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2016年06月28日(火) ■
『30th(ス)だよ! パール兄弟!』
『30th(ス)だよ! パール兄弟! ~パール兄弟レコードデビュー30周年スペ・ライブ~~~』@Shibuya CLUB QUATTRO パール兄弟(Vo:サエキけんぞう、G:窪田晴男、B:バカボン鈴木、Drs:松永俊弥、Key:矢代恒彦) Guest Vo:CHAKA キエー30周年ですよ。数年前から五人が揃い、「盆暮れのパール」の通り名を再現するかのような活動を始めていたパール兄弟。SNSも駆使した準備期間をじっくり儲け、華やかなお祝いライヴです。タイトルの“th(ス)”は松永さんのthの発音が絶妙で、一時期「まthながです」と自己紹介するのがはやってたとこからきてると思われる。FC会報の座談会でやってた。ええ、FCにも入ってました。パール兄弟は、音楽リスナーとしての自分の基盤になっているところがある。それくらい影響を受けました。あらゆるルーツをガツガツ消化し、それらをスマートなポップスに昇華する。それでいて残る奇妙な後味。いろんな音楽をスポンジのように吸収する十代の頃、パール兄弟に出会えてよかったと思っています。 そんなこんなで長生きはするものだ、ここでは私も若手です(笑)。フロアには管理職、いや経営者クラスかってな風貌のひとでいっぱい。今日を楽しみに会社を定時で出てきたよってなスーツ姿のひと、悠々自適のご隠居さんみたいなひと、昔っから自由人ですってなヒッピーみたいなひと。目をキラキラさせて開演を待ってる。始まったら怒涛の歓声です。皆声が野太い、男女ともに歳とると高音出なくなるからな……。この歳になると好きなアーティストが死んじゃったり行方不明になったりするし、身近なひとにもそういうことが増えてくる。皆が元気で、演奏出来る状態で揃うってことが奇跡みたいに思えてくる。それはフロア側も。無意識に川勝さんの姿を探しちゃう。来てたらなんて書いたかななんて考えちゃう。 上手側に設置されたスクリーンにオープニングとエンディング映像が流れ、曲間にはサエキさんがメンバー全員にインタヴュー。バンドの30年を振り返りつつ、近況も話す。窪田さんとの「フー・マンチューみたいになってるよね」「最近中国系? って訊かれる機会が増えてねえ」てやりとりにウケる。バカボンが僧侶修行時代お盆の棚経で一日40軒まわった話もおかしい。「移動もあるし、一軒12分てとこだよねえ。その間挨拶したりお茶飲んだりお菓子も食べたりするわけだから」「もうバンド始めてたんで、ツェッペリンのポスター貼ってある部屋とかあるとびくびくしてた」。松永さんはもはや鉄板のまーちんネタで、まthながの話題は出なかったわ……。矢代さんも同じくサポートネタ、KANと吉川晃司と真逆のバンドにいるとこがすごいとかそういう話。皆さん腕利きですからねえ。 メンバー全員が元気に揃うことが出来て、演奏はよりキレッキレのうえ円熟味を増してる。それが聴ける。なんて幸せなことなんだ。サエキさんが「体重と肌のたるみ以外は変わらない、いや、よくなっているところもある」みたいなこと言っていたけどそのとおりですね。日々の本番が練習みたいなミュージシャンがリハきっちりやって備えたこの日の演奏の凄まじさと言ったら! このグルーヴマスターどもめが! 窪田さんのメインギターは勿論Aria Pro II / RS-850 (以前張ったけどここがいちばん説明が丁寧なのでまた張る。有難うございますー)、そうそうこの音! 「ヨーコ分解」が始まったらバカボン側に乗り出す人多数。皆さんわかってらっしゃる、スティック演奏するからね。録音されてる緊張か気合い入りすぎたか段取りに気をとられてか、サエキさんの歌はちょっと不安定。でもホント喉強くなったよね、それが実感としてあるから「よくなっているところもある」と言ったのではないだろうか。そして何より誰も真似出来ない、唯一無二の歌詞世界。これこそパール兄弟。 そしてCHAKAさん! PSY・Sのナンバーを聴けるとは~! 「この日はCHAKAに『サエキの作詞曲』を沢山歌っていただく予定です」 とコメントが出ていたので何やるのかな…と思ってて。以前ご本人が「PSY・Sの歌は大人の事情で唄えないし、バンドのこともあまり話さないようにって言われてるんです」と発言されていたのを憶えていて根に持ってたんですけど(…)どうやら時効らしい(でも最後とも言っている…… )。「Woman・S」のイントロでぶわーと泣いてもうたがな。当日のお楽しみ、と事前の情報入れないようにしていたのでふいうち過ぎた……。続いて「景色」「Paper Love」「Lemonの勇気」。ピッチ、唄いまわしのコントロール、完璧。キーもおそらく下げてない。鉄腕CHAKAだ~!!! そしてパールの「TON・TON・TON」「世界はGO NEXT」のコーラス、スキャットをライヴで聴けるなんて! 演奏中に窪田さんとCHAKAさんがかわす笑顔、キラキラしてた。同じ音楽の世界で生きている者同士にしか交わせないそれ。とても素敵。 そして思い出話。パール兄弟とPSY・Sはプロデューサーが同じOTさん(しらじらしく伏せてるけど岡田徹さんですわよ)だったんですが、作詞家としてサエキさんをCHAKAさんに紹介するときOTさんやMMさん(まあ松浦雅也さんですよ)たちが「いやー、とっても面白い歌詞を書くひとなんだけど、キモいんだよ~」と言ったってエピソード、大ウケ。「私が言ったんじゃないよ! 私はああこれが東のひとのセンスなんだ~って思った。西に…周りにサエキくんみたいなひといなかったから。初めて見る人種だった」だって。格闘技好きで有名ですが今はご自分もボクシングをやっているそうです。ファイティングポーズ、キマってた。 終盤はリーマンズも登場、ラッキィ池田はいなかったけど手塚眞はいましたよ。そして加藤賢崇混ざっててびっくりした(飛び入りだったらしく エンディング映像のクレジットに名前がなかった)。そうそう、このクレジット、なつかしい名前をあちこちに見つけてジーンとなったな。ここ数年ではいちばん窪田さんの髪が整っているなあ(笑)と思っていたら、「ヘアメイク:YAYOI」と出てて。あ、平田弥生さん? きっとそうだ! とか。帰宅後CHAKAさんのツイート 見てわーやっぱり! と嬉しくなったり。 「30過ぎたらロックなんてと言ってたキース・リチャーズも70過ぎてる。僕も歳とると新しいことは出来なくなっていって、過去の焼きなおしばかりになると思ってた、でもそうじゃなかった」というサエキさんにジーン。最後の方はちょっと感極まってる様子でした。終わってみれば22:30。三時間半もやったのか! 休憩も入れずに! ここんとこ椅子あり(フロアステージともに)だったり二部制だったりしてたのに! 気合のほどが窺えました。客も立ちっぱなしでがんばりました(笑)。今回のマスコットしばいぬすずちゃんも登場、窪田さんデレデレ。そういやこのひと、顔立ちとか色白なとこから紀州犬と呼ばれてたりもしましたよね…微笑ましい……。撮影タイムも何度かあり(こういうとこ、今って感じ)大団円~。よい夜だった! 35th、40thもあるといいなあ、皆さん元気で。そのためには自分もなんとか生き延びねば~。 最後にビックリしたことを。パール兄弟の大概は知ってるつもりだったが『GORO』に掲載されたというオールヌードについては知らなかった、今回未掲載分含めた数点が映像で流れて腰が抜けそうに(笑)。『色以下』で上半身ヌードは見た憶えがあったけど、全裸もあったのか。しかも全員美しくてですね…いやまじで……思わず真顔になった。ライヴ盤(後述)のブックレットに載せるつってたけどまじですか有難うございます(手をあわせる)。 -----・『パール兄弟 30th』公式サイト ・twitter(@pearl_bro30th) ・Facebook ・パール兄弟30周年ライブCD発売プロジェクト|ケツジツ クラウドファンディングによりリリースが決まっております。成立してよかった、お祝いだしと松で申し込んでますよ! リンクは松コースに張っていますが、竹、梅と各種とりそろえてあり今からでも参加出来ますので(予約〆切7/5)気になる方は是非
2016年06月24日(金) ■
『エスコバル 楽園の掟』
『エスコバル 楽園の掟』@新文芸坐 やっと観られた~。ドキッ☆婚約者の叔父は麻薬王! パブロ・エスコバルの伝記ものというつもりで観ると、あまりのスリラーぶりにひいーとなります。地上の楽園・コロンビアにあこがれ、カナダから移り住んだ青年が見たものとは。 そうなんです、このカナダ人青年の視点で、コロンビアとエスコバルが描かれるんです。この青年、非常に優しい子で、ちょっとひっこみじあんでもある様子。脚をわるくしたお兄さんと、美しい自然がそばにある暮らしを求めてやってきます。そこで遭った美しい女性。たちまち彼は恋におち、なけなしの勇気をふりしぼって(そう見えるとこがまたかわいい)アタックする。次第に心を通わせるようになったふたり、そして婚約。彼女は青年を叔父の屋敷に招待します。街の有力者、街のために尽くす偉人。この叔父がエスコバルなのです。 なんかすごいひとみたいだぞこの叔父さん。なんか…なんか……と戸惑うままに流されて、気付けばもう逃げられない。あれ、あのひとどこいった? あれ、今納屋の奥に血まみれのひといなかった? ひとの噂とチラ見せで、徐々にファミリーの脅威が明かされていく展開が怖い。こうなる迄になんとかならんか…と思うものの、いや、なんとかならんわねこれは……とも思わせられる。だって環境が違いすぎるもの。彼のこれ迄の人生とあまりにも遠いものだもの。それがこんな、ちょっとしたきっかけで、想像の遥か上の出来事に巻き込まれて。即応出来る筈もない。 ファミリーの一員として任された大仕事を前にして、青年はギリギリ迄迷います。それを決意に変えたのはひとつの偶然。案内役を務める筈だった男が怪我をし、代わりにやってきたのがその息子だったから。まだあどけなさの残る十五歳、だけど妻も子供もいる。楽園だと思っていた地で、必死に生きるもうひとつのファミリー。 青年を演じたジョシュ・ハッチャーソンがまたねえ、朴訥なぽや~とした感じの子だから尚更ね…そんな子がこりゃいかん! と勇気をふりしぼって行動を起こすそのもの悲しさよ。映画だからひょっとしたら奇跡が起こるかも、大逆転があるかも、と淡い期待を抱くも、そう甘くはなかった。原題は『Paradise Lost』、彼が最後に見た光景がせつない。婚約者の彼女、あれからどうなったのかしら……。そしてエスコバルのその後――脱獄~逃亡~射殺という史実を思うに、彼が収監されるにあたって神父に語った言葉がズシンときた。コカインは「神の葉」とも呼ばれる。 この春はカルテルものが花盛りで、『ボーダーライン』 と『カルテル・ランド』 を観たあと『犬の力』 を再読していた。そこからこれを観たもんで、南米麻薬戦争の複雑さにどんより。一筋縄ではいきませんね……。そしてこの三作中二作に出演している(というか残り一作はドキュメンタリーなので出てたらそれこそヤバい・笑)ベニシオ・デル・トロの無双っぷりよ。「あらゆる麻薬ものに出てる」と自分でも言ってますがホントにそうで、これ迄売る側、買う側、取り締まる側、中毒者と演じまくっている。もうこの界隈知り尽くしてると言っても過言ではなかろうが、今作では製作総指揮も務め、実在した麻薬王を怪演です。ほんとこのひとは物言わぬ顔が物語るわね~! あんな目で見つめられたら蛇に睨まれた蛙以外何になれと言うのだ。言外が恐怖にしかならん! とか言っといて、実はいちばん衝撃を受けたのはベニーの歌謡であった。やだうまい…美声……。リネさんに聞いてたんでいつだいつだとワクワクして待っていたけど、いざそのシーンになったら一瞬頭が真っ白に。そしてしばらく聴いていて「確かにベニーの声だけど、ほんとに唄ってるのかな……」と疑惑を抱くほどに。音の鳴りが違ったような気がしたのね。ここだけアフレコだったのかもしれない。で、帰宅後調べまわっていましたらまたリネさんに教えて頂きまして、IMDbに歌唱指導のクレジットがあるから間違いない と↓・Escobar: Paradise Lost (2014) - Full Cast & Crew - IMDb ここの「Marta Woodhull ... singing coach to mr. del toro」てとこね。 やーんミュージカルも夢じゃないわ~。そしてIMDb見てて思い出したが、今作にはハビエル・バルデムのお兄さん、カルロス・バルデムが出演しててえれえ怖いです。顔がバビエルよりもチェ・ミンシクに似てまして、『オールドボーイ』さながらのおっそろしい役でございました。 リネさんには小島秀夫さんのレヴュー動画 も教えて頂きました。これ観てから行ってよかった~有難い~。 ・HideoTube(ヒデチュー)第02回:小島監督の近況報告と映画紹介VIDEO ----- これで終わるのもつらいんで『ボーダーライン』もまた観ましたよね…(三回目)どのみちつらい。しかし『ボーダー~』、スクリーンで観られるうちは何度でも観ておきたい映像美です。こんな二本立て組んでくれて有難う新文芸坐!
2016年06月19日(日) ■
直枝政広×高橋徹也
直枝政広×高橋徹也@風知空知 弾き語りツーマン。いーやーよかった~。夏~。誘ってくれたのは高橋くんだし、先に唄いたくなって、ってことでまず直枝さんから。 ----- セットリスト(instagram から) 01. OOH! BABY 02. 市民プール 03. 幻想列車 04. I LOVE YOU 05. いつかここで会いましょう 06. 十字路 07. ANGEL ----- やーもう直枝さんの声、心臓わしづかみにされますわ。カーネーションは虫喰い状態で網羅出来ておりませんで、知らなかった一曲目からもうもってかれた。帰宅後即探して、『LIVING/LOVING』 はここ数日ずっと聴いてます。赤いシャツが素敵、お似合い。「高橋くんフェロモンがすごいですよね…」「かっこいいですね…」とほめごろしかってなことを何度も言っておりましたがその言葉そのまま返すわ! フェロモンすごいのはあんたじゃ! いやもうやられた。地声の強さ、裏声の塩梅、ブレスの間、骨太の色気だだもれ。生々しいわ~、素晴らしいわ~。そんな声であの歌詞ですからね。で、声と双子のようなギターな! 骨太で生々しく色気がある。ポワ~ともなりますわ。 既にステージにセッティングされている高橋さんのギターを見て「弾き語りでエレキですよ、スカしてますね~」とか、「高橋くんのフェロモンに負けないように、アイラブユー連発の歌を唄います」とか対抗意識丸出し…というよりあれは大人の余裕だな。年長さんの余裕で高橋さんをいじったろう(ニヤニヤ)ってな感じが素敵でしたわ。といいつつ、「高橋くんとのライヴは気持ちよく唄えるんですよ、三年前所沢でやったとき もそうで」「だから今日も気持ちよく唄える気がして、先に唄わせてほしいって言って」とも言っていた。「いつかここで会いましょう」は来月発売の新譜から初披露、出し惜しみなし。くだけたMCも楽しかったです。いや~フェロモン……。 さて高橋さん。 ----- セットリスト(暫定 高橋さんのブログ から) 01. The Orchestra 02. サマーピープル 03. 無口なピアノ 04. チャイナ・カフェ 05. 真っ赤な車 06. ブラックバード 07. 海流の沸点 08. 夏の出口 09. 犬と老人 10. いつだってさよなら ----- 「真っ赤な車」迄ご本人がブログに書かれていた(そして直枝さんにスカしてると言われた・笑)新しいギター(Epiphone/ES-295) 、以降はアコギ。新しいギターはいろいろ試しているというか感触を確かめつつやってる感じもしました。 それにしても……作品のなかの情景に聴き手をひきこむ力と言ったら。畏怖を通り越して恐怖すら感じる程。アコギを持ってからの「ブラックバード」~「海流の沸点」では会場の空気が明らかに変わった気がした。風知空知はビルの四階、曇りとはいえ開演したときはテラスから外の光が差し込んでいた。徐々に夕暮れが迫る。まさに逢魔が時だ。手首を掴まれ、曲の世界にずるりとひきずり込まれるような感触。情景のなかの人物が、自分の背後で呼吸しているような気配。 「日曜日にライヴをすることって珍しくて、今日出かける前に『新婚さんいらっしゃい!』を久しぶりに見て……桂三枝って今坊主なんですね~」。坊主もだけど、名前ももう三枝じゃないよ……。ほんとMCと演奏のギャップが素晴らしいですよね……。 ----- 本編終了後、ふたりでお話タイム。「いやあ…僕が先だと思うじゃないですか…キャリアとか、そういう面からも……」「いやいや(ニヤニヤ)」「先攻のつもりでセットリスト組んでたんですよ…」「ははは。こうやって聴いてると、使うコードが似てるね! あと郊外を知ってる人間って感じ。俺もエレキで弾き語りやってみようかな」なんてやりとりから、「あの……ちょっと話しませんか。こういうところの方が話しやすい…楽屋だと緊張しちゃうので」と高橋さんが言い出す。以下思い出せるところを書いときます。記憶から起こしているのでそのままではありません。 「『新婚さんいらっしゃい』を観ていることに驚いたんだけど。テレビ見るんだ?」「どんなテレビ見てるの?」「映画は?」「鍛えてたりする?」「最近聴いてるもの」「好きな食べものは」「酒は」。話しませんかと提案したのは高橋さんだったが、質問攻めにしたのは直枝さんの方であった。「テレビ見ますよ! なんだろう…バラエティが多いですね。マツコ・デラックスが出てるのとか好きです(『夜の巷を徘徊する』とか)」「走ってますねえ、朝(このとき「あ~(やっぱね~運動してるのね~)」みたいな直枝さんの反応が面白かった)」「呑まないんですよ、ノンアルコールビールが好きで」と微妙に噛みあわないんですが、『海街diary』がよかったという話と、若いころは平気だったのに歳とってから気圧に体調が左右されるようになったという話で意気投合。直枝さんは邦画をよく観るそうで、最近では『リップヴァンウィンクルの花嫁』が気に入ったとのこと。気圧によって出る症状は、高橋さんは頭痛、直枝さんはくしゃみだそうです。 面白かったのは高橋さんがカーネーションを知ったきっかけ。ギリギリ十代、19くらいのときに「埼玉のミュートマジャパンみたいな番組」で紹介されていたそう。“ミュートマジャパン”、共通言語として絶妙よなー。「『EDO RIVER』のころかな?」「いや、もっと前です。帽子被ってて、こわかったんですよ」だって。そっからだったか郊外の話からだったか、「やあ、今日、ゴメンゴメンゴメンゴメン♪ を生で(聴きたかった)……」みたいなことを高橋さんがボソッと言ったら「やる? 一緒に」と今からでも全然オッケーそうな直枝さん、「いやいやいや」と恐縮する高橋さんという図が楽しかった。秋にmolnでライヴをやるという直枝さんに「僕も何度かライヴやってるとこで、いいご夫婦がやってるんですよー、いいとこなんですよー。……あっ、僕、その日行ってもいいですか」という高橋さん、「おお! いいよいいよ!」(兄貴)と応える直枝さんも微笑ましかった。直枝さんは高橋さんの反応を楽しんでいるようなところもあって、「(ライヴの)告知をさせてください」「ちゃんと断りを入れるんだね。こういうところ紳士ですよねえ」とか「先生みたいだよね。服の感じとかも」とか、いじるいじる(笑)。微笑ましい。 真面目な(?)話としてはなんでそんな声が出るのか、そんなふうに声を出したいと高橋さん。「レコーディングに行くとき、車のなかでスティーヴィー・ワンダーを聴くんです。ズドーンと声が出る。直枝さんもそんな感じ」。応える直枝さん曰く「いや、俺もライヴはじめた頃は全然出なかったよ。やってるうちに出るようになった。あと前に腰をやっちゃった状態でライヴをやったとき…黙ってやり通したんだけど……そのときすごく声が出た(笑)。腰にサポーター(コルセット的な?)巻くじゃない、あれで体幹が動かなかったのがよかったのかな」。ひい、声が出たのはいいけどおだいじにしてください! そしてイギー・ポップの新譜がよかったって話。な! な! QOTSAも宜しくな(何様)! そこからイギーとデヴィッド・ボウイの話に。「ブリティッシュロックが好きな感じわかる、イギーは違う(アメリカだ)けど……高橋くんはボウイが好きなんだよね」「ええ」「ボウイに似てるよね」「ええ、ええ(スルーしかけた)……え、えええ? いやいやいや!」てやりとりにはウケた。イギリスとアメリカはお互いの国の音楽を「洋楽」として聴いてるって話は興味深かったな。という訳でアンコールはイギー・ポップヴァージョンの「China Girl」でした。ハモりも素敵。 今回ふたりの演奏と歌を聴いたことで、曲調の展開(直枝さんの「コードが似てる」って言葉で合点がいく)や地声と裏声の切り替え等、魅力の共通項に気付いたのは収穫だったなー。声質は全然違うんだけど、歌詞=言葉がない箇所の唄いまわし…こぶしとかうなりの部分にはっとしたり。 いやーいい時間だった。夏は苦手だけど、ふたりの歌から夏の魅力を教えてもらった感じもした。 ----- 前夜、twitterのTLに維新派・松本雄吉の訃報が流れてくる。公式に発表される迄拡散しない方がよいだろう(信じたくなかったということもある)と思い、ひとまず眠る。翌朝の朝刊には記事が出ていた。あの時間迄情報が漏れてこなかったのに朝刊に載っていたということは、報道機関にはきちんと伝えられていたわけだ。劇団にそうしたい事情があったのだと思う。維新派のSNSやサイトは全く更新されていない(6/21に更新)。経緯を知っていたらしい関係者の方たちも沈黙していた。 あの世代のひとが亡くなっていくのは自然の流れで、いつかは必ず、とは思っていても、今じゃなくてもいいじゃないか。なんで今なんだ、という思いが、怒りに変わりそうだった。やりきれない気分で風知空知に向かい、そこで高橋さんの「犬と老人」を聴いた。 僕はどうしても その列に 加わる事が出来ない それでも良いんだ 最後まで しっかりと見届けよう 手を振って見送るんだ この目に灼き付けるんだ 恥ずべき事は何も無い 胸を張って見届けよう いつも胸に迫る歌詞だが今回は殊更きた。見送る側である限り、そうありたいと強く思った。 ワルいおっちゃん、松本さん。彼が日本のあちこちに出現させた街、そこに幾度か迷い込めたこと。蜃気楼のような旅団に遭遇させてもらえたこと。維新派の観客になれたことはなにものにも代え難い経験だった。感謝の念に堪えないが、それでも途方にくれている。
2016年06月18日(土) ■
『四谷怪談』
『四谷怪談』@シアターコクーン モダンホラーな演出になってたなー! 大詰の大立ち回りもなし、提灯抜けも仏壇返しもなし。戸板返しは映像で。群像劇にもなっている。歌舞伎に限らずさまざまな形態で上演されている作品だからこそ、のものになっているように感じた。反面、とても歌舞伎らしいとも言える。場がそれぞれ独立して観られるものになっている。『四谷怪談』がどういうストーリーで、この場がどういう場面か、了解しているひとが幕見で観るのに適している、と言えばよいだろうか。 ひとつひとつの場の情報量がとても多い。それは視覚的なものにおいて。台詞…というか、登場人物の心情すら字幕で表現されるところもある。お岩が薬とそれを与えてくれた伊藤家へ感謝の念を示す場面は前半の見どころでもあるのだが、それを字幕で表すとは。田宮伊右衛門がお岩から質草を奪いとる場面でもその手法は採用される。字幕が出た途端、伊右衛門はこどものような癇癪を起こし暴れ出す。情報量とそのスピードに驚き、演出(というか仕掛け)に役者が引っ張られてしまっているようにも見えてしまうのがちょっとひっかかる。しかし三時間弱の早い展開で見せる今回の上演に際して、はっとさせられたのも事実。これらの場面での、静まり返った劇場の空気とともに強く印象に残った。「夢の場」は文字通り夢心地、同時に悪夢のようでもある画ヅラが強烈。今作品最も印象に残る場面だった。 とはいうものの、頭と身体が直結するのにちょっと時間差を感じる。舞台には時折、スーツ姿で整然と歩くサラリーマンの一群が現れる。終盤、病が癒え四十七士に加わることの出来た小塩田又之丞がスーツ姿で現れ、伊右衛門とすれ違う。スーツは「所属する者」の象徴なのだ。と、その解釈を考えるのは楽しい。しかし舞台上にサラリーマンが現れたときの「?」が、「!」に変わるその時間が惜しい。物語に没入出来ない。転換も早い。前述の「夢の場」も、もう少し長い時間観ていたかった。 ダイレクトに心が動かされた場面は役者の力によるところが多かった。扇雀丈演じるお岩の、鬼気迫る髪梳き。直助権兵衛の残忍さを示す、勘九郎丈の身体の説得力。国生丈演じる小仏小平の懸命なさま。首藤康之演じる又之丞のキリリとした姿の美しさ。そして七之助丈演じるお袖がお岩の櫛を受けとり思わず「は、」と漏らす声、そのちいさな声が二階席迄刺すように届いたとき。 そして思い出す、勘三郎丈演じるお岩が、ていねいにゆっくりと薬包を開く仕草を。静けさのなか響く、「ありがとうございます、ありがとうございます……」という声を。 個人的には何度もいろんな演出で観てこその楽しみがあると思っている『四谷怪談』。「小仏小平住居の場」≈「小塩田隠れ家の場」があることで小平の存在に焦点が合うところ、伊右衛門と又之丞の対比が描かれるところは今作ならでは。木ノ下歌舞伎 の通しを観ていたおかげで場の了解がスムーズに出来、助かった。うっすらしたあらすじだけ知っているひとが初めてこの演出で観たら戸惑うかもしれない。幕切れも唐突と言えば唐突で、カーテンコールが始まったとき後ろの席のひとは「えっ、これで終わり?!」と驚いていた。インパクトがあるのは確か。 それにしてもなんというか…てんこもり演出だったなあ。宮本亜門の『金閣寺』(初演 、再演 )をちょっと思い出した。ホーメイが使われていたし。人海戦術的な場面にも連想。振付のクレジットがなかったのだが誰が手掛けたのだろう? ----- ・お岩が薬をのむ場面、普段は「あ~のんじゃうよ~」「のんじゃった……」と悲しく見送るんだけど、扇雀さんのお岩には「のむな!」「のんじゃだめ!」て切実に思った…つらい…… ・笹野さんがいろいろ卑怯(笑)「第三者の~」とか言い出したところは大ウケ。しかも波状で「……今スルーしようとしたけど第三者って言った?」「聞き流しかけたけど第三者って言った!」てな感じで笑いがじわじわ拡がっていったところが面白かった ・美術協力に山口晃! それにしても贅沢に使うことよ……。江戸の風景に東京が、と言ったような全体的な影響もありそうだが、具体的なラフ案は地獄宿と三角屋敷で使われていたと判断。違ったら失礼 ・協力と言わず一度ガッツリ組んでほしいですな! たいへんだろうけど! ・人海戦術ならぬ鼠海戦術も。お岩の赤ん坊を連れ去れるところ、ねずみのあまりの多さに鳥肌が……一匹いた大きいのはみけねこ喰ってました、ゾワ~ ・字幕、『動物のお医者さん』のどうぶつたちの台詞がああいう出し方だったよなあと思い出してしまいひとりでニヤニヤしていた。「なぜだろう こんな花曇りの日は ゆううつになる事があるのよ」
2016年06月11日(土) ■
『コペンハーゲン』
シス・カンパニー『コペンハーゲン』@シアタートラム『アルカディア』 から、シスの公演が数学づいている。数学を通して歴史を見る。今回は史実にも残る、とある一日を追う。その後の歴史に大きく影響した、三人しか知らない、そしてその三人さえ、どう受けとめれば良いのか理解しかねている一日を。マイケル・フレイン作、小田島恒志訳、小川絵梨子演出。 1941年秋、ナチス占領下のデンマーク・コペンハーゲン。ドイツ人物理学者ハイゼンベルグはかつての師、ボーアの家を訪ねる。ボーアはユダヤ系で、今となっては思うままに研究が出来ない。生活も、命すら危ぶまれている。彼の論文を口述筆記する等、研究に深く関わってきた妻マルグレーテとともにひっそりと暮らしている。盗聴や尾行もありうる危険を顧みず、ハイゼンベルグがボーアを訪ねたのは何故なのか。 面白いのは、彼らはその一日を未来から見つめていること。その未来は観客側からすると現代になる。この作品がいつの上演されようと。数十年先だろうと、数百年先だろうと。三人は死後の世界から、この一日を検証しているのだ。核開発が戦争に、いや、その後の人類の歴史に及ぼす影響は? 原子爆弾を先に開発出来たのがドイツだったら? 広島の空の下にいたひとびとは何に巻き込まれたのか? ハイゼンベルグが計算を間違えたのは故意か、恐怖に駆られたためか、ではその恐怖とは? 物理学を通したゴドー待ちのような作品だった。エストラゴンの「どうにもならん」という台詞が思い出される。何度検証しても、数学的には答えは同じ。それでも不確定要素に可能性を託し、三人は諦めない。それがせつない。『アルカディア』でもそうだった、世界は必ず終わる。間違いない。しかしこの世界には、数学で解明出来ない不確定要素がある。それには現時点では、という但し書きがつく。いつの日かその不確定要素に規則性が発見される、つまり数学的に証明される未来がくるかもしれない。その日がくる迄、三人は検証し続ける。命が尽きてなお、検証は続く。未来には絶望しかないが、未来を信じてもいる。 まーそれにしても台詞が難しい、滑舌的にも。演者が相当苦戦してる。段田安則、浅野和之、宮沢りえ…このメンツが! 出演者が三人のみ、その全員が全編通して出ずっぱりなので、一度リズムが崩れると修復が難しい。これだけの役者が揃っていてこれだけ芝居がつんのめるのは初めて観たよ……と、とまる? ってくらいヒヤヒヤした場面も。台詞を血肉化するのは本当に難しいことだなと思う。ストーリー自体は、物理学や量子力学についてさほど理解していなくても大丈夫な流れです。むしろ歴史を知っていた方がよい。専門用語についての補足説明は台詞に含まれている。実際その意味合いはちゃんと伝わる。そしてこれは、役者の力量に依るところが大きい。 小川さんは、演者を交え徹底したテキレジをすることで知られている。テキストの背後に横たわるサブテキストに気付き、物語の歴史的背景を知り、作品への理解を深めることはとてもだいじなことだと思う。しかし今回に関しては、テキストが理解とともに演者の身体をどう通るのか、観客へどう伝わるのか、というところ迄追求してこその芝居づくりではないのかなと感じたのも事実。個人的な感想だが、自分がよくもわるくも小川さんの演出作品を信じきることが出来ないことの原因がわかったような気もした。ときどき物語の解説を読まされているような気持ちになることがあるのだ。 深い感動を覚えた作品でしたが、芝居のコンディションが整うであろう後半に観ればよかったかな……と思ってしまうくらいには発展途上の上演でした。惜しい気もする。が、がんばれ! と思わず手に汗握ってしまわない状態で観たかった……。それにしても段田、浅野両氏は言わずもがなだが、宮沢さんは本当に堂々とした舞台俳優になったなとしみじみ感じ入った。声の強さ、身のこなし、どこから見ても隙がない。 -----・「シュレーディンガーの猫」実験を再現したら衝撃の結末が!ショートフィルム「シュレーディンガーの箱」 : カラパイア 対話のなかにシュレディンガーの名前が何度も出てきて、これを思い出したので。「ああ、ねこの……」「あのねこの……」て吹き出しが客席に浮かんでるようにも見えます(笑)私もシュレディンガーつったらねこしか浮かばないよ……