ぼくたちは世界から忘れ去られているんだ

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2002年03月19日(火) わたしをつかまえて
わたしをつかまえて。
ヨリコが突然はいたあまりに陳腐なそのセリフにわたしは驚かされた。
ヨリコは、自分自身の美学を持って行動する、悪く言えば自分だけしか見ないようなひとだから。「わたしをつかまえて」そのセリフが使われるのは、たいてい恋人同士で、これは偏見なのだろうけど、砂浜で笑いあったり、そんなシーンが目に浮かぶ。
そういったあまりにありきたりなものをヨリコは嫌悪していた。
ヨリコは一度わたしに言った。
「ねぇ、どうしてみんな鏡を見ないの?本当にやるべきこと、美しいことは、自分の中から出てくるはずよ」
今時の中学生には珍しい丁寧で穏やかな口調。中途半端に真似れば嫌味になりかねないヨリコのキャラクターは、あまりにも完璧で、周囲の人々は、戸惑いながらも受け入れてしまった。
そのヨリコが、「わたしをつかまえて」、だなんて。
ヨリコは、いつだってその胸の奥で静かにわく泉からきれいな水だけをくんで生きているような人だったのに。その泉は枯れてしまったの?
「どうしたの、複雑な顔して。あたし、何か変なこと言った?」
悩みこむわたしにヨリコはソプラノで問いかけた。
「言ったよ。私をつかまえて、だなんて突然」
口調を荒げるわたしにヨリコは首を傾げていった。
「そう?おかしいかしら。この状況、申し分ないわ」
どこが、「申し分ない」のだろう。今は昼休み。わたしたちは学校の屋上でお昼を食べている、そんな平凡かつ日常的な状況だというのに。
「あたしはね、本当につかまえてほしいの。わからないかしら。屋上、ランチ、快晴、ほら、ひこうきぐも。完璧だわ」
ヨリコは空を仰いだ。セミロングの髪が光に透けて明るい茶色になる。
屋上の周りに張り巡らされた金網のもとへと歩み寄り、ヨリコは金網を指でなぞる。
ちょっと、まってよ、といってわたしもヨリコのもとへかけて行く。屋上には、わたしたち二人しかいない。
「なんだか、歌でも歌いたくならない?でも、わたしは知らないわ。こんな日にあう歌を。やっぱりクラッシックかしら?ワルキューレ?」
ワルキューレってなんなんだ。名前しか聞いたことない。
「上へ、上へって歌うのよ」
ヨリコはゆっくりと歩いて、金網の鍵のあるところまで言った。
「ねぇ、知ってた?この鍵、簡単に取れちゃうのよ」
ヨリコは器用に鍵を外す。嫌な予感がした。
「わたしのこと、つかまえられなかったのね」
ヨリコはその長い足で屋上のふちをけると、蒼の世界へと飛び立った。
わたしは一人取り残され、立ち尽くしていた。


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