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題名に、「日記と言うよりメモ」の言葉が含まれた場合は、
母の様子や入院等についての内容が書かれています。
ここに、ガンのコトが少し書いてあります。
2001年12月17日(月) |
日記と言うよりメモ(父からの告知) |
5時半に起き、6時何分だかの電車に乗った。 途中叔母に電話で、母にばれたことを連絡。 叔母が、今日そっちに行く約束してるんだけどどうしよう? 母から来ないでと言われない限り来て欲しいと頼んだ。 今思えばずいぶん辛いお願いをしたもんだ。
妹と、電車の中で寝ようね? そう話してたのに、後三分の二あるのに寝られない。 横にいる妹も同じ。 家に帰ったとき、父が出た後だったらどうするか 等、色々相談しながら考える。 まず駅についたら家の電話に連絡をして 様子を探ろうと決めた。 7時、家に電話すると母が出て、 今父が起きてきたといったので家まで走って帰った。
ちょうど母が 私ガンでしょ?と聞いていた。 歯を磨いていた父は 私達を見て驚いたのか、母の質問で驚いたのか判らない。
母が父の傍を離れた隙に私が 手帳見たんだって。 もうだませないよ、疑惑を持たせ続けることはまずいよ。 私達は知らなかったことにしてあるから。 妹からも もう言ってあげよう。
父が重たい口を開いた 皆座れ
父が話したのはガンのステージ(レベル)と余命以外。 父が全て内緒にしていたということにして、話をした。 母が泣きながら、家族は蚊帳の外かと父に抗議する。 耐える父。 母が泣きながら、この子達が知ってると思ってたけど。 ガン相の話しをして、治らないものではないということだと思っているが 本人の気力がなくなるのが1番心配でいわなかったと説明する。 事実そうなのだから、それ以外に黙ってた理由はない。 治す、治る。 いや、ガンと共存しながら生きていくんだと 私達、母以外は信じているから。
時間にして3時間 その時間が長かったようにも思えたし、あっという間にも思えた。 母は泣きはしたが、私達の手前か 平静を装った。
私と妹は今日は会社を休むことを決めていたので、 会社に行った父を見送り、母と3人で過ごした。
お昼頃、叔母が来た。 平然を装うのは難しい、でも叔母は頑張ってくれた。 ありがとう、おばちゃん。
ほんまもんの再放送をなぜか見た。 涙が止まらなかった、朝からキツイのやってるんだな。 同じ、ガンの告知を本人にしない選択をした話しだった。
悲しくてもお腹が減るもので 先日スーパーで送ったレトルト食品の品評会を兼ねて 叔母と女四人でお昼を食べることにした。 おかゆ・かぼちゃのやわらか煮、野菜のあんかけ等など しょっぱいね?とか食べやすいね?だとか にぎやかに話をしながら、母も三品を平らげた。
食事が終わって、母と叔母が方言丸だしで 親戚の話をしだした。 忘れようとしてる、母を見るのが辛かった。 心なしか叔母が母の顔を見ないで、楓ばかりを見ていたように思えた。 そうだろうな・・・見れないよ。
父が帰ってきた。私達がいることに驚いたが、無視した。 母と父の食事の仕度を妹がし終えて、家に帰した。 私はこっちに残った。 明日の夕方から出社することに決めていた。
洗物をする私の横でタバコを吸う父が、ぼそっと 俺の気持ちなんてあいつはちっとも理解しようとしてない 私は洗物の手を休めず 今はお母さん自分の気持ちだけで精一杯よ? それは判るよね?
夜、父が寝てから 母と何度となく、同じ会話を繰り返した。 何時の間にか私は母の横で眠ってた。
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