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2025年07月12日(土)
オフィスマウンテン『塹壕』

オフィスマウンテン『塹壕』@ワイキキSTUDIO

逢魔が時の日の出町で、ふたりが自身の持つ身体をどう使い切るかを見る。微かな声と明瞭な台詞を追う。塹壕の中で生き延びれるか、「疑わないから、こうなるんだぞ」は空耳だったか。これから台本を読んでみる。 オフィスマウンテン10周年おめでとうございます。 山縣太一 × 飴屋法水 『塹壕』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Jul 13, 2025 at 0:58

「エミネム」って聞こえた気がする…気のせいか……? と思っていた箇所、「笑み眠」と表記されていた。「疑わないから、こうなるんだぞ」は空耳ではなかった。刺さる言葉だった。

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脚本:山縣太一
作・演出・振付・出演:山縣太一、飴屋法水
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オフィスマウンテン10周年特別企画、山縣太一 × 飴屋法水による『塹壕』。1時間程、ということだったが、上演時間は約40分。毎日変わるのかもしれない。

最寄り駅から5分程の場所にある、雑居ビルの4階。数日前に案内のメールが届いた。地図ではなく文面で会場の場所を伝える、その文面も作品といえる。転載はせず要約する。駅改札を出て、交差点を斜めに渡り、大岡川にかかっている長者橋を渡る。駐車場に面した雑居ビル。4階の、二つある部屋の奥の方。古いビルのため階段のみ。隣の部屋の利用者の邪魔にならないように、ドアの前は開けておいて。共有のスペースではお静かに。

初めて行く会場、あまり乗らない京急線、滅多に降りない日の出町駅。少し遠足気分。そういえば初めてBUoYに行ったときもそうだった。未知の劇場への道のりは楽しい。

上演前(というか開場からもう上演が始まっているともいえるが)、山縣さんは何度も暑さに配慮した説明をされていた。エアコンは効かせていますが開演したら暑くなります。団扇を配布していますので、ご希望の方は声を掛けてください。上演中パタパタあおいでも全然構いません。飲食も自由です。水、飲んでくださいね。持っていないひとは今から買いに行ってもいいですよ、すぐそばにコンビニや自動販売機があります。具合が悪くなったら合図を送ってください。僕らもそちらを常に見乍らやりますので、すぐ気が付きます。ま、こちらも具合悪くなったら止めますし(笑)。後方に座っている方、見難かったら上演の途中でも立ち上がって結構です。スマホの電源は切らなくてもいいです。でも、撮影はご遠慮ください。普段は撮ってもいいんですけど今回は、ね。

開演迄の30分、それは繰り返された。こういう言葉は、観客をとても安心させる。後方のひとに団扇をリレーしたり、観客同士にもちょっとした連帯が生まれる。たまたま方舟に乗り合わせた30人ちょっとが、舟を出る迄いたわり合うような心持ちだ。ただ、上演が始まると、それどころではなくなる。観客ひとりひとりが、山縣さん、飴屋さんと一対一で向き合う。

山縣さんと飴屋さんの共演を観るのは『スワン666』以来。演じた役のイメージもあり、山縣さんにはずっと恐怖感がある。台本があるのに、演出があるのに、そして観客の安全に配慮していることは前説で充分わかっているのに、何をしでかすかわからない怖さがあるのだ。それは飴屋さんもそうで、表現の前には自分の身体を(結果的に)痛めつけることを厭わない。

「では、はじめまーす」。山縣さんの軽やかなキュー。囁き声のような飴屋さんの言葉。うまく聴きとれない。ここんとこ三半規管がぶっ壊れているので、自分の耳のせいかなとちょっと戸惑う。山縣さんが芯の太い、明瞭な声で台詞をリピートする。少しホッとする。しばらくは飴屋さんの台詞を山縣さんが通訳しているかのような感覚で聴く。しかしそれは途中で枝分かれしていく。飴屋さん今「ストパかけちゃおっかなー」っていった? それ山縣さんいわなかったよ? なんて思いつつ、段々ラップバトルを聴くような姿勢になっていく。

冒頭のツイートにある通り、帰宅後台本を読んだ。ストパのやめどころについてのくだりはあったが、「ストパかけちゃおっかなー」はなかった。台本通りに上演しているが、インプロの部分もあるらしかった。振付のクレジットがある通り、ふたりは各々ダンスのように動き乍ら、あるいは絡み合い乍ら台詞を発声する。カポエイラや柔術を連想するような動き。飴屋さんはときに痛いところを刺激されたかのように呻き声をあげ、山縣さんは膝にサポーターをしていた。肉料理の仕込みのように飴屋さんは山縣さんの背中をバチバチ叩き(調味料を擦り込んでいるようにも見えた)、山縣さんはホントに痛かったようでちょっと笑っていた。少しだけ和む空気。

膨大な単語、多数の韻。タイトルでもある“塹壕”は終盤に現れる。照明(部屋の明かり)がふ、と消える。停電? と一瞬思い、直後演出だと気付いた途端、恐怖が湧き上がる。雑居ビルの一室が戦場になる。カーテン越しの窓の外に、夜はまだ来ていない。塹壕を掘る、塹壕に入る。死体だらけの塹壕に取り残されたような気分になる。生きているなら、生き抜こうと思うなら、塹壕から出なければ。しかしここを出た瞬間死ぬかも知れない。弾が飛んでくるか、爆発物に触れるか。そして自分も、塹壕に積み上がっている死体のひとつになるのか……どうすればいい? 数秒で怒涛のようにイメージが沸き出る。この喚起力。

山縣さんの「終わりでーす」の声は、塹壕の底から這い出すためのロープのように感じた。そういえば、『スワン666』でも山縣さんの「終わりでーす」に我に返ったのだった。観客を現実に引き戻す効果のある声。

上演期間中何度も演じられる作品に、同じものはひとつもない。天気、気温、身体のコンディション、そしてインプロ。それは演者と観客、どちらにも作用する。そしてテキストをああいうふうに表現出来る演者はふたりといない。何度でも死に、何度でも生きる。ただ、いつかは死ぬ。それは身体を使い切る体力と知力に、回復力が追いつかなくなったときだ。あと何度生きられるか。

ビルを出ると外はまだ明るい。逢魔が時だ。山縣さんと飴屋さん、ふたりが身体をどう使い切るかを見た40分。二度とない40分。

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日の出町行ったの10数年ぶり、面影ラッキーホールを観にFRIDAY行って以来。で、ワイキキSTUDIOはFRIDAYの近所だった。大谷能生さんのスタジオなんだよなあ…と入場したら受付が大谷さんだった🫠

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Jul 13, 2025 at 1:01

ひぃとなった(笑)。改めてクレジットを見ると、「ワイキキSTUDIO共催」だったのでした。そしてFRIDAYは健在でした