Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2002年06月04日(火) 新しい手法

僕は、常々思っていた。
日記に書きたいと思っていても、
すぐにその内容を忘れてしまう、と。
健忘症なのかと思っているが、
その是非はさして重要ではない。
どちらであろうと、現状はそれほど変わらないからだ。
そして、もしそうであったとしても、
治療を要するほど重症であるとは考えにくい。

そのために、今日はある手法を用いた。
システム化、構造化とも呼べる可能性があるが、
一般的にはもっと簡単に呼ばれるだろう。
すなわち「メモを取る」と。

僕の記憶能力がある程度低くても、
一度内容を示す言葉を記してしまえば、
そこからその全容を探索することは比較的容易である。
そのため、僕の記憶障害と思われる症状は、
漠然とした状態から記憶が引き出せないものであって、
記憶そのものは失っていないと考えられる。

日記に書きたいと思う内容は、
特定の条件を満たすときに、ひらめきやすい傾向にある。
条件とは、
軽度、もしくは極めて軽度の運動を行っている状態で、
その間、特に考える事柄のない場合である。
具体的には、歯を磨いている途中、
自転車に乗っている最中、トイレに入っている最中、
などが挙げられる。

これを散歩の途中、と言い換えると理解しやすいかもしれない。
かの有名なベートーベンには、
散歩中に作曲を行った、という話が残っているらしい。
僕の記憶と参照した文献が確かならば、ベートーベンの交響曲第六番、
「田園」はそのようにして作曲されたはずだ。
ちなみに、参照した文献は、
その当時の僕の音楽的素養から考えて、
文部省(当時)検定の音楽教科書であった可能性が高い。

ところで、以上のような条件を考えたとき、
現状と比較して問題を生じる。
軽い運動をしていなければならないのだが、
残念なことに、PCの操作はとても運動とは言えない。
キーを叩くのは運動と言えるかも知れないが、
さすがの僕もこの程度で運動と言うほど運動不足ではない。
今日もキャッチボールとゴルフとテニスをプレイして、
脱水症状に近い症状に加え、軽度の火傷(日焼け)、右手親指の肉刺(マメ)、
そして喘息症状に陥ったばかりである。

話はそれるが、
この喘息という症状、
とある文献(マンガ)によると、
分泌物が気管に詰まることによって生じる呼吸困難が原因と述べられている。
治療法としては吸引器というものが挙げられているが、
残念なことに、僕はその器械を持ち合わせていなかった。
そのため、講義中にかなり苦しむことになった。
感覚的な表現になるが、
ほとんど息を吸えない、まともに話もできない、
わずかでも息を吸い込むと気管に痛みを感じる、
といった症状があり、それなりの苦痛を伴う。
僕は急性の症状であったのだが、
慢性の喘息患者の精神的な苦痛は、もはや想像の域を超えている。

それで、
日記の内容をひらめきやすい状況と
このPCの前に座る、という状況を結びつけるために、
僕はある手法を考案した。

それは、
何かが思いついた瞬間に
その内容を象徴する言葉を繰り返しながら
全速力でPCの前まで走るのである。
忘却の原因としては時間的ギャップと、
周囲の環境の変化が挙げられるが、
そのうち時間的ギャップを大幅に減少させることで、
忘却を防ごうとしたのだ。
極めて安易ではあるが、効果的であった。

そして、記憶から消えないうちに言葉を入力した。
その後、歯を磨きながら再び思いついたことがあると、
そのたびに階段を駆け上がり、キーを叩いて記録した。
なぜか、手帳などに記せば良い、という考えは浮かばなかった。

だが、僕は重要な問題を考えていなかった。
それは、現在使っているこのPCが極めて不安定であるという事実である。
結果から述べれば、
多くの体力と引き替えに僕が記したメモは、
ブチッという音とともに、
きれいにこのPCのメモリから消え去ったのである。
ブチッという音は、解像度が変化するときに鳴る
カソードレイチューブディスプレイの音である。

安易な計画は失敗を招く。
常に最悪の事態を勘案しなければ、
物事というのは首尾良く動かないものだ。
しかし、通常PCを使って作業する場合、
STOPエラーというのを常に勘案する必要はないのではなかろうか。
安物の自作PC故の悩みである。

だが、記憶から何とかいくつかの項目を引きずり出し、
さらに上に述べた記憶の条件、
すなわち、「時間」と「そのときの環境」のうち、
環境を再現することによって
かろうじてすべての項目のサルベージに成功した。
サルベージした情報は、より古典的で信頼性の高い記録方法で保管している。
平たく言えば、紙にペンで書いておいた。
知人がPCのディスプレイと紙・ペンのセットを比較していたが、
現状では、これらはどちらも一長一短というレベルであろう。
悪く言えばドングリの背比べだ。
紙・ペンの利点だけ記しておくが、
作業領域、筆記の速度、利便性、意志の反映度の高さ、などが挙げられる。

前置きが長かったが、日記自体はたいしたものではない。
最近、よく話す女性の友人がいるのだが、
弟や男の友人たちに、
「おまえはその子に気があるのか?」などの質問をされることがある。
僕も、もしかしたらそうなのかも知れない、
などと思っていたのだが、
冷静に検討してみるとそうでもないことが分かった。
その理由は実に情けないものであって、
自分自身の名誉を失墜しかねないが、
どうせ日記だし、知っている人はほとんど読まないし、
そのわずかな知っている人だって、
わざわざ僕の人格を攻撃することによって
利益などなにもないことを理解している人のはずだから、問題はないだろう。

僕には、女性の友人が少ない。
いないわけではないが、どう考えても多いわけではない。
高校の頃も、三年時には男子のみのクラスだったし、
大学も、理系の大学というのは、
それはもう、女子学生が少ないものだ。
僕が言っている大学は、理系としては女子学生の比率が多い部類に属するが、
それでも、課程にいるのは概算で5名程度である。

…酒は飲んでいないが、少し酔っているような気がする。
が、気にしていては日記など書けないので、このまま続けることにする。
理由だが、要するに女性の友人が少ないから、
数少ないその人との友人関係を失いたくない、
というただそれだけである。
情けない話ではあるが、おそらくこの認識で間違ってはいないと思う。

ついでに言えば、
彼女は僕の理想にかなり近い、ということも言える。
少なくとも尊敬できる人でなければ話にならないのだが、
とりあえず、僕よりもプログラミング技術を持っていることは間違いないし、
話した感じでは、他のどの女子学生よりも知性を感じられる。
比較対象のレベルが低い、と言わざるを得ない現状もあるにはあるが。
そして、情報工学の課程に所属しているはずなのだが、
まともにUNIXの話ができたのは、教官以外では彼女が初めてである。
その意味でも、彼女の存在は極めて重要である。

ただし、その意味では条件を満たす人が他にも存在する。
数少ない知人の中に、そのような優秀な人がいたことは
望外の幸運である。
もっとも、いつも教室の一番前に座って
まじめに講義を受けていれば、そのような友人ができることは
自明と言えるかも知れないが。

もし僕にその気があれば、
今度の乗船実習において彼女たちとグループが一緒なので、
何らかの方法が考えられるかも知れないが、
まあ、実現は困難であろう。
もしその気がないにしても、挑戦することは可能である。
しかし、それは相手に失礼であるし、なにより利点がない。

次に記したかったことは、歯磨きの手法である。
上記のことはほんの数日で考えたことであるが、
この歯磨きについては、十年に及ぶ試行錯誤が行われている。
僕は現在二十歳なので、ある意味では僕の人生の半分をかけたと言える。

歯磨きは、通常はランダムアクセスによる手法が用いられていると思う。
直感によって磨く場所を決定する、
というアルゴリズムを直感による回数だけ実行して、
歯磨きを終える、というものである。
このような手法は効果的であることもあるが、
歯磨きにおいては不適切であると考えられる。
十年も考えていれば理由などかなり挙げられるのだが、
すべてまとめれば、「それでは虫歯になる」ということだ。

直感で磨く場所を決定すると、
その人の癖によって、常に磨かない場所ができる可能性がある。
その場合、その場所が虫歯になる可能性がある。
そのような可能性を排除するには、ランダムに対立する概念である、
シーケンシャルな歯磨きが考えられる。

シーケンシャルな歯磨きであれば、
確実に歯のすべての面を磨くことが可能である。
しかも、一つの面を複数回磨く非効率の可能性も排除できる。
この結論に達したのが上に挙げた十年前で、
アルゴリズムは勘であった。
その後の十年間は、これをどのように改善するか、
という思考に費やされた。
何しろ、歯を磨いている間は、歯を磨くしかないのだ。
同語反復の疑いがある文だが、気にしないでいただきたい。
基本的にそれ以外のことはできない。
それ以外の思考もかなりしていたのであろうが、
歯を磨いている間は、歯を磨くことについて、
もっとも多く考えていたように思う。

経過を事細かに記そうかと思ったのだが、
面倒だし意味もないので割愛する。
ちなみに、ここまでの記載は「自己満足」という意味を持つ。念のため。

結論として、歯の前面を磨いてから、
一日ごとに左右を交換して磨く、ということになった。
このようにすることで、アンバランスを是正するとともに、
前日に磨いたのはどちらだったか毎日思い出すことで
記憶の刺激を期待したのである。
ただし、これにはあまり効果は見られず、
未だに、前日は左右のどちらを磨いたのか忘れていることがよくある。

これで、七つ用意した考えのうち、
日記の書き方、女性の友人、歯磨きの三つについて書いた。
残りは四つである。
読んでいる方はいらっしゃるのだろうか?
はっきり言ってご苦労さまである。

「春ランマン」というドラマをご存じだろうか。
この文字の使い方から推測できるだろうが、
見ていると不愉快になるドラマである。
そのようなものを見てしまったのは、家庭の事情による。
食事中、母が見ているのに文句が言えなかったと、
ただそれだけである。
母は、酒を飲むと人格が変わる。
僕はその血を引いている、と考えるだけで、
怖くて酒は飲めない。
ちなみに、ガンが怖くてタバコは吸えない。
受動喫煙は多いが、自分がタバコを吸うと受動喫煙が減る、
ということはないだろう。
増えることはあるだろうが。

それでそのドラマなのだが、
突然、よく分からない二人組が家に入り込んできた、というシーンがあった。
どうやら、そのうちの一人はその家の住人の知人らしい。
しかし、もう一人はほとんど赤の他人らしい。
そいつらが、その家の部屋を片っ端から物色し始めた。
この時点で、かなり非常識で常識というものを感じさせず、
非常に不愉快であったのだが、
このドラマは常にその調子である。
あきらめて見ていたら、突然登場人物の一人が激高した。
しかも大阪弁でかなり激しい。

…で、要するにそれで僕はとても満足したのである。
その後に、その非常識な連中を殴り倒すシーンがなかったことだけが不満である。
ただ、そんなシーンなどなくても、
十二分すぎるほど満足した。
秩序を乱す非常識な人間は、それ相応の報いを受けるべきである。

ただ、その後で冷静に考えると、
そのようなドラマのシーンに、なぜこれほどまで
強い満足を感じたのか、とても不思議に思う。
それほど、今の世の中に対する不満が強かったのだと思うが。
しかし、僕の中にそのような非常識な人間を見下すような
考えが居座っていることは間違いない。
前から自分の課題になっているのだが、
尊敬できる点が見あたらないような人間に対して、
僕は過度に見下す傾向があるのだ。
たとえば、他の人間を脅迫して金を得ているような人間は
すべて死刑にしてしまうのが世のためだ、と本気で思ってしまうことがある。
あと、知的な障害を持っている人に対してもそうである。
だからこそ、自分がそうなるのが本気で恐ろしい。

まだあるが、明日に回そうと思う。
はっきり言ってどうでもいいし…。
一応書こうと思った内容は、
着香料の不正使用問題、ギコ猫について、
一社提供番組について、である。

簡単に言いたかったことを書くと、
着香料は、事態が大きい割に
ワールドカップに押されて反応が少ないなあ、ということ。
ギコ猫は、2ちゃんねるを敵に回す、
ということがどういうことか、理解していない人がいるなあ、ということ。
一社提供番組は、そういう落ち着いた番組が
もっと増えてくれるといいなあ、と言いたかったのである。
…書こうと思えば一言でまとまるものだ。
さすがに、これだけ書くと疲れた。
今日はここまでとする。

ちなみに今日から、最後の部分にスラッシュを二発入れることにする。
僕は、STOPエラー対策のために
書いている途中の日記を何度も登録しているためだ。
もし最後の部分にスラッシュが二発なかったら、
それは書いている途中だと思っていただければ幸いである。//


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