un capodoglio d'avorio
2002年04月27日(土) |
劇団DaDa「花之伝言」 |
午前中の稽古が終わってから、 夕方からサファイア氏の集団心理実験のモルモットになるまでの間に観に行った。 振り付け兼コーラスで参加しているマヤマヤ嬢のお誘い、ICU・D館オーディトリアムに向かう。
基本的にお金を取ってチケットを売っている団体に関しては、 それが採算がとれているといないとに関わらずエンターテイメント性が問われなければならない。 別の言い方をすれば、オーディエンスのいかなる批判も享受しなくてはならないのだから、 どかも迷ったけれど、ここにレビューとして書く。
ストーリーは書くほどのものでも無かったので割愛。
一緒に観た惣一郎とも話していたんだけれど、 大体「精神病」「白衣・看護婦」「正常・異常」「トラウマ」などというのは、 既にテーマとしてはかなり使い古しの部類に入っている。 というか、90年代後半に大流行りだったモチーフで、それでもう一度舞台を作ろうと志すのならば、 「斬新な切り口の脚本」と「テンションの高い役者」と「奇を衒った演出」のうち、 二つ以上そろえることが必要不可欠じゃないかな。 今回、演出家は残念ながら、この中の三つ目の要素しか持つことが適わなかった。
贔屓目ではなく、コーラスとダンスは良かったと思う。 肉感的なスピードを舞台に持ってくるとそれだけで常ならぬテンションが舞台に降りてくる。 陳腐なストーリーの前後とは無関係に捉えるならば、 何本もの足でならされる足拍子やダンスはボォっと観ていても気持ち良かった。 あの歌は不思議。 ボワボワしてくる。 だからあ、いっそのこと芝居じゃ無くてえ、 「ダンスパフォーマンス、歌付き」のが芝居よかええんちゃうのん? 舞台美術、これは良かった。 正面奥の「白いむき出しの木」は少し狙いがあからさまで恥ずかしかったけれど、 黒い左右のスクリーンは使い方も含めてどかは好きだった。 照明も限られたインフラで可能性を追求していた、いいと思う。
役者、堅い、全然、狂ってない。 怒鳴ればそれで常軌を逸することができると思ってんのん? 怒鳴るのとテンションは違うやん? あの「心の闇」と称したクネクネうねる人も何だか違う気がする。 舞踏っぽい動きは満喫したけれど「奇を衒」うのを狙っているのが目に付いてしまう (もしもどかが演出ならばあのキャラクターは絶対派手に動かさない、 極力静かでおとなしめの少年/少女にするな、絶対)。 唯一の救いは、理沙役、この人だけは違った。 天使エンジンで観て以来だったけれどさすがに一人だけ、 あの舞台と、あの空白と、戦っていた。 「もう別れて欲しいの」と消え入りそうな声の呟きには説得力があった。 でもそれだけ。
あとは使い古しのテーマをどこかで観たことがあるような転がし方をしてたんじゃないかなあ。 脚本ラスト、ある程度の飛躍があってそれを「深み」としてとる向きもあるだろうが、 どかはそれを単純に「逃げ」としかとれない。
ダンス、コーラス、美術、照明、良かったのはどれも別に芝居の枠にとらわれない要素ばかり。 必然性は説得力。 1時間と少しという短い時間設定はとてもいい演出家の判断だ。 でも場所がオーディでも、学生主体の団体でも、いい芝居を作ることはできるはず。 ICUの劇団黄河沙の舞台を大学入学以降何度も観ているが、 そのうちの幾つかは今でも思い出に残る作品だ。 「フォーティンブラス」とか「アパッチ行進曲」とか。 だから間違いなく、まだまだやれるのだ。
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