのだ

      そうして訪れた春である
      願いはきっと叶うだろう

      草として生きて来た
      小さな花だって咲く
      それはまるで夢のよう

      ゆらゆらと風になびく
      空はどこまでもあおい









2025年05月03日(土) 未来へ

若葉冷えを思わす朝であったが日中はすっかり初夏の陽気となる。

盛りを越えたツツジが少しずつ枯れ始めた。

椿のように花ごと落ちているのもあれば

茶色に染まり木にしがみついている花もある。

おそらく種類が違うのだろうがよく分からなかった。

どちらにせよツツジの季節が終わろうとしているのだ。



入院3日目となった義父はひたすら嘆くばかりである。

田植えどころではなくなりその失望はとても大きい。

おまけに絶食を強いられており何も口に出来ないのだそうだ。

飲まず食わずである。その辛さは並大抵のことではないだろう。

とにかく辛抱をと宥めるばかりだが何とも憐れでならなかった。





あやちゃん13歳の誕生日である。

「おめでとう」と告げれば「ありがと」と朝からとても機嫌が良い。

その笑顔を見るだけでほっと救われたような気持ちになった。

大きな葛藤もあるだろう。苦悩を抱えたままの日々である。

どうすれば良いのかその答えも分からないままであった。


娘が家に居るようになってから随分と明るくなったように思う。

やはりまだ母親が必要な年頃である。娘も感じているようだった。

そのせいか積極的に新しい仕事を探しているようにも見えない。

あやちゃんが一番に求めていることなのかもしれなかった。


長女として生まれ私達にとっては初孫であったが

それは目に入れても痛くない程に可愛くてならなかった。

成長を願いどれ程愛情を注いで来たことだろう。

今のように不登校になるなど誰も思ってもいなかった。


そんなあやちゃんにだって未来がある。

少女から大人になるのだ。それが未来でなくて何だろうと思う。

恋をする日も来るだろう。愛する人に巡り会う日も。

そうしてやがては母親になる日がきっと来るのに違いない。


見守ることを投げ出してはならないのだ。

今日明日のことではない。長い目で見待ってやらねばならない。

そうして何よりも傷つけてはならないのだと思う。


あやちゃんは決して独りぼっちではなかった。

家族一丸となり寄り添いながら守り続けて行きたい。


※以下今朝の詩


           底

      どん底ではあるまい
      微かに清い水がある
 
      五月の空は澄み渡り
      陽射しは分け隔てなく
      降り注ぐばかりである

      大河はゆったりと流れ
      海の声に耳を澄ませる
      希は絶たれはしないのだ

      もがきくるしみあがく
      そんな愚かさもやがて
      報われる日が来るだろう

      底を生きていればこそ
      仰ぐことが出来るのだ

      水面の上には確かに
      五月の空が輝いている




2025年05月02日(金) おつむにおむつ

明け方まで雨が降っていたが夜明けと共に青空になる。

まずまずの雨量だったので恵みの雨となったことだろう。

山里では明日からの連休中に殆どの田植えが終わりそうである。

義父の田んぼはまだ半分以上残っておりどうなることやらと心配であった。


早朝にやっと義父から連絡がありやはり入院になったとのこと。

余程容態が悪かったのか昨夜は集中治療室で夜を明かしたらしい。

どんなにか心細く不安だったことだろう。

まるでまな板の上の鯉のような状態である。


幸い下血は止まっているがまだ精密検査が必要とのこと。

連休明けまで退院は無理だろうとひたすら嘆いていた。

もし早めに退院出来ても直ぐに無理をするに決まっている。

頭の中は田んぼのことでいっぱいになっているようだ。

前回の入院の時も帰るなりの農作業であった。

その後もずっと死に物狂いに働いで来たのである。

いくら気が張っていても老体には厳しかったのに違いない。

絶対安静とのこと。今回は何としてもそれを守って欲しいと願う。


同僚の協力があり工場の仕事は一段落着いた。

義父からは7回も着信がありあれこれと気掛かりだったのだろう。

飼い猫の心配もしておりそれは義父の友人が引き受けてくれた。

とにかく何も心配はいらないと伝えるのが精一杯であった。


明日から4日間の連休である。私も仕事のことを忘れてしまいたい。

山あり谷ありならば谷川のせせらぎに耳を澄ませていよう。

そうしてまた山を越えて行く。決して挫けてはならない。


四万十川の土手には白いチガヤの穂が見え始めた。

野薊も咲き始めすっかり初夏の装いである。

季節はそうして移り変わって行くのだった。


※以下今朝の詩


         おむつ

      さてどうしましょう
      おつむがおむつになった

      おしっことうんちで
      おつむはよごれている

      清々しい五月が始まり
      新しい息が生まれたが
      吹き抜ける風に訊けば
      見つからない事ばかり

      希望は夢にひとしい
      叶えるための努力を
      惜しんではならない

      ひとつきりのおつむ
      いちまいきりのおむつ

      どうして捨てられようか
      どれほど汚れてしまっても
      嘆いてはならないのだ




2025年05月01日(木) 風薫る五月

夏も近づく八十八夜。曇り空の一日となり今夜は雨になりそうである。

八十八は「米」にも当てはまり昔は稲の種蒔きをしたのだそうだ。

縁起の良い日とされ豊作を願ってのことだろう。

今は田植えが早くなり廃れかけた習わしなのかもしれない。



今朝はまた一大事。アクシデントと云うべきだろうか。

義父が早朝から下血があり急きょ病院へ向かった。

県立病院には二度と行きたくないと云い張り市内の内科を受診したが

検査の結果やはりまた十二指腸潰瘍とのこと。

小さな病院では処置が出来ず渋々であったが県立病院へ向かう。

また入院だろうか、点滴は絶対に嫌だと泣きそうな声であった。

それがお昼前のことでその後連絡が途絶え今に至っている。

携帯の電源は切っており私から連絡することも出来ない。


入院を免れ帰って来るかもしれないと4時まで待ったが帰らず

仕方なく後ろ髪を引かれるように帰路に就いた。

県立病院へ行くことも考えたが前回もそうだったように

例の女性が来ている可能性が大きい。

もし入院となってもここは頼るしかないだろうと思った。

鉢合わせをしてしまえば義父もきっと困ることだろう。


リハビリの日であったがそれどころではなくキャンセルした。

おまけに仕事の電話がひっきりなしに掛かって来る。

どうしてこんな日に限ってと恨みがましくも思う。

帰宅してからも電話がありどっと疲れに襲われていた。


とにかく明日のことと気分を入れ替えているが

あがけばあがくほど泥沼に足を取られそうであった。

一番辛いのは義父である。どんなにか焦っていることだろう。

田んぼどころではないのだ。一歩間違えば命取りになる。


夕飯時に夫と話していたのだがもしかしたら母の仕業かもしれない。

生前の母は義父の稲作に大反対していて言い争いが絶えなかったのだ。

母がそれほど執念深いとは思えないが

ちょっと悪戯心があっても不思議ではなかった。

それは考え過ぎだろうと夫と笑い飛ばしてしまったが

母はずっと見ているのだ。魂とはそう云うものだと私は思う。

しかしそんな母ならばきっと助けてくれるだろう。

私の苦労を見て見ぬふりなど決してしないはずである。


荒れ模様の五月の始まりであったが穏やかな日もきっとあるだろう。

そう信じて明日は明日の風に吹かれようではないか。


※以下今朝の詩


          五月

       風が薫る季節である
       花々は精を尽くし咲き
       蜜を求めて飛び交う蜂

       やわらかで優しい風だ
       過ぎた日の哀しみなど
       些細なことなのだろう

       樹々は若葉につつまれ
       それぞれの想いを語る
       老いた樹は命を惜しみ
       若い樹は未来を夢見る

       薫ることは息であった
       風に身を任せていると
       途絶えることはあらず
       風そのものとなって
       空を舞い続けている

       じゅうぶんに生きたのか
       問えば問うほどに
       季節は深まっていくばかり






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