今日は雲ちゃんのお泊り保育。
夕方幼稚園に集合し、明日の朝9時半には迎えに行くという、 ほんとに泊まるだけのイベントだけど、 数週間前からあれやこれやと準備をし、 ついに迎えた当日!・・って感じ。
たった一晩だけとはいえ、 はなればなれになるので、 夕方までは二人で仲良くいちゃいちゃと過ごそう・・ なんて思ったものの、 いざ朝を迎えたら、ちょっと眠い普通の朝。
雲ちゃんはマンガみたいな顔(どんな顔じゃ)をして DVDのトトロに見入り、 私はこうしてパソコン。
ま、こんなもんでしょう。
台風の影響で天気が不安定で面倒くさい。 晴れているときもあるけど、 降るとなるとあっという間に、ざーーーっと大量に降るので、 洗濯ができない。 洗濯自体はできても、干すのに困るから。
全然関係ないけど、 アメリカ人のほとんどは(ってこの漠然とした言い方・・・) 職場の仲間の年齢を把握してないらしい・・という話を 夫から聞いた。
これもまた漠然としたイメージでしかないけれど、 いかにもアメリカっぽい。
他人の年齢が気にならないというか、 関係ないねって心底思えるっていうことは、 自分が何歳かっていうことにも無頓着ってことで、 何かを始めるのに、「もう○才だから・・・」なんていう 悩み方はしないんだろうね。
「○才になったらこう生きろ!」みたいな本を、 よく書店で見かけるけれど、 そういう本もアメリカでは売れないんだろうね。
私は人の年齢が気になる。
何歳だからどうだこうだと評価をすることはないのだが、 「年齢のなせるわざ」っていう部分があると思っているせいか、 この人いくつだろうってすごく気になる。
良し悪しではない。
歳をとっているからイヤだとか、恥ずかしいとか、 そういうのもない。 なので、相手の年齢を聞くときには、単刀直入に聞くし、 自分の年齢もわかりやすく、すぱっと言うよ♪・・言うよ♪・・って・・・がはは。
何を気にしているかというと、 ちゃんと分析したことはないので、 ちゃんとは書けないけれど、 なんだろ・・・その人の経験値を知りたいのかな?
いや、それだけじゃないな。
むしろ、「亀の甲より年の功」みたいなのを信じているのかもしれん。 ・・なんか、キャラどんどんかわってるし。がはは
だって、年齢とともに、物理的に年を取っていく部分ってあるでしょ? だいたいにおいて、衰えていく部分が多いんだけど、 その衰えって、実際にそうなってみないと実感できないことがほとんどで、 それを知っているかどうかっていうのは、 ある程度何かの判断基準とか、価値観とかにかかわってくると思うんだよね。
「人生ってやり直しはきかないと思うよ」 って言う言葉を、25歳がいうのと、45歳いうのと、85歳がいうのとでは、 言葉の重みって違うと思わん?
ま、25歳と85歳じゃ、見た目で明らかに違うから、 何歳だろう・・って思うとかそういう問題じゃない気もするが・・・
もちろん、年齢だけじゃなくて、 生活暦とか、環境とか、学歴とか、職歴とか、職種とか、 いろんな要素があって、一人の人だから、 年齢がわかればその人がわかる・・っていうもんじゃないけど、 一つの判断基準にはなるっていうか。
だから、判断するほど興味がない人の年齢は全然気になりません。 わはは
でも、今これをだらだら書いていて思ったのは、 やっぱりなんだかんだいっても、 単純に年齢を気にする文化が根強い(の?)日本で生まれて育ったから、 年齢が気になるのかしらねぇ・・ってことね。
ていうか、私の場合、「年上の人は敬いましょう」思想が強い母親に、 「一つでも年が上の人には(尊)敬語を使いなさい!」と 小さい頃からちょーーーーー厳しくしつけられたからだわね。
おかげで小学校一年生のときから敬語が正しく使え、 「礼儀正しいいいお嬢さん」と評判だった(がはは。自分でいうか)けど、 たったこれだけのことで、いろんな面での柔軟性を欠いている気がします ・・・ってこれは私の人生相談か・・・がはは。
お泊り保育まで、あと7時間半。
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