ぶつぶつ日記
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2001年11月12日(月) |
colacaco的パレスチナ再考その5 |
【パレスチナ人の中の南北問題】
パレスチナ人、と聞いてどんな人たちを想像するだろうか。
パレスチナ人、と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、 私が実際に知っているパレスチナ人の姿だ。 彼らは皆、ニュースでみる「イスラエル占領下のパレスチナ人」とは 大きく異なる人生を送っているように思える。 もちろん、私の知っているパレスチナ人はほんの数人だ。 ヨルダンやその他周辺諸国に住んでいるパレスチナ人の中にも 経済格差があり一概に言えないし、全体を語ることは出来ないが、 あるタイプをそこに見出すことは出来る。 彼らはみな、かなり早い時期にパレスチナの外に出て、 アラブの他の国で暮らしている。 そして父親はサウジなどに出稼ぎに行ったことがあり、 ある程度の家をその国に構えている。 そして、どこでも生活できるように、 子供達に語学と、専門的な知識を身につけさせるため 高等教育に力を入れていること。 その結果、彼らは「パレスチナ人」という偏見をものともせず、 機会を見つけては海外に出て勉強を続け、 仕事もそこで見つけたり、 日本人からみれば「エリート」としての人生を歩んでいる。
例えば、現在の私のアラビア語の先生であるH先生はシリアで育った医師で、 現在家族で日本にやってきて大学院で研修中。 奥様も同じくお医者様で同じ大学院で勉強しているが今は産休中だそうだ。 このH先生の前の先生であるA先生はH先生の実兄。 同じくお医者様で、全く同じ大学院で勉強していた。 「パレスチナ人」である彼らはシリアのパスポートを持っていない。 しかし文部省招聘の留学生なので、そんなことは全く問題にならない。 不思議なのは、日本政府の招聘で来たから日本ではパスポートを もっていなくても大丈夫だとしても、 彼らがこの日本から、ちょくちょく兄弟のいるアメリカまで遠征できることだ。
またヨルダンで世話になったTも、同じく知的エリートで、 「パレスチナはビザを取るのが大変なんだよ、パレスチナ人は全員テロリストだと 思われているからね。」 などと言いながらも、アメリカ、日本と留学生活を送り、 30近くなって北欧へ奨学金留学し、 そのままそこで仕事を見つけて現在にいたる。
その一方で、占領下の狭いエリアから出ることもままならず、 仕事も勉強も続けることが出来ないパレスチナ人たちがいる。 せっかく進んだ大学を、わずかなバス代が払えないために、 泣く泣く止めなければいけない学生がいる。 パレスチナ支援を続ける女性から、そういったパレスチナ人を なんとか日本に来させて勉強を続けされることができないかという話しがあった。 しかし考えれば考えるほど、厳しいことしか言うことが出来なかった。 まず、どうやって彼らに旅券を持たせることが出来るのか。 そしてその旅券を日本の入管が「旅券」と認めるのか。 保証人の問題、支度金の問題。 また、リスクの大きいと思われる彼らを受け入れる日本語学校なり、 大学が果たしてあるのか。 どれ1つとして、現実的ではなかった。
そのどちらもが「パレスチナ人」だ。 パレスチナ人として、パレスチナを故郷だと思っている。 お互いがお互いをどう思っているのか。 時折、私は北欧にいるTに、本当の気持ちを聞きたくなることがある。
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