曇り時々雨。空はどんよりと重い。
九州北部と四国地方が梅雨入りしたとみられるとのこと。
何だかあやふやな気象庁の発表であった。
夜明け前、またしきりに虫の声が聴こえる。
「季節はずれ」と云う詩を書いてしまったが
何となく気になり後から調べてみた。
「夏に鳴く虫」で検索すれば目から鱗である。
コウロギやキリギリス等の秋の虫は夏にも鳴くのだそうだ。
命在るものである。当然のことなのだろう。
「季節はずれ」と決めつけていたことが誤りであることが分かる。
季節に関わりなく鳴きたい時に鳴く。それが自然の摂理であろう。
人もそうでなければならない。泣きたい時には泣けば良いのだ。
ただ虫たちは悲しくて鳴いているのではない。
それは精一杯の命の「息」のようなものなのだろう。

このところ娘が庭いじりに精を出していて
あれこれと種を蒔いていたのだが
オクラが発芽しもう15センチ程に伸びている。
「食べるようになるか分からんよ」と笑っているのだが
もう少し育てば花が咲くかもしれない。
娘はとても楽しみにしている様子で世話をし続けている。
実は私もオクラの苗を買って来ようかと思っていたのだった。
思うだけで実行には移せずすっかり諦めてしまっていた。
娘のように種を蒔くことなど思ってもいなかっただけに
娘の発想が頼もしく嬉しくてならないのだった。
どうか花が咲きますように。そうしてオクラが成りますように。

昨夜寝付きが悪かったせいもあり今日は二時間程のお昼寝。
これまでいくら寝ても夜に響くことはなかったのだが
眠れないのは流石に辛く戒めにもなったようだった。
かと云って特に何をする訳でもなく自室でだらだらと過ごす。
ひっきりなしに煙草を吸ってしまうので自分でもうんざりしていた。
これではいけないと思い茶の間に行き夫とテレビを見る。
「信長協奏曲」と「ポツンと一軒家」を見た。
眠くなることもなく最後まで見終わる。どちらも見応えがあった。
夕飯には「ポテトサラダ」を作る。
お向かいの奥さんが新じゃが芋を沢山持って来てくれたのだ。
家庭菜園ではあるが色んな野菜を作っており尊敬せずにはいられない。
買物に行っても野菜を買うことは殆どないだろう。
家計がどれ程助かることだろうと娘と話したことだった。
荒れ果ててはいるが姑さんの残してくれた畑があるので
娘に家庭菜園を勧めてみたがそこまではしたくないのだそうだ。
けれども今はその気が無くても近い将来にはと期待している。
「家庭菜園」は私の夢でもあった。何と遠ざかってしまったことだろう。
辺りはすっかり暗くなりぽつぽつと雨が降り始めている。
明日は大雨になるそうでそれも梅雨らしさなのだろう。
これから雨の日が多くなるが「心には太陽」をと思う。
どれ程降り続いても止まない雨はない。
明るく笑顔で過ごしていきたいものだ。
※以下今朝の詩
季節はずれ
虫の声が聴こえる まるで秋のようだ
こおろぎだろうか その姿は見えない 夏草の繁みのなか 季節外れであっても 生きているのだろう
私だって鳴きたい そうすれば誰かが 耳を澄ませてくれる
こんな処で生きているのか さぞかし寂しいことだろう
季節の掟を守れなくなった けれども疎外されはしない
声を限りに鳴き続ける たとえ雨の季節であっても これほどの命があるだろうか
曇りの予報であったが思いがけずに晴れる。
洗濯物を乾燥機に入れてしまい残念でならない。
明日からしばらくは雨の日が続きそうで
四国地方も梅雨入りとなりそうである。
以前にも記したが梅雨はなくてはならない季節であった。
日本ほど水に恵まている国はないのだそうだ。
その分水害も多い。豪雨にならないことを祈るばかりである。
職場は休みではなかったが同僚も午前中は通院であった。
いつも私だけ休ませてもらっており心苦しかったが
今日は気兼ねなくゆっくりと休むことが出来る。
朝ドラ「チョっちゃん」を見てから一時間ほど朝寝をした。
毎朝眠気と闘っているだけに随分と気が休まる。
もう週末の恒例となっており起きて活動することはない。
10時にはカーブスへ。久しぶりに友人と一緒になり嬉しかった。
SNSを通じて仲良くなった友人で余程縁があったのだろう。
昔からの友人のようによく気が合う。
ご主人とも仲良くさせてもらっていたが2年前の夏に病死した。
亡くなる数日前まで毎朝SNSを発信していたのが嘘のようである。
病魔と闘いながら気丈に振舞っていたのだろう。
毎朝の発信は平穏そのもので「死」を連想することは一度もなかった。
覚悟はしていたとは云え彼女の傷心は大きく心が痛んでならなかった。
励ますことは出来ずただ共に悲しみに寄り添うことを選ぶ。
最愛の人を亡くすことはまるで深い闇の底の現実でしかない。
そんな彼女がカーブスへ通い始め随分と明るくなった。
身体を動かすと心も動くのだ。傷も少しずつ癒えて行く。
今日も一生懸命に筋トレに励んでおりその姿に感動さえ覚える。
日にち薬が効いているのだ。その薬が絶えることはない。
お昼に冷やし中華とバッテラ寿司を平らげまたお昼寝をする。
再婚する夢を見た。その段取りを夫がしてくれたのだ。
奇妙な夢であったがどんな新婚生活が始まるのだろうとわくわくする。
途中で何度か目が覚めたが結局4時まで寝ていた。
先日アマゾンに注文していた「氷結」がまだ届いておらず
「やまと運輸」に問い合わせしたら何と荷物が行方不明とのこと。
大阪堺から発送しているが四万十営業所にはまだ不着だと云う。
あってはならないことだが運送会社を責めても始まらない。
ロボットの仕事ではないのだ。大勢の人の手あってのことである。
やまと運輸のドライバーの人から折り返し電話があり
アマゾンに相談すれば新たに発送してくれるはずだと教えてくれる。
代金も不要とのこと何と助かるアドバイスであった。
早速アマゾンに連絡し再発送の手続きをしてもらった。
迅速丁寧な対応でさすがアマゾンだなと感心するばかりである。
もし遅れて先の荷物が届いても返す必要はないのだそうだ。
そうすると2ケースの氷結となり飲み放題である。
「やったあ、もうけたかも」もうすっかりその気になっていた。
今夜も虫の声が響き渡っておりまるで秋のようである。
季節外れではあるが虫達も精一杯に生きているのだろう。
これから梅雨の季節、猛暑の夏を乗り越えて全うする命であった。
私も鳴けるだろうか。時々声を張り上げて鳴いてしまいたい夜がある。
※以下今朝の詩
駅
午後6時なると駅に 蒸気機関車が着いた その雄大な姿を眺め 子供等は家路に就く
ばいばいまたあしたね 晩ご飯はなんやろうね
しばらくすると 蒸気機関車は出発する 宇和島だろうか 松山だろうか それは見知らぬ町であった
小さな駅には売店があり ガムやチョコを売っていた お小遣いを貯めてそれを買う チョコは滅多に食べられなくて 子供心に何と幸せだったことか
線路は行き止まりになっていて そこには真っ黒い石炭の山がある 冬には豆炭を探すのが日課であった
私の分と弟の分ふたつの豆炭 母がお風呂の焚き口に入れてくれる 真っ赤に焼けたそれは行火になった
もう帰ることはあるまいが 小さな駅は今もそこにある 夏には向日葵が咲くのだそうだ
概ね晴れ。夕方から雲り空となった。
日中の気温は今日も30℃に近くなり蒸し暑さを感じる。
朝の山道で今朝は栗の花が咲いているのを見つけた。
写真では紹介できないがクリーム色をした細長い花である。
そんな優雅な花がイガ栗になるとは想像もつかない。
栗の花が咲き始めると梅雨の季節が近いのだそうだ。
四国も来週早々には梅雨入りの発表がありそうである。
自然の植物と季節の関りは軽視できない深みがあるようだ。
そうして知らせてくれていることを忘れてはならない。

義父は日毎に元気を取り戻しており今日も動き回っていた。
最後の田植えを15日に決めたらしく代掻きにも精を出す。
また友人達が駆け付けて来てくれることだろう。
義父一人では到底無理な米作りであった。
その分義父も友人達に尽くす。助け合いの精神あってこそのことだった。
工場では同僚が大型車のエンジン脱着をやっと完了させる。
難しく複雑な作業だけあってその苦労は並大抵ではなかった。
本音はとても嫌だったのだそうだ。私もどれ程宥めたことだろう。
義父は厳しく云うばかりで何とも憐れな日々であった。
来週には中古エンジンを取り付ける作業が待っている。
私も励ましながら応援してやりたいと思う。
工場の仕事も義父の体調も順調になっており肩の荷が下りたようだ。
今日は金曜日でもあり少し早めに2時で終わらせてもらう。
疲れは感じず何だかウキウキと心も身体も軽かった。
サニーマートで買い物を済ませ3時にはもう帰宅する。
あまりに早い帰宅で夫が驚いていた。
二階の自室に上がると室温が32℃近くあり思わず声が出る。
開け放した窓からはそよとも風が吹き込んでいなかったのだ。
夕食前から「らっきょう」を食べ始めたら箸が止まらない。
娘は匂いを嫌がるが食べたくてならなかったのだ。
夕食時にも食べたので全部で20粒ぐらい食べたように思う。
このまま食べ続けたら2キロのらっきょうも直ぐに無くなりそうだ。
食後ふと気になって「らっきょうの効能」について調べてみた。
血行促進、疲労回復、高血圧の予防にもなるようだ。
しかし最後には「食べ過ぎ注意」と書かれておりはっと驚く。
強い殺菌作用があるため胃の粘膜を刺激するのだそうだ。
胃もたれや下痢の原因にもなると書かれており衝撃が走る。
一日に3〜5粒が適量だとも書いてあった。
どうしよう20粒も食べてしまった。食べ過ぎにも程がある。
胃弱だと云うのに何と無茶なことをしてしまったのだろう。
今更後悔しても遅くとにかく明日から気を付けなければいけない。
調べることをしなかったらきっと食べたいだけ食べたことだろう。
それにしてもネットの便利なこと。
SNS等を見ていても解らない言葉があると直ぐ調べる癖が付いた。
それだけ無知な証拠でもあるが70の手習いである。
調べても直ぐに忘れてしまうので手帳に書き記すことにした。
それがどんどん増えていく。凄いな私と自己満足が募るのであった。
生きてさえいれば学ぶことが出来るだろう。
そう思うとまだまだこれからなのだと思えるようになった。
もっともっと「知らないこと」に出会いたい。
例えば「死後の世界」とか。「魂の行方」とか。
※以下今朝の詩のようなもの
帰宅
6時間のパートである 余程忙しくない限り 2時半に仕事を終える
帰りは朝の山道ではなく 自動車専用道路を走る 時速90キロが心地よい
ラジオは「FMはたらんど」 三橋美智也とか島倉千代子とか かなり高齢者向きの曲ばかり 母ならば喜ぶだろうなと思う
買物はいつもサニーマート 3時になると半額品が多い 片っ端から籠に放り込む セルフレジで精算を済ますと 店員さんがカートに載せてくれる どれほど助かっていることだろう
4時に帰宅すると夫が外に出て来て 荷物を台所まで運び込んでくれる 毎日のことで有難くてならない
アイスコーヒーを飲みつつ煙草を吸う 窓の外は西に傾いた陽であふれている
土手の道を散歩する犬の姿が可愛い 夏草が風に揺れているのも好きだ
今日もよく頑張ったのだなと 空に向かって深呼吸をする
2025年06月05日(木) |
まあこんなもんだろう |
二十四節気の「芒種」稲や麦など穂が出る植物の種を蒔く頃。
今は田植えが早くなったぶん種蒔きも早くなっている。
北海道でももう田植えが始まっているのだそうだ。
昔の人は節気に習い農作業をしていたのだろう。
子供の頃には田植えは6月、稲刈りは10月であった。
朝の道の「くちなし」はやはり間違いではなかった。
車を停めることは出来なかったが微かに芳香が漂う。
周りの若葉に包まれるように咲く姿は何とも可憐である。

今朝も出勤するなり義父の姿が見えておりほっとする。
今日は宿毛市で農機具の実演会があり見に行った。
何でも農機具を自動操縦するのだそうだ。
車もそうだが農機具までもがと驚く。
義父も興味津々の様子で良き気分転換となったことだろう。
働くばかりではなく楽しみも無くてはならない。
お昼には帰って来たが食欲が全く無いと云う。
少し動けば空腹にもなるだろうとそのまま田んぼに出掛けた。
気温は30℃あり熱中症の心配もあったが
止めても聞き入れるような義父ではない。
幸い1時間程で帰って来て何とか昼食を食べられたようだ。
義父の友人が地鶏の卵を沢山持って来てくれて有難いこと。
「卵かけご飯が美味いぞ」と笑顔を見せていた。
リハビリがある日だったので2時半過ぎに退社する。
一週間があっという間だった。U君も同じことを云う。
今日も腰を集中的に揉んでもらい痛いようで気持ち良い。
リハビリ後には診察もあり医師との会話が弾む。
手術はあまり高齢になると出来ないのだそうだ。
私は既に諦めており「このまま死んでもえいけん」と告げれば
「そんなあほなことを」と医師は苦笑いしていた。
先日の血液検査の結果も出ておりやはり白血球の数値が高い。
慢性的な喉の炎症と喫煙、肥満も原因のようだ。
こればかりはどうしようも出来ない。
病的な程の喫煙と食欲である。今更我慢することも出来なかった。
自分を否定することもなく「まあこんなもんだろう」と思う。
5時前に帰宅したら娘がカレーを作ってくれていた。
玄関にまで良い匂いが漂っていて嬉しくてならない。
カレーと云えば「らっきょう漬け」である。
先日から少しずつ食べているが日毎に美味しくなっていた。
夫も好きなので二人でポリポリと食べる。
カレーはお昼に作っていたそうでいつも以上に美味しかった。
平穏をそのまま絵に描いたような夜である。
めいちゃんの宿題が終わったようで「おかあさーん」と呼ぶ声。
開け放した窓からは夜風がそよそよと吹き込んで来る。
不思議なのは蛙ではなく虫の声が聴こえているのだった。
まるで夏の終りのような錯覚を感じる。
振り向けば母の遺影が微笑んでいた。
「お母ちゃんお疲れ、また明日も頑張ろうね」
母と共に過ごした一日がそうして終ろうとしている。
※以下今朝の詩
出勤
午前7時50分に家を出る 四万十大橋を渡り東へ向かう 伊豆田トンネルを抜けると 右側の山道へ入り峠道へと 猿や狸と出会うこともある
峠を越えると田園地帯が広がり 若い苗が朝風に靡くのを見る
毎朝必ず会うのは散歩中の老人 杖を両手に持ちよろけそうである 家は何処だろうといつも気になる
宮ノ川トンネルを抜けるともう直ぐ 職場の看板が見えるとほっとする
看板猫のみい太が走り寄って来る 彼はいつも空腹を訴えているのだ
タイムカードを押す いつも8時25分であった
熱い緑茶を飲めば臓腑に染み渡る
そうして私の一日が始まるのだった
爽やかな晴天。気温は30℃近くあったが風があり過ごし易い一日。
高知市内では31℃を超え今年初の真夏日だったようだ。
今朝は山影に咲く「くちなしの花」を見つける。
初夏に咲く花には違いないがまだ咲いているとは思ってもいなかった。
車の窓を開けていたが芳香は匂わず見間違いだったのかもしれない。
明日の朝もう一度確かめてみようと思っている。
くちなしの花は古くから縁起の悪い花だと云われていたらしい。
「死人に口なし」を連想させるからだそうだ。
けれども花言葉は「優雅」で優しい花であった。
純白の絹のような花びら。触れずにはいられない花でもある。

義父がやっと平熱になり顔色も明るくなった。
しかしまだ食欲がなくまた2キロほど痩せてしまったようだ。
高齢になり痩せると筋肉も当然のように落ちるだろう。
体力勝負の日々だけあって心配は尽きない。
体調が良くなったせいか今日は上機嫌であった。
田んぼの見回りにも行かねばならず颯爽と出掛けて行く。
あれもこれもと動き回ればまた疲れも出て来るだろう。
くれぐれも無理をしないようにと告げるばかりであった。
お昼には帰って来て2時間ほど居室で休む。
それから車検場で整備完了の車を仕上げてくれた。
そんな順調が嬉しく私も遣り甲斐を感じすにはいられない。
書類を書き終えてから少し義父と話していたのだが
この半年の何と不運続きだったことだろう。
新年早々の怪我に始まり二度の入院。今回の発熱と続いた。
「何かの祟りだろうか、取り憑かれているのかもしれん」
それは笑い話ではなく心底身に沁みているように思われた。
「お祓いをしてもらおうか」義父は本気でそう云うのだった。
悪いことが続く時は誰にでもあるものだ。
どうして自分ばかりがと恨めしく思う時もある。
けれども決して悪いことばかりではない。
良いことが続く時もきっとあるのではないだろうか。
義父も母もそうして私も苦労の多い人生だった。
人生の歯車はそうして回り続けているのだろう。
ふと幸せを感じれば直ぐに消えてしまいそうで怖くなる。
大きな落とし穴があるのではないかと不安さえ感じるものだ。
ようは幸せに慣れていない。むしろ不幸に慣れているのだろう。
けれどもいったい何が足りないのだろうと思う。
こんなにも恵まれているのに何が不服だと云うのだろう。
「幸せ」は「仕合せ」とも書く。
日々糸を紡ぐように仕合せて生きて行かねばならない。
もし不運な境遇になっても仕合せた結果ではないだろうか。
※以下今朝の詩(日記の内容とは全くそぐいません)
転校生
山と田圃ばかりの村だった 何の前触れもなく突然に 父の転勤が決まり 引っ越すことになったのだ
56年前の6月の事である 中学生活にも慣れた頃だった
何と遠い道のりだったことか 海辺のちいさな町に辿り着く 海が鳴るのを初めて聴いた
同じ高知県なのに言葉が違う まるで異国のようにおもえた
誰とも話せない日々が続く 校舎の窓から海ばかりを見ていた
ある日隣のクラスの男の子に 呼び出され校舎の裏庭に行った
「俺のことどう思うちゅう?」 どうもこうもありはしない 見ず知らずの男の子であった
どうして恋など出来るだろう たとえどれほど海が鳴っても 海の一部になどなれはしない
紫陽花の季節であった 白い花が次第に青く染まる頃
私はもう独りぼっちではなかった
梅雨入りを思わすような小雨が降っていたが次第に曇り空となる。
夕方からすっかり晴れて今は夕焼雲が紅いお魚のようだ。
明日から数日は晴れるそうで梅雨入りはもう少し先のようである。
朝の道ではアマリリスがぐったりと項垂れており枯れ始めていた。
アマリリスも散れない花で茎にしがみついたまま朽ちて行く。
そんな定を嘆きもせずに球根はまた巡り来る季節を待つのだった。
私にも球根のようなものがあれば良いのだがどうなのだろう。
例えあったとしても嘆かわしく腐ってしまうのかもしれない。
永遠の命など在りはしないのだ。そんな夢を見ることも愚かなことである。

義父は今日もまだ微熱があり本調子ではなかった。
発熱からもう5日目である。どれほど体に堪えていることだろうか。
お昼過ぎに車検が一台。任務であるかのように仕上げてくれた。
その後またハウスへ行くと云って聞かない。
長靴を履いてしまえばもう止めることも出来なかった。
苛立ちと焦りのせいだろうか酷く不機嫌である。
そんな時はなるべく会話を避けるのが一番であった。
2時を過ぎても帰らず待っても仕方なく思い退社する。
自動車専用道路を時速90キロで走っていたのだが
後続の大型車が車間距離を詰めて来て恐怖心を感じる。
「煽り運転」なのだろうか。初めての経験であった。
サニーマートまで帰り着くと何とほっとしたことだろう。
タイミング良く半額品をゲットしすっかり笑顔になっていた。
ふとお米売り場を見たが備蓄米は売っていなかった。
大手のイオン系のスーパーなら売っているのかもしれないが
サニーマートは高知県のみの中小企業である。
我が家は義父の作ったお米を食べているので買う必要はないが
先月は義父の入院もあり仕方なく3回程買ったことがあった。
特売のお米は美味しくないので少し高めのブランド米を買う。
美味しいお米を食べ慣れていると当然のことだろう。
だからなのか備蓄米には大きな抵抗がある。
もし義父のお米が無くなっても決して買うことはないだろう。
義父に云わせれば「飼料米」以下なのだそうだ。
古米ならともかく古古古米などとても食べようとは思わない。
お国も報道も消費者のことばかりで生産者は話題にも上がらない。
手間暇かけてどれ程の苦労をして米作りをしていることだろうか。
後2ヶ月もすれば収穫だが百円でも高い値でなければ報われない。
それはお米に限らず農作物全般に通じることだと思う。
野菜の値段は今は少し落ち着いて安くなって来ているが
高い時期にはそれなりの理由があったからなのだ。
高い高いと文句を言うのは大間違いだと思う。
家計は相変わらず苦しいが義父のお米に助けられている。
もし買わなければいけなかったら大きな痛手となったことだろう。
炊きたてのご飯に昆布の佃煮を載せて食べるのが最近のブームであった。
義父が苦労して作ったお米である。朝に晩にと感謝せずにはいられない。
今は苦境に立たされているがどうか無事に収穫できることを祈っている。
※以下今朝の詩
音符
雨だれの音が耳に心地よい まるで空が歌っているよう
音符のような雨粒が踊り 五線紙を埋めていくのだ
もう弾かなくなったピアノ 子犬のワルツが聴こえて来る いつも同じところで間違えた
わたしは完璧にはなれない 出来損ないの玩具のように 螺子が巻けなくなっている
少し動いては立ち止まった 人生なんてきっとそんなもの
相応しくないのかもしれない もう音符のようには踊れない
それでいて歌いたがるのだ 謳歌するために生きている
朝のうちは曇り空であったが次第に雨が降り始める。
気温は20℃程と低目であったが少し蒸し暑さを感じた。
朝の土手の道には茅に代わり姫女苑が満開となる。
小さなマーガレットのような花で何とも可愛らしい。
野の花は不思議なもので花束にして持ち帰っても
花瓶の水を吸うことが出来ず直ぐに萎れてしまうのだった。
自然の環境でなければ生きて行けないのだろう。
だからむやみに手折ってはいけないのだと思う。
梅雨の季節が終り本格的な夏となると土手の除草作業が始まる。
大きな草刈り機が右往左往と土手を這うのだが
無残なことに姫女苑は薙ぎ倒される定めであった。
他の草に混ざりまるで干し草のような姿に変わる。
そうして姫女苑の季節は終りを遂げるのだった。
けれども根は強く残りまた巡ってくる初夏に咲くのである。
人間はどうだろう。薙ぎ倒されてしまえばもう命はない。
いつか必ず最後の季節がやって来る。

義父を気遣いながら山里の職場に着いたが
9時になると義父が姿を見せてくれてほっと一安心だった。
しかしまだ微熱があるらしく本調子ではなかった。
病院へ行くことを勧めたが断固として首を横に振る。
余程のことが無い限り「病院嫌い」を貫く人であった。
金曜日に車検整備が完了していた車があり検査をしてくれる。
書類を整えればもう義父の役目は終りであった。
その一時間が限度だったのだろう。その後直ぐにまた寝込んでしまう。
とにかく安静が一番である。むやみに声も掛けてはならない。
今年も田螺が異常発生し稲を食い荒らしているのだそうだ。
一刻も早く消毒をしなければ稲が全滅してしまうと云う。
雨が降ればそれも出来ず大きな焦りになっているようだった。
その上に体調の悪さが加わり思うように行かないことを嘆く。
苛立ちは募るばかりで何とも憐れでならない。
2時半に退社。義父に声を掛けたが眠っているようだった。
食事のこともあり例の女性が来てくれたらと願うが
何かあったのだろうか。強がっているようにしか見えない。
高齢者の独り暮らしである。やはり頼れる人が必要に思えた。
夕方から雨が本降りとなり今も降り続いている。
日が随分と長くなり窓の外はまだ薄っすらと明るい。
めいちゃんは宿題をしておりあやちゃんの姿は見えない。
娘夫婦だけの夕食も侘しいものだろう。
私は何となくくすぼっている。疲れているわけではないが
陽気に微笑むことが出来ない。いったい何が不安なのだろう。
チクチクと何かに刺されているような気がするのだ。
虫ではない。何か得体の知れない物が忍び込んで来る気配を感じる。
生きているのだろうかと思うがそこには確かに息があった。
※以下今朝の詩
紫陽花
六月の色は紫陽花青 明るい青紫色のこと
目に浮かぶのは大輪の花 その鮮やかな色に心惹かれる
梅雨空に咲き誇れば 雨が優しく寄り添う 晴れの日はまぶしく いっそうと輝きを増す
散れない花であった 落ちることも出来ない ただ朽ちて枯れるだけ やがては化石の花となる
そんな宿命を受け止めて 何と健気で逞しいことか
花として生まれたからには その命を全うせねばならない
季節を精一杯に生きている
快晴となり気温は夏日となったが蒸し暑さはなく過ごし易い一日となる。
扇風機も不要で開け放した窓からの涼風が何とも爽やかであった。
昨日の夜からもうカレンダーを6月にしており
今月の色は「紫陽花青」なのだそうだ。
6月の季語でもあり何と風情のある色の呼び名であろうか。
今年は気温が高いせいだろうかお向かいの紫陽花はまだ色がない。
我が家には紫陽花が無いので毎年楽しみにしている紫陽花だった。
憐れに思うのは花屋さんの紫陽花で未だに枯れた紫陽花を並べている。
母の日の頃からなのでもう随分と日にちが経った。
半額のものもあれば2700円の値札が付いているものもある。
愛でるのはあまりにも無残で紫陽花が可哀想でならない。
母の日商戦でおそらくハウスで栽培したのに違いないが
そこまでして無理やりに咲かせる必要があったのだろうか。
しかも売られているのである。それは処分にも等しかった。

今日も最低限の家事だけで殆ど寝てばかりの一日だった。
起きているとひっきりなしに煙草を吸ってしまう。
寝ていれば吸わなくても良いので好都合にも思える。
日記を読み返していると一昨年の6月には禁煙外来に通っていたようだ。
挙句には「禁煙鬱」となり精神的に辛かったことを記してある。
再び禁煙外来に通うことも考えたが余程の勇気が必要に思う。
正直云って自信がなかった。失敗したことがずっと尾を引いている。
もう我慢しないと決めてから気は嘘のように楽になったが
どうしようも出来ない落とし穴の中でもがいているようにも思える。
この先いったいどうなるのだろう。吸いながら死ぬのかもしれない。

山里の義父が気になり電話をしてみたが
まだ微熱があるにも関わらずハウスへ苗の様子を見に行くと云う。
一日でも水遣りを怠れば苗が枯れてしまうのだった。
全盛期に比べると僅かな苗でありもう助っ人は断っていた。
再び頼んでみるように告げたがもう今更云えないらしい。
ハウスの中は40℃程の高温であり熱中症の心配もあった。
しかし義父は気丈にも「大丈夫やけん」と云い張る。
夕方になり電話があり「俺のアイスを知らんか?」と訊かれた。
先日お客さんからバニラアイスを頂き事務所の冷蔵庫に入れてあったが
先週私が義父の分も食べてしまっていたのだった。
ひたすら謝れば怒りはしなかったがとても残念そうな口ぶりである。
食欲が全く無いらしくアイスなら食べられそうだったらしい。
ハウスで暑い思いをしたのだろう。何とも気の毒でならなかった。
つい例の女性の名を告げてしまったが今回は知らせていないとのこと。
知っていれば必ずアイスを届けてくれただろうにと思うが
義父にも思うところがあるのだろう。要らぬ口を叩いてはならない。
コロナの心配もあったが鼻声になっておりただの風邪のようであった。
「明日は仕事をせんといかん」と気丈な様子である。
無理をさせてはいけないが結局は無理を強いてしまうだろう。
心苦しくてならないが義父の思うようにさせてやりたいと思う。
平穏には仮面がある。そのように見せかけていざとなれば陥れる。
長いこと生きているとそんな場面にも多く関わらざるを得ない。
「こんなはずではなかった」と何度呟いたことだろう。
けれどもその度にすくっと立ち上がりまた前を向き歩み続けて来た。
人生もまんざらではない。苦もあれば楽もあるのが愉しいものだ。
※以下今朝の詩(お目汚しでしかありません)
おんな
おんなのような夢を見た 嫌だなと思いながら 何故か胸がときめく
死んだはずのかあ君が 真っ白いスーツを着て 刑事のはずなのに やくざみたいだった
逃げる私を追い駆けて来る 今更恋に落ちる訳にはいかない
逮捕されて手錠を掛けるのか それだけは避けなければならない
見たこともないような山道を 落石を避けながら走った 振り向けばかあ君がいる 懐かしいような笑顔だった
もうおんなにはなりたくない 捕まってたまるものかと走る
胸が痛くてたまらないのだ
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