カウントシープ
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生きていたものが死して、冷たく硬くなってしまうと、もう其処に魂はないように思える。死んだものは到底生きているようには見えないし、其処に於いておけばさらに死の匂いは強くなってくるからだ。
死んだときに漂う匂い、あれは一度嗅いだら忘れられない。体内からそういうガスでも発生するのか、みな一様に同じような匂いがしてきて、その匂いがするものが倒れていたら、それはもう死へ旅立っていくものだろう。
死者になりきってしまった骸など、もう同質のものとして触れることなどできないだろう。それが身内や愛するものならばそこにまた特別な感情が流れるだろうが、もしそれが他者であったとしても、畏怖と先に死んでいくものへの哀れみのような感覚と、どうか安らかにと願うだろう。
この骸から抜け出た魂がまだこの側にいて、死体とともにその辺りにいるのだろうと思うと、そして無念のために成仏できないかも知れないと思うと、思わず背筋もぞっとするのだけれど、そうして目の前に横たわる死んだばかりの人を前に、冷たい手を、光を移さなくなった瞳を、ひとつひとつのかつて生きていたものを前に、冒涜してはならないという思いは強く感じた。
だから、人を食べるつもりならば、殺してすぐにばらさなくてはならないと思う。まだ柔らかいうちに血抜きをして肉片にしてしまわなければ、それは冷たく硬いものと成り果ててしまうのだから(我々は普段そうやって肉を食べている)。
愛するものを食べて永続的に取り込もうという習慣がもしあるとするならば、愛するものを切り刻まなくてはならない。その覚悟をもってしても食らうならば、そこには宗教的な意味合いが深く潜んでいるのだろう。宗教と関係ない倒錯的な行為としても行われるかもしれないが、そうして取り入れたと感じ続けることは果たしてできるだろうか?
ロビン
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