ぶつぶつ日記
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2001年11月01日(木) |
colacaco的パレスチナ問題再考その4 |
【免罪符としてのパレスチナ】 追い出されたパレスチナ人とイスラエルとの争いに、アラブ各国は深く関わって来た。 中東戦争は4次にまで渡ったが、アラブ各国がイスラエルに「勝った」のは、 スエズ戦争と言われる第2次中東戦争のたったの一回だけ。 しかしイスラエル側も4次まで来ると少々息切れ。決定的は勝敗は決められなくなっていた。 問題はイスラエルがパレスチナ・アラブを排除してイスラエルを建国しようとしたこと。 押し出された難民としてのパレスチナ人を多数抱えることになった近隣諸国がこれに反発。 その上、国連安保理決議242(占領地からのイスラエル軍の撤退。中東域内のすべての国が安全に生存する権利を尊重する。の2点を骨子とした)、その履行を再度求めた国連安保理決議337を、イスラエルがアメリカの後押しで完全に無視しつづけ、占領地の状況ますます悪化していっている。
そしてこれがイスラム過激派がアメリカを攻撃する口実になっている。 そう、確かに国連決議を無視しつづけパレスチナを占領しているイスラエル、 それを庇っているとしかいえないアメリカは理不尽だ。 しかし、「パレスチナ」という言葉は、アラブ人(広くイスラム教徒と言ってもいいかもしれない)にとって、 良きにつけ悪しきにつけ「免罪符」になってしまっていて、 ここに非ムスリムの理解しがたい「打倒アメリカ!」のスローガンが浮かび上がってくる。
もし、全てのテロ事件で「パレスチナ解放!」という言葉が聞かれなかったとしたら、 多分ほとんどのアラブ人は犯人のことを「マグヌーン(クレイジー)。」と一刀両断にすることだろう。 ところが。 一度でも「パレスチナ」と言う言葉が聞かれた日には、話しはだいぶ変わってくる。 彼らは思う。 「アラブ人として生まれたからには、犯人のことを理解しなくてはならない。」 なぜなら、パレスチナは開放されなくてはならないから。 開放させることが、アラブ人としての義務であり、権利だから。 犯人のやり方はちょっと荒っぽかったけれど、 イスラエル軍を見てみろ! やつらのやり方はどうだ! 少しぐらい、汚いやり方をしなくては、やつらは追い出せないぞ!!!
しかし、冷静になって考えてみよう。 オサマは本当にパレスチナのことを考えているのだろうか? むしろ窮地に追い込んでいるんじゃないか? 彼の豊富な資金があれば、パレスチナをもっと効果的に援助することができる。 適切な人材に教育を受けされる機会を与える。 近代的な病院を作る。 何でもいい。 イスラエル統治下にあっても、できることはたくさんあるはずだ。 資金さえあれば。 実際に、イスラム原理主義団体は人的援助で支持者を集めている所も多い。 病院を作ったり、教育の機会を与えたり。 人々の目線に立って援助をしている団体が多いことを忘れてはならないと思う。 でも、オサマはどうだろう? 実際に彼はそういう「人的援助」に資金を使っているんだろうか? そんな話しは聞いたことがない。 誰か教えてください。
アラブ人も、パレスチナ人も、「パレスチナ」と言う免罪符を これ以上ばら撒かないように注意しないとだめだと思う。 世界中のほとんどの人にとって「パレスチナ」は免罪符ではない。 むしろ常に問題を引き起こす最悪のカードのようなイメージしかない。 うわべだけ、おいしいところだけ利用する輩に自ら手を貸して、 自分の首を締める付けていることに、 そして、「パレスチナ」という名前が利用されてしまっていることに、 早く気がついて欲しい。 クルアーンにも書いてあるではないか。 シャイターン(悪魔)は気が付かないうちに、いつのまにかやってきている。 味方のような顔をして。
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