流れる水の中に...雨音

 

 

嫁に出さない。 - 2005年08月30日(火)




私は4人姉妹の末っ子に生れた。
私のすぐ上の姉とは8歳も離れて生れているから
父もそれ相応に歳をとっている。
父は今の私の年代の父親よりもひと世代前の人種であるから
女性に対する固定観念というものは甚だしく
私は学習をするということよりも躾や行儀作法を
厳しく言われていた。
父は自分で事業をしていたせいもあり
ある意味世間には疎かったのだろう。
適齢期になると 必ず嫁に出ねばならないと
私はなんの疑問もなく 受け入れていたのだから。

父の姉は その時代には珍しく
女ながらに医学を生業としていた。
その叔母は そのことによって揺るぎなくなってしまった自尊心を
何処にも落ち着ける事ができずに 今でも独身でいる。
その叔母も今ではもう要介護者である。
叔母が女に生れた事が不幸だったのか 
医師になってしまったことが不幸だったのか私にはわからない。

私の両親は女ばかり4人を子に持った。
きっと1人は男の子が欲しかったのだろう。
そんなことを私に言ったりはしないが
きっと私までもが女であると知った時 失望したであろう。
私の主人も男ひとり女ひとりの二人兄妹であるから
私は私が担うべき責任は自覚していた。
私ですら胎児が女児であると知った時には
彼女には申し訳ないが 落胆したのだから。

今はもう そんな時代ではない。
子が家を背負うだなんて 甚だしくナンセンスであるし
家を背負うために子を産むのではないのだから
産んでからでも気付けたのだからよかったけれど。

彼女は まだ幼いけれど 
まるで男の子のように豪快で闊達で凛々しい。
男勝りの彼女に彼はお嫁に行くようにねと
まだこんな時分から言い聞かせているけれど
私はしきりに お嫁になんて行かなくていいよと
いいきかせている。
叔母のように淋しい人生を送って欲しくはないけれど
彼女を人にやってしまうのはたまらなく惜しいから。

先日 教授宅へおよばれした時に
「そんな男勝りじゃあ 頼まれても知らんぞ」と
教授にいわれたときには
「是非に嫁の貰い手をよろしく」と
お願いはしておいたのだけれど。





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