流れる水の中に...雨音

 

 

光陰矢のごとし。 - 2005年01月09日(日)

先日 茶道の先生のお宅で初釜が開かれたのだが
最近では社中が増えたために 顔だけは知っているけれど
余り良く知らないという人が増えて来ていて
2,3度茶会で御一緒したけれども 言葉を交わしたこともない人と
同席することになった。
彼女は女子大生だということは 何処からか伝え聞いて
知ってはいたのだけれども あまり認識していなかった所為か
今年成人式を迎えるという話題にも無頓着でいた。

先生が何気なく 彼女の干支をたずねると「ねずみです」と答えて
私は余りにも吃驚してしまった所為か 素頓狂な声をあげてしまって
皆に笑われてしまったのだけれど
今年成人式を迎える女の子が、私と干支がひとまわり違う子なのかと
思うと 改めて自分の年齢と言うものをしみじみ思い知らされてしまった。

まだ「若い」とは 別に自分で思い込んでもいなかったけれど
自分が老けたという認識もしていなかった。
付き合う友人達も まだフラフラ遊んでいたし
サロンなどで接する女の子達は 確かに私よりは若いけれど
それが羨ましいとも思わなかったし 何かにおいて劣っているとも
考えてみもしなかった。
正直、あぁあ という気分だ。

しかしながら あたらめて考えてみると
私の周りの男達も 結構良い年齢になってきているし
街で声をかけて来る人も つい2〜3年前までは
まだ結婚しているかしていないか、という若いリーマンタイプの男性だったけれど
最近では 胸にポケットチーフなんかをしているようなオヤジが増えてきていた。ひえぇぇぇ。

「もう歳だから」と嘆く友人に 「それは気合い負け」と
叱咤していたけれど なんのことはない 私が気づくのが
おそかっただけなんだな。

30過ぎて 若い男の子にしか興味を抱かない友人がいるけれど
正直私には不可解だったけれど
なんだか少しわかる気がしてしまった。
少しでも若さに触れて 感化されたいんだな、あれは。
ああ おそろし。


初釜の帰り、父とそんな話を迎えの車の中で話していると
「成人式の写真を写真館に撮りにいったのは 
ついこの間のことだったのになあ」と
父もなおさら 感慨深そうにつぶやいたりする。
私の感じる時間の経過よりも きっと父のほうが早いのだろうな。

「光陰矢のごとし」とは 良くいった言葉で
振り返った時間と 未来を臨んだ時間との
時の大小で その感慨や切なさも それぞれ違って来るのだろうけど
やっぱり何よりも 時間が一番大切であるのだなと
思ったりしたのだった。












...




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