〓月夜の日記〓(つぶやき版)
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2001年09月19日(水) 蒸発



ある日突然 家族がいなくなることを

こんなふうにいう。 蒸発。






うちの母親は、 

わたしが小学生のとき 蒸発した。


確か、5年か6年だった。



その日は、



なんの変わった様子もなく、 母親は 身支度をして 出て行った。

わたしは、友達をちょうど連れてきて、


部屋で遊ぼうと思っていたのだった。


わたしが家に帰ってきたから、よけい 今思えば そそくさとしていた。






『ちょっと出かけてくるから』
あせって 母親はそう言い残して ふつうにでていった。



わたしは、そのあとも、友達と遊んで、
いつものように、 バイバイっていって、 夜が来た。







それっきり、  帰ってこなかった。




ちょうど 夏休みだった。




父親が 怒ったように あたしに問いただした。


最後に見たのが、あたしだったから。




それからは、


母親のいない生活だった。



母親から、連絡があるまでは。




その間のことを、あたしはよく、覚えていない。





あまり考えないように、していたのかもしれないし、


いつものように、 友達と遊んでいて、忘れたのかもしれない。



父親と、母親、どっちにつくのか、と 


兄とこっそり話し合ったりもした。



あたしは 母親についていくと言った。 そのときは。








ある日、連絡が入った。




父親が電話をとって、



しばらくして、あたしにかわった。



兄は家にいなかった。







受話器から、母親の声がきこえたとたん、




あたしは 一気に泣き出した。



「お母さん、かえってきてよ〜〜〜!!!!」 と

すっごく 泣いて言い出した。


実は自分でも、びっくりしていたのだけれど。


だってほんとに、泣く気なんか、なかったのだ。





すごく泣いているわたしをみて、父親は 半分満足げに見えた。

わたしが、泣くから、母親が帰ってこようと、

思うと、思ったんだろう。










父親本人が、一番困ってるのだ。実は。


わたしなんて、 そのときは、毎日夏休みで、遊んでばかりで

たいして、気に病んでなかった。



今に始まったことじゃなかったし。



それまでも、家をでた経験はある。



そのときは、 あたしも一緒だったけど・・・・・








『何か欲しいものはある?』


母親が 言うから、あたしは 


『本が欲しい』といった。 読書感想文を 書く宿題があるからって。





『分かった、じゃあ、本を買って帰るね』



わたしは、 うなづきながら、 なきじゃくっていた。




父親に受話器を渡して、ずっと 泣いていた。


泣く気なんか、全然なかったのに。







『こんなに 泣いてるんだぞ! 早く帰ってこい!』


父親は 偉そうに 言っていた・・・・・・・  最悪・・・







それから、 数日して帰ってきた。



母親がいなかったのは、 夏休みの1ヶ月間くらいだったと思う。




もう 薄れた記憶だけど、



あの 出て行くときの、母親の顔が、 今でも忘れられない。




情けない父親は、



『もしこのまま、おかあさんが帰ってこなかったら、
 テレビに出て、 呼びかける番組に出るしかないぞ』と 言っていたのだ。




すごく いやだった・・・・ 



いつも、わたしにとばっちりが来る。 兄はいつも、いなかった。



そんな番組、その当時 しょっちゅうやっていた・・・


家出人捜索番組





行方不明・・・・蒸発・・・・ 大きな写真をだして、

泣きながら 家族が訴える番組・・・・



大嫌いだった。


子供ながらに、 情けなくて、あんなの 見ていられなかった。


蒸発した人を 探す・・・・


行方不明なら、 警察や・・・・ それはすっごく心配だけれども。




あとから、聞いた話では、


母親は、駆け込み寺のような、女の人が家庭のいろいろで、

どうしても 家を出るという相談を受け付けてくれるところに

逃げていたんだという。




うちの父親のせいだ。



暴力と、ちゃんと仕事をしないという、決定的な致命傷のせいだ。



父親失格。



自覚なし・・・・   




子供ながらに 思っていた。 別れたほうがいいのに、と。




すごく、いやだったけど、それしか、方法はないのだろうと。







結局、今も離婚してないんですけどね。 




今じゃもう、昔の暴れん坊の 面影もうすい。







ふっと、 思い出した。




あの 夏休みのことを。






父親は 今、 60を過ぎて、 ガンになったが、元気。


仕事は何もしていない。






母親は 今も 働いている。


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