ぶつぶつ日記
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2001年11月06日(火) |
ブルカを被る「権利」 |
駅前のコンビニで雑誌を立ち読みしていたら、 気になる記事が目に入った。 それは、アフガン難民を支援したい気持ちはあるし、 アメリカの報復行動には反対なのだが、 それを行動に移したら、「女性の権利を剥奪している」タリバーンを指示していることになるのではないか、 と考えて行動に移せない日本人女性達のジレンマについての記事だった。 以前の日記(旧日記)にも書いたが、私もタリバーンの 女性に対する様々な権利剥奪には大反対だし、 イスラム的にも「正しい」とは言えないんじゃないかと思っている。 しかし、タリバーン=完全悪という言わばアメリカにより作られたプロトタイプに 惑わされている日本人が多いということは、 やはり多くの日本人が「西洋型の権利意識、自由の観念」に 毒させてしまっているんじゃないか、と思わざるを得ない。
北部同盟軍の将軍であった故マスードに最後にインタビューした フランス人女性の記事が「西洋型の権利観念」と、「イスラムの権利観念」の違いを 明確にしていたと思う。 現在、北部同盟軍の支配地域では女性のブルカ着用は強制ではない。 しかし、多数の女性がブルカを着用しているのを見たそのフランス人記者は マスードに問う、どうしてブルカをかぶっている女性がいるのか、と。 実際、マスード夫人はブルカを着用しておらず、スカーフ姿であるのだが、 マスードはその質問に 「アフガンの多くの女性達は、今までの価値感や既成概念にまだとらわれているのです。 ブルカを無理やり脱がせることは、タリバーンのやり方(ブルカ着用強制)と同じになってしまう。」 と答えている。 フランス人の女性の考え(=西洋の価値観)では全ての女性は ブルカなんて着たくないと心の中では思っている、と信じている。 しかし女性達の中には自ら望んでブルカを被っている者も少なくはない。 エジプトでもヨルダンでもシリアでも、スカーフで頭を被うことは全く強制ではない。 もちろんアメリカやヨーロッパでは! しかしカイロ大で学んだり、一流企業に勤めているような女性や、 住居が非イスラム圏である女性達の中にも ムハッジャバ(ベールをかぶっている女性)が多く見られるのは、 どうしてなのだろう? それは、彼女達の意思的な選択だ。 彼女達はクルーアンやハディースの教えを彼女達なりに消化し、 自らの意思でベールを被っている。 それを非ムスリムがとやかく言う権利はあるのだろうか?
もちろん、女児割礼に見られるような身体的精神的にダメージを与える 悪しき習慣も存在するので、 非ムスリムからのアプローチが全く無駄な、余計なことだと 言い切ることは出来ないが、 数多くの非ムスリムのイスラムに対する「人権擁護」の申し立ては、 全く見当はずれのよけいなお世話に思われてならない。
自分達だって、そうだったではないか? 悪しき習慣を断ち切ってきたのは、外部からの圧力によってではなかったはずだ。 特に「権利」を獲得してきた歴史は、 内部においての当事者の戦いだった。 イスラムだって同じだ。 もし変えたいと思ったら、彼らがその中で血を流して変えていかなくてはならないものだと思う。 そして彼ら自身が何かを変えたいと思った時、 自分達以外の誰かの手助けが必要であると認識し、 救いを求める手を差し出してきた時、 その時にいつでも助けられる体制を整えていることが 私たちがするべきことではないかと思う。
自分達の意志によって変えたものしか、人間は納得して変化していかない。 日本の憲法が今ひとつ効力を持たないのは、 戦後「アメリカに押し付けられた憲法」という意識が たくさんの人の心のそこにあるからではないだろうか?
世界の価値は決して1つではない。 ブルカを被る権利もまた、大事な権利なのだと私は思う。
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