即興詩置き場。

2002年03月02日(土) さみしいセックス。



昨日はなんか不穏なこと書いてるなぁ(笑)。
俺も馬鹿だなぁ(笑)。

とりあえず対策などを相談元に進言。
(昨日の情報は相談を受けて入手したのだよ)
それで様子見だな。うん。
大丈夫。味方はいっぱいいるからね。

自分たちの気に入らないことをしてるから潰そうなんて、
まるでアメリカ並みの幼稚さだ。
んなことやるからネット詩の評価が低くなるんだよ。



さて。気を取り直して。セックスの話。


感じてくれれば、いっぱいイッてくれれば嬉しいってのは、幻想で。
いや、幻想ではないけれど、それだけでは計れないものがある。

たとえば男が
自分のためにセックス“する”ことがあって、
同じように、男が
自分のためにセックス“される”ことがあるのね。

それはもう、ローターとかバイブとかペニスとか、
そんなのに関係なく、
相手は感じてるんだけど、
それは俺が感じさせてるんだけど、
けれどそれは女が自分のために感じてる。
そういうセックスがある。

んー。微妙なんだけど、
別に棒として使われてるわけじゃないんだよね。
相手もそんな意識はない。
オナニーの延長ではなくきちんとしたセックス。
だけど。だけれども。

セックスに対する姿勢の問題じゃなくて、
在り方の問題なのかもしれない。
気持ちの行った先が、そのフィードバックが、
体の反応を元にした気持ちだけから帰ってくるのね。
「こんなに気持ち良くしてくれてありがとう」という場所だけから。
俺は贅沢なんで(笑)、それだけじゃ物足りない。
んと、お互いが気持ち良くなるためにセックスするんじゃないでしょ?
気持ち良くなるのはあくまでも手段であって、
「何故セックスするのか」という観点が、
「こんなに気持ち良くしてくれてありがとう」ってところにはないんだよな。
そういうセックスは、そこが、すごくさみしい。

体を求め合うだけのセックスとはまた別のね、さみしさがある。


 < 過去  INDEX  未来 >


いとう [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加