ぶつぶつ日記
DiaryINDEX|past|will
2001年10月25日(木) |
colacaco的パレスチナ問題再考その2 |
【いじめられっこが、やがていじめっ子に】
ユダヤと言う宗教、これがまた、わかりづらい。 一時期スピノザと言うユダヤ系哲学者に凝ったことがあって、 その時ユダヤ教の教義について調べようと思ったのだが、 あるのはいかにユダヤが虐げられてきたかという「お涙頂戴編」か、 いかにユダヤが狡猾か、「なんでもかんでもユダヤ陰謀説」の本ばかり。 知りたいのはそういうことじゃあないんだがなあ。
何とかわかったことは、 ・ユダヤ教はとにかく「律法」を守る宗教だと言うこと。 ブタを食べない、酒を飲まない、イスラムはなんてかたっくるしい宗教なんだ!という人は、ユダヤの決まりを聞いたらそれだけで反抗して不良になっちゃうでしょう。何せ、魚はうろこのあるものしか食べてはいけないし、乳製品と肉を一緒に食べてはいけない。厳密には肉料理と野菜を調理する器具、皿、流しまで別々が好ましい。さすがにここまではできない人が多いらしく、そう言う人は食器洗いのスポンジを肉用、それ以外用に分ける。お休みの日には一切働いてはいけないので、冷たいものを食べる。電気のスイッチを入れることも仕事に当たるので、電気もつけないとか・・・。とにかく言い出したら切りがない感じ。
・ユダヤ人がユダヤ教徒で、非ユダヤ人がユダヤ教徒になりたいと思っても、そうそう簡単にはなれないこと。 母親がユダヤ人というのが正統派らしい。つまり今日本人の女の子が道端でアクセサリー売っているイスラエル人と結婚してイスラエルに嫁に行ったとする。自分がムスリム宣言したら、それでベイビームスリム誕生、という自己申告制のイスラムと違って、ユダヤ人になるには、それ相当な宗教機関のテストがあるそうだ。国籍がイスラエル、ということと、ユダヤ、ということはまたちょっと違うらしい。
・重要な教えはとにかく門外不出であること。 日本的に発音すると「エホバ」と言われる神の呼び名だが、本当の呼び名は完全なる秘密である。
なんでここまでドメスティックなのか。 それを彼ら自身は「迫害に次ぐ迫害で、自分達の宗教、文化、血を守るためにそうなった。」というのだと思うが、どうやらこれは「仕方なく」というわけではなく、「意識的に」選んできた結果らしい。 ユダヤ人のバビロン捕囚は有名なストーリーだが、「どうだね、そろそろ国に帰ってみんかね?ま、もちろんうちの支配下ってことだけどね。」という申し出を、自ら進んで蹴っ飛ばし悲劇街道をまっしぐらに進むことで民族的な結束を固めていった、と私が読んだ比較的客観的なユダヤ人によるユダヤ人史には書かれていた。
ユダヤは悲劇の民か。 これは確かにそうである。ヨーロッパでは。 キリスト教が「カソリック」になっていく過程で、 ユダヤ人はかっこうのスケープゴードだった。 まずもちろん宗教が違う、そして生活様式も違う。 その上イエスを殺したのもユダヤ人達である。 しかも土地にしがみついて生きているキリスト教徒達に追われた結果、 彼らは都市部に集まり金融業なるものを発達させていき、 結果キリスト教徒の諸侯ですら、彼らの金をあてにしたり。 排他度で言ったらユダヤ教がナンバーワンだけれど、この人たちは究極のドメスティックなので、自分達の流儀さえ守られれば、ユダヤ教を広めようとか他を好んで攻撃しようとかっていう意識はなかった。 イエスキリストの博愛主義がどこでどうしてどうなっちゃったのか知らないけど、ヨーロッパのキリスト教の2000年に及ぶ不寛容と攻撃性、それがユダヤ人にものすごい「被害者意識」を与えたことは事実だ。
しかしそれ以前、オリエントでのユダヤ人追放は、 本人達が言うほど大したことではない。 ユダヤ以外にも同じように大国に攻められ強制移住させられた民族はたくさんいた。 その際たるものがチュニジアのカルタゴだろう。 強制移住から自力で這い上がったと思ったら、それが気に入らないローマに 今度は壊滅させられてしまった。 建物に火をつけ焼け跡に塩を撒くといった念の入れよう!! 細々とでも「ユダヤ」の血を守って来られたユダヤ人の方が全然ラッキーである。 イスラム国家でも、彼らは逆に「知識人」として尊重されていた。 もちろん「ジズヤ(人頭税)」は払わなければならなかったけれど、 ちょっとのお金を払えば、信仰も生活様式も比較的自由に守れた。 クルアーンの中にユダヤ教徒についてくそみそに書かれている部分は確かにあるけれど、 ユダヤ人にとってオリエントが住みづらくなってしまったのは、 皮肉にも「イスラエル」が建国されてからだ。
ドイツによるユダヤ人迫害については別にいうことはない。 その結果、罪の意識にさいなまれたヨーロッパの後押しでイスラエルが建国された。 今から思えば、体のいいお払い箱ではなかったか?と思うけど。 それを押し付けられたアラブこそいい迷惑だ。 その上、2000年間に渡って培ってきたユダヤ人の「被害者意識」。 悪いのはいつも「自分達以外の何か。」 今はそれがパレスチナ、アラブ、イスラムになっている。
それぞれのアラブ諸国がアメリカにおもねった結果とはいえ、 現在、イスラエルはすでにほとんどのアラブ諸国に「国」として認知されている。 それが下々には不満なんだけど。 イスラエルはどうかって言うと、パレスチナ人の存在すら認めたくない。 「土地なき民に、民なき土地を」だから。 じゃあ、目の前で石を投げている人たちはどこから来たんだっつーの。 大挙としてアラブ各国から移住して来たとでも言うのか。 「自分達は日常的にテロの恐怖にさらされている。」って言うけど、 じゃNYのテロ後1ヶ月の間に「イスラエル軍」により弾圧死した何十人もの人たちは どう説明するんだっつーの。 「圧制」されている民衆が「反抗」するのは当たり前だろう。 パレスチは事実的な国家を持たないのだから、イスラエルと「戦争」は出来ない。
現在のイスラエルを見ていると、いじめられっこがいじめが原因で引っ越した新しい学校で、 今度はいじめっ子になって暴れまくっているような感じがする。 昔いじめられたから、じゃあ今度は誰か別の全く関係ない人をいじめて良いって、 そんな話しはないだろう。 しかもあんたをいじめていたのは、今あんたがいじめている目の前の相手ではない。 全く別の人物だ。 よく「いじめられる側にも問題があるんじゃないかな〜」と言う人がいるけれど、 パレスチナ問題に関する限り、まさにイスラエルに問題がある。 被害者意識を縦に、自分達もナチスドイツに負けずとも劣らない加害者になってしまっていることが、 悲しくはないのだろうか?
|