日々是迷々之記
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2005年05月18日(水) |
どうでもよく日々は流れる |
毎日が忙しく過ぎてゆく。月曜日は特別養護老人ホーム訪問、火曜日は母親の入院する病院へ書類を持ってゆく、そして今日は正味見舞いへ行った。
前の病院でキャッシュカードを盗まれたからそれを作り直しに行きたいっておっしゃるんですけど…と看護婦さんから電話があった。ああ、たまにそういうことを言うんです、何も持たずに救急車で運ばれたからそんなことないですよ、聞き流して下さいと看護婦さんにお願いした。
母親は顔色を変えずに平然とそういうことを言うので、慣れていない人は信じてしまう。そういえば昔から小ウソをよくつく人だったなぁと思い返した。
2日連続で私が顔を見せたモノだから、ちょっと調子に乗っているようだ。経管栄養の鼻に入れる点滴を指さしながら、これさえあんたがやってくれれば、お母さんは家に帰れるのにと言い出した。当分見舞いは控えようと思う。
帰りしなに、テレホンカードとお金と財布を持ってきて欲しいと言われた。母親は歩けない。どころか、ベッドから自分で体を起こすことすらできないのだ。お金使う必要ないやろーと言うと、要ると言う。お金なんかないで、と言うとTから80万円送ってもらえと言う。Tとは私の父親のことだ。私が小学校6年の時に母とは別れ、4年前に亡くなった。
「Tは死んでもうておらんやんか。」と私が言うと、何を恐ろしいことを言うの、まだ向こうのお母様も生きてるのに、と言い出した。
父方の親族とは親が離婚してから会っていない。もう20年も会っていないし、元気なころも彼らのことを口にすることはなかった。なのに今頃言い出すとはどういうことなんだろう。
半分呆けたようなもんやろなと思ったが、今日、病院で書いてもらった老人ホーム入所のための書類には「痴呆の症状なし」と書かれていた。まぁ、わかんないんだろうな、と思うことにする。
人の人生はどういう風にして決まるんやとろ、夕焼けの中バイクに乗りながら思った。友人のお父さんは胃を悪くして入院していると、彼女のブログに書いてあった。連日、家族総出でお見舞いにゆき、帰りにはみんなで食事をしたりとても暖かい感じがする。一転して我が家はどうだ。我が家という言葉をつかうのもおこがましいほど、皆が醒めきっている。しょうがないからで動いている。
全て元気な頃の行いが反映されているんだろうなぁと思うと、少しはよく生きようと思う今日この頃なのだった。
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