カンラン
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電話って,結構使いますか?
私は電話嫌い。 なんか居心地が悪くて。
沈黙してはいけないと 次の話題を考えていると, 今の話題が結局うわの空状態になってしまって, そんでもって いざ切り出そうとすると 相手の声と絶妙なタイミングでかぶってしまって,
「あっ,ごめん。何?」
「あ,いや,こっちこそごめん。いいよ。先言って。」
なぁーんてやってるうちに,
「ごめん。何言おうとしたか忘れた。」
で,結局,しぃぃぃーん・・・てなってしまう。
どこで電話を切るかっていうのも神経すり減らす。 みんなどうやって話を締めくくるんだろう。 疑問です。 一旦「そろそろ時間かも。」と思ってしまうと, どきどきしてしまいます。 「さようなら。」って言われるのを待っているようでいて, 反対に, 「さようなら。」って言わせたくないから とにかく何でも喋ってやろうかな,と考えているような。
そして何より,電話って切った後さみしくないですか? 私は,さみしいです。 ほんとのこと言うと, 「下手に声聞くんじゃなかったよ。」と その後さみしい雰囲気を ずりずりずりずりひきづってしまい, 自分をはげます為に下手な鼻歌を歌ってみたりもします。
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それとこれとはちょっと違うかとも思いますが・・・
ちょうど今,読んでる本 中島らも氏の「愛をひっかけるための釘」の冒頭部分。
「人と出会いますと,それだけ哀しみが増しますから・・・」
という,とある漫画の中のせりふを取り上げて 出会いと別れついて書かれています。
そこにひかれて購入した本なのですが, 作者はそこで,
「それ(出会ったゆえに生まれる哀しみ)を避けるためにあえて孤独のほうを選ぶのは, むしろ血の熱い人間の選ぶ生き方だとも思う。」
とも記しています。 分かるような分からないような。 けどちょっとがぁーん,ときました。 直感的に。
人にふれあうのは気持ちいい。 最初,ひんやりして。 そのうちお互いがじんわりと一緒にあたたかくなっていく。
けれど,一旦ふれあっていた人と離れる時には, そのあたたかくなっていた部分が 今度はじんじんしてくる。 離れたあとには 思っていたより大きな穴がぽっかりあいてしまうのです。 まるで繋いでいた手が そのまま相手と一緒に消えてしまったかのような感覚。
ふれあえて,ひとときを一緒に 大切に過ごせたからこその大きな喪失感。
うまく説明できないけど,すごく心に残ることば。
少々とろい私は, ここのところずっとこのことばについて考えているわけです。
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