華のエレヂィ。〜elegy of various women 〜
MAIL  PROFILE & GUEST BOOK  


 本文が読みづらい場合、
 Windowを最大にして
 お楽しみください。

 +お知らせ+
 表紙にミニ伝言版開設!ご覧下さい。




-past- +elegy INDEX+-will-
2003年01月18日(土)

年下の男の子。 【番外編】


 【お願い】

 この回をお読みになる際は、検索エンジン等でクリムトの『the KISS〜抱擁』を
 別窓で読み込まれて、見比べながら読み進めていただけると、より楽しめます。



真知子から貰った絵葉書、クリムトの『the KISS〜接吻』を部屋に帰ってからも
ずっと眺めていた。
確かにこの女性のうっとりとした表情は素晴らしい。


絵画というのは、その書き手の人生や感情、思想が綿密に織り込まれている。

子どもに絵を書かせてみると、描かれたその対象の配置や大きさ、配色などで
心理状況が分析できるという。


実は絵の中でふと気になっていた部分があった。

金箔の衣装に身を包む二人が、幸せそうに抱き合う絵柄。
女性は膝を折り、男性の優しい抱擁を受けている。
その足元に咲く花。
その花が女性の爪先のあたり・・・絵の右下端で途切れているのだ。

以前、何らかの雑誌か何かで読んだ事があったが、
なぜこうなっているのか、という肝心の部分を俺は覚えていなった。

この絵は写実的に描かれた絵ではない。
ならば何らかの意味があるはずだ、と思った。

俺はこの絵について、色々調べてみようと思い立った。
思いついたら、行動せずにはいられない。



栄に買い物に出かけたついでに、俺は地下鉄を乗り継いである場所へ向かった。
地下鉄鶴舞線・丸の内駅から北に5分程歩いた所にある愛知県図書館だ。

そこで絵画関係の書物を抜き出し、クリムトについて書かれた部分を読む。


やはり有名な絵である『the KISS〜接吻』(以下『接吻』と略)の解説は
どの解説書にもそれなりに載っていた。

俺は書物を読んでいくうちに時代背景や彼の生涯と相まって、
『接吻』に描き込まれた深い世界を堪能できた。



19世紀末当時、人の心を惹き付けて止まなかったのが「金」だった。
ウィーンの駅、アパートメントなどの建物には金の装飾が流行していた。
金の輝きは、当時のヨーロッパの人々の心を掴んでいたようだ。


『接吻』が描かれた(1907〜1908)、20世紀初頭のウィーン。

その頃から始まった機械文明の台頭。
新しい時代の到来に、活気溢れる街。

その一方で古い体質を捨てられなかった貴族やブルジョワ階級の人間は、
自分達の時代の終わりにおびえ、精神的な世界へと閉じこもるようになった。
彼らが求めたのは刹那的な喜び、そして快楽・・・

新旧の勢力が交じり合うウィーンの街は退廃的な空気が支配していた。


そんな混迷の時代で注目されたのが、
新しく誕生した芸術派閥・分離派の芸術運動だという。

そのリーダーが若き頃から注目され、王様と呼ばれたグスタフ・クリムトだった。

彼らが目指したのは『総合芸術』と呼ばれる分野だった。
建築や室内装飾から絵画・彫刻まで全てを芸術活動の舞台として捉えていた。
装飾的表現、そして新たに求められていた機能性を結びつけようと模索していた。


・・・・・・・・・


流行とはいえ、芸術の分野でもその金箔を使うことは面倒だった。
高価で、少しの空気の流れで貼り付けに失敗してしまう程扱い辛い代物。

完全に閉め切った部屋で糊を塗り、息を殺して慎重に一つずつ貼り付けていく。
息も詰まる程繊細な作業を、指先の狂い一つ許されない中で進めるのだ。

しかしクリムトは敢えて金箔を新作『接吻』に多用した。
何も過去の作品にありがちな権威や富の象徴としているのではない。

彼は抱き合った男女の愛情をより象徴的に演出したかったのだ。


実用的でない金の衣装に身を包む男女の抱き合う姿を通じて、
現実や日常を超えた究極の恋愛・・・つまり『永遠の愛』を表したかった。

クリムトは究極の愛を『永遠の愛』と捉えていたのだろう。


貧しい彫金師の家に生まれたクリムトは、その類い稀なる実力と才能で
室内装飾の分野で若くして大成し、富と名声を手にした。

彼が芸術家として求めたのは『描きたいものを描く』姿勢だった。
制約のある古い画法を捨て、斬新な手法での作品を次々と発表していった。


『接吻』する男性と女性の衣装に描き込まれた模様。
男性は黒と白の長方形。
女性は色とりどりの楕円模様。
これもよりはっきりと性別を表現しようとした手法だという。


男性の顔と手、女性の表情と手足は敢えて写実的に描かれている。
接吻されて恍惚の表情を浮かべる女性の面影は、
どこかクリムトの実在の恋人・エミーリエに似ていた。

彼はこの絵を通じて、エミーリエとの永遠の愛を表現したのだろうか。

絵画に疎い俺は短絡的にそう思ってしまった。


そしてついに、愛し合うその二人の足元にある花の切れ目の解説を読んだ。
俺は思わず目を奪われた。

この切れ目は「崖」だという。


彼はなぜ愛し合う二人を、それも恋人を模した女性を崖の端に
立たせたのだろうか?

そこにクリムトの愛に対する複雑な捉え方が如実に表れていた。


クリムトは毎年夏になると、エミーリエを連れて避暑と休息を兼ね、
アルプスのアッター湖畔へ出かけた。
交通機関の発達していないその当時、恋人だった二人の旅路は
その心の絆の深さを表している。

それだけではない。
手紙嫌いのクリムトがエミーリエには500通近い手紙をしたためている。
内容は簡単な仕事の報告などだが、手紙を出すことに意味があるのだ。

「エミーリエ・フレーゲの肖像」(1902年)では、藍色のドレスを着こなす
彼女の可憐な姿を描いていた。


永遠の愛を象徴する二人の足元に広がる断崖・・・
それは「二人の関係の終焉」を示す闇の象徴だった。

仕事で成功し、恋人とも順調だった彼が抱えていた心の闇。

エミーリエの心が私から離れることはないだろうか?
そして自分自身がエミーリエを裏切ることはないだろうか?

幸せであればあるほど、実は同じくらいの不安が広がっていく。

いつか来るであろう「終わり」への不安。
幸せのすぐ隣りに確実に存在する絶望。

それが人間・クリムトの人生観でもあった。


若くして成功したクリムト。
その陰で大成する事無く消えていった仲間。

若者の熱い希望が儚い迷走で終わってしまう、
そんな人生の無情さを幾つも見てきたであろう。

その経験が人生に表裏一体である光と影を見出したのかも知れない。

彼はその闇を表現するために、男女を断崖絶壁に立たせたのだ。
幸せと希望に満ちた瞬間を描き、そのすぐ隣りに存在する不安と絶望を示す。

彼は人生の起伏を一枚の絵に凝縮して表現してみせた。


クリムトは、こんな言葉を遺している。

 『 私の自画像は無い。
   私について何かを知りたいと思うのなら、私の絵をじっくりと観察して、
   そこに私の人となりと、私の意図を探し出してもらいたい。』



図書館から出る時、もう外は暗かった。
そして冷たい時雨が降り出していた。

一枚の絵に込められていた彼の人生には、決して成功者のおごりや虚栄は無かった。

幸せのすぐ足元で大きく口を開けて待っている、闇の恐さ。



真知子はこの絵の意味を理解していたのだろうか。



<以下次号>


 ※ 次回は最終話です。




My追加



Directed by TAIRA
©2002 TAIRA
All Rights Reserved.

ここに登場する女性・出来事は実話です。
Web上で公開するために脚色・演出してあります。

このサイトの全てにおける無断複製・転写を一切禁止します。
また、このサイトに掲載されている文章の全てにおける著作権は放棄しておりません。
商業誌、商用サイト等への転載および引用につきましては、
「華のエレヂィ。」メールフォームより
お問い合わせ下さい。

+ very special thanks +
Design by shie*DeliEro
thanks for Photo→Cinnamon







エンピツ