2002年03月11日(月) |
今日は手抜きで会社からコソコソっと。 |
昨日のに少し付け加え。
まず「落語」→「漫才」という流れと、 「“読む”詩」と「リーディング」の流れを同一に捉えているのは あくまでも便宜上のことです。誤解があるといけないので注釈。 「詩の発生」という歴史的側面から考えると、もちろん順序は逆。 ただ、最近のムーブメントの流れ、 あるいは戦後以降の詩史の流れとして捉えると、 そういう喩えもあてはまる、ということで。
んで、劇的演出についてもう少し考えてたんだけど、 たぶんね、その有無をはっきりと目に見える形で説明するなら、 読まれたテキストを紙におこした場合に鮮明になると思う。 一般のリーディングテキストを紙におこした場合、 それはやはり、「詩の作品」として読まれるわけですよ。 少なくとも詩の作品として読むことができる。 けれど、浮遊賛歌がやったパフォーマンスは、 あれはおそらく、台本、あるいは脚本に近いものになると思う。 そういう違い、ニュアンス、が、ある。
たしか長田弘だったと思うけど、 ト書きとか含まれてる、脚本のような詩を誰かが書いてたんだよな。 あーいうのとはまた別なんだけどね。
|