というわけで(12月7日分参照)、バンクーバーでお世話になるホストファミリーの方に昨日コンタクトをとった。
これからお世話になるからにはせめてご挨拶だけでもと思い、無礼を顧みず電話をかける。挨拶に始まり、マユゲ自身の計画などについても簡単にお話し。ホストファミリー氏はその話し振りから、僭越ながら申し上げるに「信頼できそうな人」だと感じられ、まずはひと安心。さらに少々お話をした結果、先方のご都合もあるので、取り敢えずは渡航後の一週間ご厄介になり、その後についてはお互い相談をさせてもらって決めましょうということとなった。
自分自身、学校や住まい探しのこともあるので、最初の一週間の拠点提供を約束してもらえたのも安心材料である。その間に並行して仕事探しにも励もう。忙しくなりそうだな。でもなんか嬉しいものがある。なんだかんだ言って、忙しいのが性に合っているらしい。
しかし安心だけしていられるわけでもない。ホストファミリー氏はマユゲを気遣いとても丁寧な対応をしてくれながらも、現在のバンクーバーの「厳しい現実」に目を向けさせることを忘れなかった。
マユゲが潤沢な資金をもとに旅行を中心にして暮らすつもりではなく、ある程度腰を据えて現地での仕事を経験しながら生活したいということを告げると、その「厳しい現実」についての話をしてくれたのだ。
もともと一月というシーズンは、バンクーバーにおけるワキングホリデー・メーカーたちの雇用を生み出す主な産業となる「観光」が下火の時季だという。ウィスラーなどでの冬季の観光業に関する求人も、たいてい10月頃で埋まってしまうそうだ。しかもこのところ続く不景気に加えて先のテロ事件。現在のバンクーバー界隈はかなり「冷えきって」いるそうである。最低賃金だろうが何でもやるという覚悟をしてこないと、なかなか仕事は見つからないだろうとのことであった。カナダ人でさえ職探しが難しいというなか、英語もさほどできないマユゲのような者は相当苦労することになるのが予想される……。
こういった厳しい現状についてはいろいろな情報源から得て知っていたつもりでも、実際に現地で、その「厳しい現実」のなかで暮らす人の肉声を聞くと、ずっしりと重いものがある。
「俺はそこらの学生上がりとは違って、"生き馬の目を抜く"広告の世界で五年間働いてきたんだぜぃ」という"自信"が、いつしか"思い上がり"になっていたように感じられてくる。俺はそもそも手に職さえないのだ。もう一度ゼロからのスタートのつもりで行こう。
いくら休暇を過ごすことがワーキング・ホリデー制度の本来の目的で、渡航前に仕事を決めることができないという現実があるにしても、「学校も仕事も、行ってから決めればいいや」的な甘い考えは禁物。しかし歯がゆいのは、苦労を覚悟しておくことくらいしかできない今、やっていることがその「甘い考え」と大差ないということ。
せめて日本にいる間は、英語の勉強をできるだけ進めて、学校くらいはリストアップしておくとしようか。「比較的見つかりやすいかもしれない」というファームステイなども視野に入れて、選択肢を広くしておく余裕もあったほうがいいかもしれない。
またまた力が甦ってくる。
2001年12月08日(土)
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