ぶつぶつ日記
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2001年10月24日(水) |
colacaco的パレスチナ問題再考その1 |
【パレスチナ問題、おさらい】
パレスチナ人、というのはちょっと前まではパレスチナ地方に住む人、 くらいの意味だった。 イスラエル建国時のスローガンは 「民なき土地に土地なき民を」だったけれども、 これを「国なき土地に国なき民を」だったら、 とりあえず話しのつじつまはあったことであろう。 別にパレスチナ人がここに「国」を作っていたわけではないから。 古い所では古代エジプト、ウマイヤ朝も支配してたでしょ。 ちょっと前まではオスマントルコ、というように、 さすが交易の重要地点、民も流れる、支配者も流れる。 ムスリマもユダヤも、キリスト教徒も、この土地に昔から住んでいた。 ただ上が変わっていっただけ。
パレスチナ人に「パレスチナ人」としての民族意識が芽生えたのは、 そうそう古いことではないらしい。 ぼーっと暮らしていて、「土地を売ってくれ!」というユダヤ人に あまってる土地も売ったりしたら、 気が付いたらまわりにいつのまにかユダヤ人がいっぱい引っ越してきて、 売っていない土地まで「ここはイスラエル!!!」と言い出し、 家や田畑をブルトーザーでなぎ倒し、 ユダヤ人以外は出て行け出て行け!と言い出した。 あれ、あれ〜???? もともとエルサレムは古代ユダヤ王国の首都だったけど、 なんでこうなっちゃったのでしょうか。
第一次世界大戦時、この辺りの利権を狙っていたイギリスは 2枚舌どころか3枚舌で、空手形を切りまくっていた。
→フセイン・マクマホン書簡(1916) 。トルコの圧制に苦しんでいたアラブ人に、「トルコを破ればパレスティナは、あんたらにあげるよ」と約束した。これを率いていたのが「アラビアのロレンス」
→サイクス=ピコ協定(1916)。うまくトルコがこの地からいなくなったら、英・仏・露の連合国でアラブを山分けしちゃおう!と言う取り決め。
→バルフォア宣言(1917)。軍資金など協力してくれたら、パレスティナはユダヤ人にあげるよ、という手紙を英国外務大臣バルフォアがユダヤ人のウォルター・ロスチャイルド宛てに送った。
さすがである、この驕り。 自国以外はとりあえず物? そこに住んでいる人間も物? 欧州国列強の支配欲が、まだまだ健在で、 白人至上主義が恥ずかしくなかった頃の話しだ。 それも、そんなに前のことではない。
とりあえず、パレスチナ問題の一番目の悪人は、 イギリスとフランスに決まり。 たった1年間に交わされた3つの政治的書簡、 これが小さな問題はあってもそれまでずーっと続いてきた、 (イスラムを中心とした)アラブと、ユダヤ人の共存関係をぶち壊した。 1000年以上続いてきたアラブとユダヤの憎しみ合い、 そんなのは大嘘。 それはほんのこの100年弱のことなのだ。
では、明日からいよいよ再考に入ります。
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