| 2004年01月24日(土) | 
日本に行ってきます。 | 
  
 前回の日記で、まだ人生の前半で不幸の経験もないし、海外にいるから慶弔関係は縁遠いと書いた。
   そしたら、その翌日に実家から連絡があり、私の祖母(94歳)が危篤だと知らされた。かなり前から老人病院に入院しており、2週間ほど危篤状態だという。きっとこのまま老衰死するのであろう。
   息を引き取る前に、急遽私単身で日本に一週間だけ行ってくることにした。   私は家族の中で一番のおばあちゃんっこだったから、最期にはどうしても傍にいたい。    この私、一月に入ってから、原因不明でかなり衰弱していた。  昨日、ドクターに診てもらったりもしたけれども、異常無し。  ストレス性の自律神経失調かとも思ったけれど、私が思うに、これはきっと祖母からの虫の知らせだったのだろうなと思う。  原因不明なのに、あのしんどさは尋常じゃなかったもん。  今だから言うと。
   留守中の子供たちは、学校のお友達のお母さんがローテーションを組んでお弁当と宿題と夕飯まで見てくださる。  ありがたいことだ。  パパは若いオネエサンにでも面倒みてもらってください。
   各方面の皆さんにご迷惑をおかけすることになりますが、私の留守をどうぞよろしくお願いします。
   ボーズたちが言うには、ママは、1月29日新発売のゲーム「ポケモンファイヤーレッド」を日本で買ってさえくれば、留守でもいいようです。奴等も成長したらちゃっかり現金なせいかくになってしまったようだ。
 
 
 
 昨夜遅く、息子の友達のお母さんが電話をかけてきた。  彼女はポーランド人で、ご主人が日本人。日本に何年も暮らしたことがあるので、日本語を話す。
   電話口でかなり取り乱している。  嗚咽の合い間にききとったところによると、遠くで独り暮らしをしている彼女のお母さんとここ数日間、全然連絡がとれないとのこと。もしかしたら、自宅で老衰死したのかもしれないので、明日から飛行機で様子を見にいくと。  私はしばらく息子さんの面倒を見ることを申し出た。    私もその彼女のお母さんにあったことがある。歳を召されていたけどきれいな方だった。彼女は美人の家系なんだなぁと思ったものだ。多少なりとも面識のある人だけに、そういう知らせには、胸にずしりと重いものを感じる。
   結局、悪天候で飛行機が欠航になり、自宅で待機している矢先に、どこかから連絡があったらしく、お母さんは病院で(無事?)入院しているということがわかった。
   よかった、よかった。本当によかった。  さっき電話で話した彼女の声に張りがあったので、私もほっとした。    私って、慶事や嬉しいことに対しては、人のこともまるで自分のことのように心から嬉しくお祝いしたり喜んだりできる。  でも、弔事や不幸に対しては、本当に口下手でどう相手に接していいかわからない。下手な慰めや同情は相手の心で言葉が滑ってしまう。
   まだ人生前半だし、若くて不幸のでくわした経験が少ないというか、挫折を知らないというか、海外駐在しているとそういう機会に出くわすことが少ないからか、私という人間は、自分なりに親身にはなっているんだけど、こういうときにうまく相手の心をフォローしてあげることができない。今回は特に強くそう感じた。渋々しく。
   心のこもらない通り一遍の社交辞令よりも、喜怒哀楽を私も一緒に分かち合っている、ってことが、相手にちゃんと伝わってさえいればいいかな、今のところは。
          
 
 
 
 今日は、子供たちが学校の帰りにお友達の家で遊んでくるので、帰宅は晩の7時前になる。夕方まで時間はたっぷりある。
   朝早くから、いろんなところから電話が入り、それを終えてから家の掃除をしようと思いながらも、長々としたおかしげなメールを書いたり、ちょっと横になって、雑誌をぺらぺらめくったり、台所でつまみ食いしたり、またパソでだらだらネットをしていたら、あっという間に一日が終ってしまった。    それも6時前になってからやっと家のモップをかけ終わったところである。  結局また買い物にも行かなかった。  明日から出歩くことにしよう。
   さっき、ベッドのサイドテーブルを片付けていて、そこにあったメモ帳をみつけて思わず苦笑。
   そういえば今年の新年の誓いに、夢日記をつけようと思い立った。  いわずもがな、三日坊主。  それも、本当に三日分しか書かずに終っている。
   これは旅行先の島にいるときに書き始めたものだった。    でも、その内容がことごとく予知夢であるような気がして、急に怖くなって、意図的に書くのをやめた。
   例えば、今までに見た能天気な夢では、プラハに異動されたお友達ファミリーに会いに行った夢とか、ワルシャワ在住の手の器用な奥さんに何かを作ってもらった夢とか。家族で何かをしている夢とか。ま、それらはやがてそういうことも起こり得るであろうと思われる微笑ましい夢だからいいかもしれない。
   でも、夢は必ずしも楽しいものばかりではない。  幸いにも、今日までは不幸を予知する夢はみていないからいいものの。
   年が明けてから、祐子サン的なわがままをいっぱい言って、周りをすっごく困らせている夢を何度もみた。
   あ"……。やっぱり夢を書き留めるのはやめたほうがいいみたい。
   もし、あんな夢が現実になったら……。    
 
 
 
 ここしばらく体調を崩して外出を控えていました。  週明けには、精力的に出歩けるほどに体力が回復していることでしょう。
 
   この日記を書きながら、合い間に卓上の小さな写真たてをちらっと見る。 いつもの習慣で。
   写真の人は、私を励ますように見守るようにじっとこちらを見つめている。 いつものように。    今日はいつにもまして、写真の人の瞳に魂が宿っているように感じる。
   「ユコさん、がんばりなさい」って声が聞こえてきそう。  そんなに優しい瞳でこちらを見つめられたら、かえってつらくなるのにな。  写真の人は、生身の人じゃないんだもん。  ちょっと寄り添ったりできないだもん。
   あ、今、微笑んでるみたいに見える。  あ、今、私に何か問いかけてる。  あ、今、ふふふ・・・だって。
   あーあ、一緒の空気を吸いたいな。  あーあ、一緒に空気を吸いたいな。
   心の中だけじゃ、つまんないよ…。  心が満たされるだけじゃ、つまんないよ…。
   
 
 
 
 外は雪景色、室内では着膨れのぶくぶくぶーだというのに、タイトルは季節外れのように「ワルシャワの秋」
   なんのことはない、これは、年末に放送された関西テレビ放送開局45周年記念ドラマのタイトルである。残念ながら、JSTV(国際衛星放送)では放映されなかったし、番組のことを知ったのは年が明けてからであった。
   関西テレビ放送開局45周年記念ドラマ「ワルシャワの秋」
   ストーリーや歴史的背景は、上記HPにわかりやすく書いてあるので、ここで繰り返し書く必要はないだろう。  ポーランドでも放送されるようだけど、誰か日本で録画した人いないかなぁ。
   ポーランドは、他の欧米各国よりも親日的である。  これはここで生活していて、肌身に感じる。
   ドラマになった、シベリアのポーランド孤児を日本赤十字で受け入れたことも、第二次世界大戦中に杉原千畝がリトアニアのユダヤ人に渡航ビザを発給したことも、人道的措置であった。
   ポーランド人が日本人に向ける眼差しが優しいのもわかるような気がする。これほどまでに、敬虔なカトリックの国であるから、受けた善意には心からの感謝で応える。
   秋に、ワルシャワ日本人学校の子供たちが、プオツク市の子供舞踊団との交歓会に招待され、車で二時間ほど離れた町にいってきた。行く先々で丁重に迎えてもらった。日本語で「さくら」や「蛍の光」を歌ってくれ、いかに日本との交流を大切にしているかを伝えてくれた。
   日ポ間の善意のかけ橋は、今ではしっかりとした礎ができているんだ、と実感できた一日であった。
   天皇・皇后陛下が公式訪問されたときも、その町で子供民族舞踊をご覧になったようだ。
   町の広場の一角には、「ヒロシマの鐘」のレプリカがあり、毎年8月6日に鐘を鳴らす儀式があるそうだ。    市民は、その鐘の音を聴きながら、罹災者全員への鎮魂・追悼の意を込めて世界の和平を祈るのであろう。
   国境も民族も宗教も超えて。
   
     
 
 
 
 
 
   家の近所の公園で今シーズン初めてそり遊びをした。  この公園には人工スキー場があるので、その横の斜面で遊んだ。
   清二のはプラスティック製でハンドルとブレーキがついているけど、  理人のは木製のごくオーソドックスなタイプ。
   まず、理人のそりを借りて、滑ってみることにした。  それも、斜面のかなり上から。
   かなりスピードが出て、むっちゃこわい。  始めは何とかバランスをとっていたけど、 「うわ、こわー!!!」 と思った瞬間に、見事転倒。  お尻の一番肉付きのいい部分を強打。  その拍子に帽子は吹っ飛び、そのまま腹からずずずー。  もう、痛いやら、悔しいやら、恥かしいやらで、げらげら大笑い。  そのあと懲りずに更に2回転倒。  しおらしく、斜面の下のほうからすべればいいのに、むきになっちゃって。
   学生時代は原ちゃりスピード狂(時速60キロだけど)で、スキーでも中級コースならすいすい滑ったほどに、体感スピードはへっちゃらだった。  それなのに、今ではあったあれしきのスピードでバランスを崩してしまうようになった。
   なんとも悔しい。  スピード感が鈍ったのは、若さが鈍ったのと同じくらいにショックだった。
   風を切って走る・・・なんてそういえばここ久しくなかったか・・・。 
 
 
 
| 2004年01月05日(月) | 
シルベスターのロブスター | 
  
 
 
   12月31日のシルベスター・メニューのロブスター。  おっきいでしょう? これ一匹で十分お腹いっぱいに。  他にも海老、えび、エビ、海老尽くし。  生、半生、茹で海老、色鮮やかな海老のお皿をいくつもテーブルに並べた。  
  
 
   しっかし、ホテル客の中でもあれだけたくさんの海老を食したのは、  アジア人の私たちぐらいだろうな。
   * * * * * * * * * * 
   夕日がすっかり傾いたころ、一人でぼんやり海を眺めて過ごした。    この海のずっと向こうはモロッコ。なーんにもない海。  さっきまでいたウィンドサーファーも帰って、だーれもいない海。  波の音も風の音も遠慮がちな、しーずかな海。
   どのぐらいそこにいたんだろう。  なーんにもないと思っていた右手の沖に、なにやら丸くて黒いものが見える。  なんだろ、人の頭かな? よーく見たら、海面から顔を覗かせたり潜ったり。  いやいや、ただ海面に浮いているだけみたい。    さっきまで、全く何にもなかったのに。  自力で帰られなくなったサーファーかな?   あそこまで風で流されて、沖で漂流してるのかな?   どうなんだろ。私も一度ウィンドサーフィンで同じような経験あるからさ。  ここからは遠すぎてボードもセールも見えないや。
   時間がそのまますぎていく。  相変わらず、黒い頭はただ沖でぷかぷかしている。  本当にこのまま放っておいても大丈夫なんだろうか?   救助ボートを出さなくてもいいんだろうか?
   ずっと離れた右手の岸壁に、一人で海を見に来ているおばあさんがいた。  自分のホテルに戻るためか、ひょこひょこ腰を曲げて岩の上を歩いているところだった。  あのおばあさんもさっきからあの沖のほうを見てたはずだ。  あれに何か気付いただろうか?    「ハロー、エンシュルディグン(すみません)!」  おばあさんは、血相を変えて走ってくる私を見て、驚いたように立ち止まった。  「あの沖のほうに黒いものが見えるんですけど、もしかしたら、人が溺れたんじゃないでしょうか? 私、救助ボートを頼んだほうがいいでしょうか?」  私が息を切らして畳み掛けるように言うと、お婆さんも慌てて沖のほうを見た。
   二人並んでほんのしばらく沖を見た。  おばあさんはすぐに、ふふふと顔を緩めて、  「いやいやあれは人の頭なんかじゃなくって、浮き球だと思うわよ。人じゃないわよ。もし人間だったら、救助の合図の手を振るでしょうし」  「ははぁ、それもそうですね・・・」
   よくよく目を凝らしてみると、それは本当に黒い浮き球のようにみえる。  長い間海を見ていたから、そのうち潮が引いてきて、浮きがぽっかり海面から顔を出したのかもしれない。さっきまで本当に何にもない海だったんだから。  視線を左の沖に移したら、今度は白い丸い浮き球がぷかぷか・・・。  いやぁん、もう私ったら、人騒がせでおっちょこちょいの早とちり。  二人でちょっと笑いあった。
   おばあさんは、東洋人の風貌でドイツ語を流暢に話す私に興味を持ったらしく、そのまましばらく立ち話をした。旅先で初めて出会う人が必ず質問しあうありきたりな会話と挨拶を交わし、お互いのホテルへの道を歩き始めた。
   別れ際、同じ背丈ぐらいのおばあさんが私の顔を覗き込んで言った。 「あなたは本当に親切な娘さんだね」  私は照れ隠しの両目ウインクだけで、「ありがとう」と返した。
   今回は単なる早とちりだったけど、人のために一生懸命になったり尽くしたりするのは、やっぱり心が気持ちがいいもんだな・・・って素直に思った。
   「私今ね、ちょっとすがすがしい気分だよ・・・」  水平線のずっと向こうに話しかけてみた。
     
 
 
 
 
 
   朝、早起きしてホテルの近くの海辺を散歩しました。  曇り空が続いたので、絵に描いたような日の出は拝めなかったけど、  波の音を聞きながら朝陽を待つなんて、ホントに久しぶりだったかな。。。
   
   空が白むのを待ちながら一人で口ずさんだ歌。
   〜A HAPPY NEW YEAR〜          作詞作曲・松任谷由美
     A HAPPY NEW YEAR!    大好きなあなたの部屋まで     凍る街路樹ぬけて急ぎましょう         ♪ 今年も最初に会う人が        あなたであるように はやく はやく
     A HAPPY NEW YEAR!    新しいキスを下さい    そして鐘の音 通りにあふれて
      ♪ 今年もたくさんいいことが       あなたにあるように いつも いつも
     A HAPPY NEW YEAR!       今日の日は ああどこから来るの    陽気な人ごみにまぎれて消えるの
      ♪ こうしてもうひとつ年をとり       あなたを愛したい ずっと ずっと
      ♪ 今年もたくさんいいことが       あなたにあるように いつも いつも
  
 
 
 
| 2004年01月03日(土) | 
フエルテヴェンテュラ島より | 
  
 
 
   皆さん、あけましておめでとうございます。
 
   私たち三家族は、本日夕方五時に無事ワルシャワに戻ってまいりました。
   一週間滞在した、カナリア諸島のフエルテヴェンテュラ島は風が冷たく、 海水浴にはちょっと寒かったです。
   今回は残念ながらずーっと曇り空で、写真に写っているように、最終日に ちょっとまとまった太陽が顔を覗かせたぐらいです。    この島にきたのは、これが三回目だったけど、今までのうちで一番、 お天気が悪かったかな。
 
   行く前から、私が一番張り切っていた夜のお楽しみのほうは……。    もうー、あの人もこの人もみんな夜、むっちゃ弱いんだからぁー。  なんだか欲求不満気味ー。  ったくー、いやんなっちゃうわ。。。  ねぇ、この不完全燃焼のつけは大きいわよ。  女王様相手に格闘するには、まだまだ修行が足りないわね、ふふふ。。。
   いやいや、あっちの夜のほうじゃなくって、こっちの夜のほうの話だけど・・・。
 
 
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