昨日はなんか不穏なこと書いてるなぁ(笑)。 俺も馬鹿だなぁ(笑)。
とりあえず対策などを相談元に進言。 (昨日の情報は相談を受けて入手したのだよ) それで様子見だな。うん。 大丈夫。味方はいっぱいいるからね。
自分たちの気に入らないことをしてるから潰そうなんて、 まるでアメリカ並みの幼稚さだ。 んなことやるからネット詩の評価が低くなるんだよ。
さて。気を取り直して。セックスの話。
感じてくれれば、いっぱいイッてくれれば嬉しいってのは、幻想で。 いや、幻想ではないけれど、それだけでは計れないものがある。
たとえば男が 自分のためにセックス“する”ことがあって、 同じように、男が 自分のためにセックス“される”ことがあるのね。
それはもう、ローターとかバイブとかペニスとか、 そんなのに関係なく、 相手は感じてるんだけど、 それは俺が感じさせてるんだけど、 けれどそれは女が自分のために感じてる。 そういうセックスがある。
んー。微妙なんだけど、 別に棒として使われてるわけじゃないんだよね。 相手もそんな意識はない。 オナニーの延長ではなくきちんとしたセックス。 だけど。だけれども。
セックスに対する姿勢の問題じゃなくて、 在り方の問題なのかもしれない。 気持ちの行った先が、そのフィードバックが、 体の反応を元にした気持ちだけから帰ってくるのね。 「こんなに気持ち良くしてくれてありがとう」という場所だけから。 俺は贅沢なんで(笑)、それだけじゃ物足りない。 んと、お互いが気持ち良くなるためにセックスするんじゃないでしょ? 気持ち良くなるのはあくまでも手段であって、 「何故セックスするのか」という観点が、 「こんなに気持ち良くしてくれてありがとう」ってところにはないんだよな。 そういうセックスは、そこが、すごくさみしい。
体を求め合うだけのセックスとはまた別のね、さみしさがある。
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