2007年10月27日(土) |
そのとおり日本は小国なのです |
経済大国と呼ばれようと先進国と呼ばれようと、どう見ても日本は小国です。世界地図を見てみたら、どんなにちっこい国か一目瞭然ではありませんか!
と叫ぼうとして、グーグルマップを覗いてみたら、あれれ、半島諸国よりもちょびっと大き目に見えるなあ。。実際の広さと人口の比較ではどうだろう。。
大韓民国 Republic of Korea 面積 約9万9678km2(2006年現在の韓国統計庁データ。北朝鮮を含まず。約26%) 人口 約4962万4000人(2006年現在の韓国統計庁データ。約1億2768万人いる日本の約39%) 首都 ソウル Seoul 元首 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領 政体 民主共和国 民族構成 韓民族からなる単一民族国家とされている。 宗教 信教の自由が保障されており、仏教徒約27%、キリスト教徒約24%のほか、さまざまな宗教が信仰されている。 言語 公用語は韓国語。日本語と同じく「主語+目的語+動詞」という構造をもつ言語だが、正確な起源や系統については諸説がある。 文字は15世紀に創り出された表音文字の「ハングル」が主流であり、一部漢字(日本でいう旧字体)が混用されている。韓国語の中で漢字語を占める率は非常に高いが、学校教育で漢字をあまり教えなくなった影響で、人々の漢字識字率は最近では高くない。最近では案内表示にも漢字が復活しつつある。
韓国は面積は約10万平方キロメートルなのだな?で、人口は約5千万人。
で、北朝鮮人民民主主義共和国は?
12万平方キロで2200万人。
南北統一の悲願が叶ったとしても、人口も広さも日本よりも小さいのか。。。いやそれだけで何かが決まるわけではないが、少なくとも、半島の人たちから見ると、日本は、小国ではないということだったのか??? いやあ知らなかったなあ。。韓国と日本とは同じくらいの国だと思ってた。
1.面積 12万余平方キロメートル(朝鮮半島全体の55%、日本の33%)
2.人口 約2,250万人(2003年)
3.首都 平壤(ピョンヤン)
4.民族 朝鮮民族
5.言語 朝鮮語
6.宗教 仏教徒連盟、キリスト教徒連盟等の団体があるとされるが、信者数等は不明。
7.略史 3世紀終わり頃に氏族国家成立 三国時代(4世紀頃~668年) 統一新羅(668~918) 高麗(918~1392) 朝鮮(1392~1910) 日本による統治(1910~1945)を経て、第2次大戦後、北緯38度以北をソ連が占領。1948年北朝鮮政府樹立。同時期に南半分では大韓民国が成立。
政治体制・内政 1.政体 人民共和国制
2.主要機関 (1998年9月5日 憲法修正で国家主席制廃止)
(1)国防委員会(国家主権の最高軍事指導機関・一切の武力を指揮統率)
委員長:金正日(キム・ジョンイル) 第一副委員長:趙明録(チョ・ミョンロク)
(2)最高人民会議(最高主権機関・立法権を行使・一院制・議席数687・任期5年)
常任委員会委員長:金永南(キム・ヨンナム)
(3)内閣
総理:金英逸(キム・ヨンイル) 外相:朴宜春(パク・ウィチュン)
3.政党 朝鮮労働党(北朝鮮のすべての組織活動を指導。党員約300万名)
総書記:金正日 政治局常務委員:金正日 政治局員:金永南 他5名 政治局員候補:延亨黙(ヨン・ヒョンムク) 他5名 書記:桂応泰(ケ・ウンテ) 他7名
4.基本政策 (1)北朝鮮の政治は、主体思想(チュチェ思想:人間があらゆるものの主人であり、全てを決定するという哲学的原理)という唯一思想を基礎とし、労働党一党により支配される体制であるとされている。
(注)1956年まで、北朝鮮の統治理念はマルクス・レーニン主義であったが、1970年11月第5回労働党大会を契機にマルクス・レーニン主義と共に主体思想が労働党の指導理念として確立された。1972年12月に改正された憲法では「マルクス・レーニン主義を創造的に適用した主体思想だけを国家活動の指針とする」とした。1980年10月の第6回労働党大会の党規約では「金日成の主体思想」だけを党の公式指導理念として規定し、1992年4月改訂された社会主義憲法では「人間中心の世界観であり、人民大衆の自主性を実現するための革命思想である主体思想」だけを党の公式指導理念であると規定した。
(2)北朝鮮の経済は、生産手段を国家と共同団体が所有する社会主義的な所有制度と、自力更生路線を標榜する中央集権的な計画経済制度を基にしているが、2002年7月以降、一部に市場経済的手法が導入されつつある。
5.最近の動向 1994年7月、金日成(キム・イルソン)国家主席・総書記が死去。金正日氏は、1997年10月に労働党総書記に就任、1998年9月に憲法を改正、国防委員長に再選された。2002年7月以降、経済改革に着手するも、依然として食糧・経済状況は深刻な模様であり、この克服が重要な課題。
対外政策・軍事 1.対外政策 外交関係を有する国は154ヶ国(うち南北双方が外交関係を有する国は150ヶ国)
で、日本は?
37万平方キロメートル。
一億2千万人か。。
- Total 377,873 km² (62nd) 145,883 sq mi - Water (%) 0.8 Population - 2007 estimate 127,433,494 (10th) - 2004 census 127,333,002 - Density 337/km² (30th) 872.8/sq mi GDP (PPP) 2006 estimate - Total $4.220 trillion2 (3rd) - Per capita $33,1002 (12th) GDP (nominal) 2006 estimate - Total $4.911 trillion2 (2nd) - Per capita $38,341 (14th) HDI (2004) 0.949 (high) (7th)
それにしても韓民族と朝鮮民族は文化的に異なった民族なのか??同じ民族かと思っていた。それが悲しい歴史によって分断されたと。 例えば日本がソ連とアメリカと両方に分割されたとしたら、例えば西と東の文化的違いだってありましょうから、親戚がいろいろあっても違う国になっていたかもしれないのだ。 で、私も、自分の実家の母親の実家と父親の家風の違い、自分が嫁いだ家の家風の違い、それで、娘の家と精神的経済的に対等にやっていくのはとても難しくて、こっちをたてればあっちがたたずで結局弾けてどこともうまくやっていけなくなっているのだが、それにしても、交流がなかなかできないのは非常に精神的に不安なのだ。だれも一人一人は会ってみればそれぞれの立場があり、育った生きてきたいきさつがありで、一概に一方だけが悪人とは思われない。だからアメリカだって、日本をたてればあちらをならず者と 呼ばなくてはならなくなるが、実際に会ってみれば、そちらにも事情があってやっぱり同じ人間に見えてくるだろう。 だから娘を返してくれと主張できる拉致被害者の人に正直なところ一種羨望を感じていた。どうして関係ない人ならば北朝鮮を訪問したいと思って政治的に批判したりしなければ申請すれば旅行や観光ができるのに、お孫さんが遊びにきてと言っても自ら会いに押しかけていこうとしないのか、と他人事としては不思議に思っていた。しかし私は自分の生んだ娘と同じ国の中に住んでいてもも、夫が会いたいなら会いにいけばいいじゃないかと言っても、なかなか行けないし、コミュニケーションがうまくとれないので、今ではもはや自分が死んで息子が私を弔うくらいにならなければ骨も拾ってもらえないし、今どうしているかも自分から打診できない状況に陥っているので、事情はまったく違うだろうが、ねじれてしまうと本当にいろいろと難しくてままならないものだということは想像できるような気がするのだ。
あ、そうだ、韓国の人が日本を小国だと言ったのは、金大中氏事件についてか。
それにしても確かに日本は小国なのに、大国たりえようとするのは、ものすごいギャップがあると思うのだ。
第二次大戦後の焼け野原に立った人は、ただみんなゼロから成長すべく親に反抗もし、いろいろなことと闘いながら経済大国を築いてこられたのだろうが、これからどこへ向かっていったらいいのか。私など集団恐怖症なので、 つい落胆したり疲れたりすると引きこもりがちで、戦乱で疲れた徳川が鎖国政策をして外国との接触を極力避けようとした気持ちがわかるような気もしてしまうが、こんなのはみんなへなちょこの遠吠えかな。単なる更年期障害かな。
ふと亡くなった母が戦争直後だか前後だかの頃、新円切り替えの時の郵便局の仕事とか、ブローカーの事務仕事などをしていたら、ブローカー(ってどんな職業か私は知らないが)の社長は、借金取りが来ると、居留守を使っていた、電話を受け取って、都合の悪い相手だと、目配せするので、社長はただ今出かけております、折り返しご連絡差し上げます、と言わなければならなかったと話していたのを思い出した。
病院に入院した時に、突然キスしてきたりするお医者さんも、今に始まったことではなかったらしい。だから母は次兄や私の出産の時は病院ではなくお産婆さんを頼んだのだろうか。夜道で痴漢を撃退できたのも、体育の成績がよくて健康優良児だったという自信があったせいかもしれないが、私がどんなに頑張っても、8人姉妹の中間子としてもまれた母の気概にはとても追いつけなかった。世の中はぼやっとしていたら足元をすくわれる。と言って やっぱりぼやっとできる時がないとやっていけないのだ。
人の可能性ってすごいなあ!
また人生やめられなくなっちゃったな。
秋。
スヌーピーとチャーリーブラウンのチャールズシュルツさんの写真にちょっと惚れた。
随分寝倒した。随分涙もろく泣き虫だったが、今は嘘みたいだ。
以前、IBMの二代目社長の自伝の中で、ヴィジョンを持つ事、というのが印象に残っていた。 でも実際のところ、子供の頃はとてもヴィジョンなんて持てなかった。 看護婦さんになりたい、とか、
母に会いたい。
それにしても、どうしてその時によって浮き沈みが激しいんだろうなあ。 にこにこ肝っ玉かあさんになりたいが、なかなかいつもいつも程よく明るく淡々としたおかあさんであることができない。。お天気のように台風になったり晴天になったり曇ったり雪が降ったりするのだ。私がもっと穏やかな性格だったら主人も助かるかと思うが、どうも日によって二重人格か多重人格のように目つきまでがらりと性格が変わるらしい。愛情がないんじゃないかと思うことがあると言う。確かに自分でも愛情が枯れたように感じる日もある。別れた方がお互いのためではないかと本気で思うこともあるが、私には本当に生活力がないので、どこへ行っても駄目だと思うのだ。だから愛情があろうとなかろうとなかなか役所まで離婚届の用紙を取りに行く程の元気はない。主人が人生をやり直したくなってもうおまえとはやっていけないからここに印鑑をくれと言われれば仕方がないが、どうも今のところ主人も取ってくる元気はないようだ。というか、何だか犬や子供がちゃんとご飯を食べているかどうか心配になってしまって帰ってきてしまうということかな。私がちゃんと子供たちの面倒を見ている母親だという信用が今ひとつなのだ。 私は食べ物を粗末にしたら罰が当たるとは思っているが、あまりご飯ご飯と言われると、どうして毎日毎日食べないといけないのかなあと辟易してみたりする。なかなか謙虚には生きられないな。
木曜日。
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