Sun Set Days
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今日は7人で飲み会。 最近はちょっと飲む機会が多い。 僕はいつものように中ジョッキを一杯でその後はウーロン茶ばかりを飲んでいたのだけれど、それでも充分気持ちよく酔うことができる。安上がりだ。 友人の中には、毎晩必ずアルコールを飲まなければならないという人ももちろんいる。 お酒が美味しいのだとしみじみと語るのだ。 なるほど、とか思う。 そういう話を聞いていると、確かにおいしいのだろうなと、お酒なしの人生なんて信じられないのだろうなと。
じゃあ、自分にとってそういうものはあるだろうかと考えてみる。 好きなもの。
…………あるにはあるのだけれど、どうもうーんと言ってしまうようなものばかりだ。
たとえば、
チョコレート
カレーライス
ハンバーガー
こうして羅列してみると気がつくのだけれど、そこから導き出されるのは僕が子供味覚だということだ。 もちろん、天婦羅とかお寿司とか、あるいは手の込んだ家庭料理だとかそういうのも嫌いじゃない。 けれども、基本的には致命的に子供味覚が染み付いてしまっているような気がする。 カレーライスを与えておけばとりあえず嬉しそうに食べるしね。 でもそれを友人にとってのお酒のように語るとどうも変な感じになってしまう。
「いや、チョコレートがね、舌の上でとろける瞬間が最高だよね」とか、
「カレーライスにね、カツがのっているともう言うことなしだよ(←そりゃカツカレーだろ! と言われそう)」とか、
「いやあ、今日はちょっと奮発してビッグマックにしたよ」とか、
話していても「ああそう」と一言で終わってしまうような感じがしてならない。 どうにもインパクトというか味わいのようなものに欠けるのだ。 お酒が好きだという話になると、結構そこから話が派生してどんなお酒が好きかとか、一緒に食べるつまみでは何がいいかとか、日本酒の産地の話になったりする。 けれども、カレーライスの話をしていて海老カレーとハンバーグカレーがどうとか、ふくしん漬けがどうとかそういう話になることはほとんどない。 まあ、別にそういう話をしたいわけじゃないから別によいのだけれど。
ただ、普段はそういう食生活をしているほうなのだけれど、旅に出るとその土地のものを食べたいタイプだったりする。 これはなかなかに驚いてしまうことなのだけれど、旅先でなんでもいいという人が意外といたりするのだ。 ええーと思う。 だって、旅先で普段と同じものを食べてどうするのさと強く思う。 旅行なんだから、普段食べないようなその土地のものを食べたいし、その土地のものを見たいし、しみじみと味わいたい。 そう思うのだけれど、そういう人ばかりでもなくて、人それぞれだなあとは思う。
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マイカルが破綻した。 民事再生法申請。 いわゆる総合スーパーの第4位で、負債総額1兆7428億円は昨年倒産したそごうに続いて流通業では第2位の規模になるのだという。 僕は昨日仕事で同僚と東京駅の近くにいたのだけれど、帰りにキオスクに並んでいる新聞に「マイカル倒産」の文字を見つけたときには本当に驚いてしまった。同僚がその新聞を速攻購入して、僕は思わず上司に携帯電話で報告してしまった。しかも、昨日の最初の刷りの夕刊にはそのニュースはなくて、まさに速報という感じで2刷目としてキオスクに並べられていた(だから、同じ夕刊でもマイカルの記事が載っているものと載っていないものとがあった)。 今日も日経新聞でそれなりのスペースを割いて言及されていたのだけれど、やっぱりいろいろと考えさせられてしまう。 破綻の直接の原因となったのはバブル時期の過大な投資であり、資金繰りが立ち行かなくなったがゆえの再生法申請だ。主要行がこれ以上の支援を打ち切ることにしたことであるとか、これをきっかけに他業界の過剰債務企業が次なる倒産に追い込まれるだろうとか様々な記事が載っていたけれど、これからまだまだ続いていくのだろうなとは思う。 業界に関係なく潰れてしまうところは潰れるだろうし、流通業だけを見てもまだまだ大型の破綻が起こってもおかしくはない。 そしてそういうふうに一度嵐が訪れてしまわないとあるべき状態には近づいては行かないのだろうし。 もちろん、それが改革の大きなベクトルに沿って進んでいくにしても、多くの傷が生まれてしまうことは避け難いような気がする。そのときにどこまで踏み込んでいくことができるのか、その線引きが難しいのだろうなと思う。理想と現実のあいだの力加減。
あと、流通業的な話になってくると、大型スーパーの場合はいわゆるスクラップ&ビルトがしずらいという点も不利な部分だった。つまり、店舗が大型であるために、時流が変わりその立地が優良ではなくなってしまっても、容易に他に移ることができないのだ。それだから平均店舗年齢(店舗が営業をはじめてからの年数)は上がらざるを得ない。新しい店を増やすことによってそれを引き下げようとしても、それは数字の見かけ上の問題だから結局はほとんど意味がないし。 そして、近くに魅力的な新しい店が出続けるというのも流通業の宿命的な問題だったりする。そういう流れの中で恐竜のように鈍重になってしまった古い店舗の顧客が流出し営業利益自体を上げられなくなってしまったら小売業はもうアウトだ。結局土地の評価損とかそういうことがあっても、結局は販売で利益を上げていかなければならないのが小売業であるのだから。 そういう意味で言えば、総合スーパーを取り巻く環境はここ数年かなり厳しいものがあるのも事実。何でも売っているけれど欲しいものがないというのはよく引き合いに出される言葉で、ユニクロやトイザラスに代表されるようなカテゴリーキラーと呼ばれるディスカウンターたちにそれぞれのカテゴリーを奪われ、営業利益を生みづらい状況になってしまっていた。 今後マイカルがどのように再生していくのかうまくいくのかどうかはもちろんわからないけれど、同じ流通業に従事しているものとしてはもちろんかなり気になる。
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昨日同僚にCoccoにはまってしまっていることを話していると、同僚たちは数日前までの僕と同じようにCoccoについてほとんど知らなかった。 それで後輩や同僚が言っていたのは、「ああ、あの飛魚の人ですよね」というもの。 「?」 「そうそう、飛魚がどうとか歌っている人だろ?」
むむ。
もちろん、そういう歌詞はあるにはあるのだけれど、少し力が抜ける。 やれやれ。 でも、相変わらず部屋に帰ってきたらCoccoのDVDを眠るまでかけ続けている(いまもかかっている)。 僕は基本的に何でもやられてしまったらもうそればっかりになってしまう。 気に入ったCDを50回聴いても飽きないし、その波のようなものがおさまるときまで、もうずっと没頭してしまう。 今回はそれがDVDということ。 お気に入りは何曲もあるのだけれど、昨日から今日にかけてのヘビーローテーションは15曲目の「Rainbow」という曲。 Cocco+Dr.StrangeLoveのうただ。 ギターを抱えて歌うCoccoの目の強さと、モノクロの画面。 そして、印象的に挿入されるイメージ。 歌詞。 メロディー。 もうすべてにやられてしまって何度も繰り返し聴いている。 ああ、もう、と何度も思っている。 久しぶりに致命的にはまってしまっていて、何かにはまってしまうことの心地よさを味わせてもらっていることも事実。 何かにはまってしまうのって、それが物であっても人であっても、やっぱり基本的に気持ちのよいことだと思うし。
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