闇の底に...Cuckoo

 

 

扉の向こうの敵 - 2001年12月04日(火)

ドアを出るとそこには ほら敵ばかりだね
握り締める手に汗をかき 何もないような顔で歩き出す
心が警笛をならす
戦わなきゃ
息を潜めてばかりいても いつかは捕まる
戦うんだ


学生の時は
周りがみんな敵じゃないかと思ってた。
それでも言葉を選ぶなんて器用な事ができずに
何も語らないか きっぱり言うかの選択しかできなかった。

それは今でもそうなんだろうけど

<敵の敵は味方だ>

そういう言葉は知っていた。
でも分っていた。
いつかはこいつらも敵だ って事を

馴れ合った友情は苦手で
だからこそ集団生活ができなかったんだろうけど
でも集団生活がもっとうまくできる人間だったら
違った世界が見えてたはずだと思う。

敵と味方としか相手を見れなかった水鳥は
10年経っても変わらなくて
きっと今でも知らないうちに
敵と味方を分けてみてるんだろうと思う。
そして圧倒的に
敵と認識した相手のほうが多いのも確かで
それは間違った見方であろうと思うが
子供時代のあたしを形成していた感情は
なかなか簡単に壊せないのも事実だったりもする。

そしてそんな人間は
だれからも愛されるわけ無い事も分っている。

多人数で歩き回るのは好きじゃなくって
多人数になればなるほど 自分の周りに壁を作る
それは簡単な理由であって

この中にあたしの敵は何人いるのだろう

そういった感情が心の底にあるからのような気もするし
今話した事を明日他の人間に笑って話すんだろう
という 疑心があったりして

どうしてあたしは人を信頼できないんだろう

と 落ち込む
簡単に信頼しちゃいけないんだよ
でも 疑う必要の無い時までも疑いの目を向けてしまう
そんな自分が惨めに思う事もあるんだ

それなのに

うん おかしな事なんだけど

疑うべき時にあっさり信じちゃう時もあるんだ


裏切られて

でもそんなつもりじゃなかったのかもしれない

そう信じようとする事も沢山あって

裏切られるだろう事も

いや裏切らないよ この人は

って もしかしてそれは
水鳥の願いだったのかもしれないけど
意味の無い信頼をする事も沢山ある。

あたしは信頼できる相手と出来ない相手を

見極める力が無いのだろう

出来ない相手を必死で信頼して裏切られ

馬鹿みたいに泣くんだ

どこかで水鳥を信頼してくれる<味方>がいるかもしれなくって

その人を水鳥は疑ったのかもしれない
見つけられないのかもしれない


いつもどうして人を求めるのだろう

いつもどうして人を拒絶するのだろう

あたしはどうしたいのだろう

どうして欲しいのだろう


家の外に出ると敵ばかりだ



でももしかしたら




味方ばかりだったりして





あたしには分らない


...




↑投票ボタン
もしよかったら投票お願いします。水鳥の力の元になります。

My追加
 また読んでくれますか?マイ返しはしない事にしてますが必ず読ませていただきます。

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail BBS