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■ 想いのボール
TVのCMで、バレーの選手の人が。
「バレーボールは、つながっていないと出来ないんですね。
誰かのために、ボールをつなぐ。
心をつなぐ。」
それって、看護も似ているなと思った。
自分が今日看ている患者さんがよくなるために、前進できるために、 今自分ができることをして、明日につなぐ。明日看る人に、診る人につなぐ。
たとえば、手術後まだ首に中心静脈ラインが入ってて、まだ口からの摂取が何も開始されていない患者さん。全部輸液で補っている。 けれど、口からの経口摂取を開始してふつうにご飯が食べられるようになるのを目指して、術後まもなく看ているナースはドクターに、 経鼻の胃管から5%ブドウ糖液を入れて消化状況を確認してもいいか許可をもらって、消化を見ながら徐々に輸液のウエイトを胃管からの栄養に、そして経口からの摂取に切り替えていく。 だがそれはいきなり全部できるわけではなくて、段階というものがある。 ひとりではできないし、一日でもできないことが多い。そんなことが大半だ。
だから、明日看護を、治療をすすめる人のために、その患者さんが前進するために、今受け取ったボールをつなぐ。 今受け取っているボールだって、誰かが必死につないでくれたボールなのだ。 心臓を助けようとして両親がこの場所を探したボール。 それを受け取って必死に手術をしたドクターとスタッフ。 術後一番の急性期を生かし続けたスタッフ。
「よくなって」という、想いをつないでる。
でもこれって、看護だけにいえることではなくて、 たぶん色んな事にいえる事なんだろうな。
鮮やかにつながったボールは、視線をひいて見るとひとつの芸術<アート>になるんだろう。 皆は意識しなくても、そのアートを創ってるんだ。
2009年11月14日(土)
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