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林檎をかじりながら - 2002年02月18日(月) 私は林檎が非常に好きだ。 毎日1個皮ごと食べている。今では、季節に関係なく一年中食べられるのが 有り難い。昨年の晩秋から箱で買っているが、現在3箱目に突入中だ。 「林檎をかじりながら」にぴったりな曲と言えば セカンドの「シルクスカーフに帽子のマダム」だが 今日は「8」を聴いている。 改めて気付かされた事だけれど、吉井和哉の詞には「愛」が多いのだねえ。 沢山出ては来るけれど、その「愛」は大きな力を持ってはいないように感じる。 運命や現実や孤独の前では愛は儚い幻のようだと言っているみたいだ。 愛が全てを超越するという理念など、幻想に過ぎないのだろうか。 「LOVE IS POWER」がモットーの私にしては珍しく弱気か? 『PUNCH DRUNKARD』が出た時に吉井さんが「音楽と人」で語っていた 《今は【愛】は汚されてしまって可哀想》という言葉を思い出す。 《愛とか強調すると顔が変になるよ》というフレーズも。 今の世の中至る所で「愛」が氾濫して、安っぽくなって仕舞っている。 砂糖だらけの「愛」よりも、「痛み」や「苦さ」の方が信じられる事もある。 「音楽と人」の中で彼は「愛だけを表現したい歌だったら、絶対『愛』って 言葉は使わないだろう。」「俺にとって今『愛』っていう神様があまり リアルじゃない」と述べていた。 私は『PUNCH DRUNKARD』の中の「愛」と 『8』の中の「愛」とは少し違うように感じた。 「峠」の最後に溢れてきたのは、彼の聖域のような「愛」なのじゃないだろうか。 今現在の吉井和哉の中の「愛」という言葉はどんな意味を持っているのだろう? 2002年の今、吉井和哉の紡ぎ出す「愛」の歌を聴きたいと強く願う。
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