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通学で使う西武池袋線には「富士見台」という名の駅がある。 その名の通り、そこはかつては富士山が見えた丘だったのだろう。
近年、西武線の立体交差化工事が進み、富士見台の駅の付近も 高架化された。高架区間のちょうど環状8号線との交差する付近から、 南西の方角を望むと、よく晴れて空気の澄んだ冬の朝には 見事な富士が悠然と姿を現す。わずか10秒足らずの刹那の富士は、 寒い朝にラッシュに耐えている人々へのささやかなご褒美。 けれど夏となると、空気も濁っているせいか富士は見当たらない。
ところが、朝からうだるような暑さだったこの日、 行きの電車の中で僕は思いがけず富士と出会った。 いつも見慣れた頂上付近が冠雪した青い富士ではなく、 茶色くてどこか武骨な山。でもそれは確かに富士山だった。
旅をして、様々な表情の富士山を見てきた。 百人一首にも詠まれた田子の浦沿いの東海道から見上げる富士山、 河口湖から眺める裾野の広がった雄大な富士山、 三つ峠から見た「月見草のよく似合う」富士山。
けれど、僕がよく知る富士山は通学の電車の車窓から見える あの富士山だし、その富士山が一番美しいと思う。
*********************************************************** 就職活動中のこの日記に、地下鉄丸の内線の四ッ谷駅付近で 車窓から見える桜について記したことがあった。 自分の事だけしか見えていなかったあの頃、移動中の地下鉄から 見えた一瞬の桜の景色に、疲れきっていた僕の心はどれだけ 助けられたことだろう。期せずして、今僕はその桜のすぐ近くで 働いているのだが。
僕と全く面識のない、つまりインターネット上でこの日記の 存在を知って、こんなつまらぬ日記を読んでくれているある人が、 この春の就職活動中、同じような思いを抱いていたことを知った。
僕はそれを知ってたまらなく嬉しく思った。 共感、生きている上での根源的な喜びとでも言えばいいのだろうか。
*********************************************************** 先日サークルの部室でかつての会誌を読み漁っていたところ、 後輩からは必ずしも評価の定まらないある先輩が、 こんなことを記していた。 うる覚えだから正確である保証はないけれど、話の筋は覚えている。
かつて僕のいる学部の科外講演で、ある世界的に有名な写真家の 講演会が開かれた。その写真家は講演会の冒頭、 「今日はこちらから一方的に私が話すのではなく、 皆さんからの質問を受けてそれについてお互いに話し合うという 形式にしたいと思います」と述べたという。
ところがその後すぐに、この講演会を企画した、 僕が講義を受けた限り、講義を90分聴き続けることができる位の 例外的に知的耐久力のある講義を担当する文学論の教員が、 その写真家の事を「○○先生は〜」と紹介してしまった。
そしてその瞬間から講演会は「世界的に著名な写真家」から 「無名の学生」が話を伺うという流れが出来てしまった。 その写真家を一番前の席から眺めていたその先輩は、写真家が、 講演の最中、どこかやるせない表情を浮かべていたのを 見逃さなかったという。
「あなたはかつて、既存の芸術をぶち壊すような自らの作品を 世に発表していくことで、認められていった。ところがその結果 として皮肉にもあなたは「世界的な」という形容詞がつけられる 写真家になってしまった。自らが、かつて徹底的に批判した 『既存の制度』に、なってしまった。
それを知っていたからこそ、そしてその形容詞があなたの 望むところではないからこそ、あなたは講演会の冒頭にあのように 述べたのでしょう?今日はかつて自分がいた学生の側と、 無用の壁を作ることなく話し合って、自らの原点を確認 したかったのでしょう?」
講演会の後、タクシーに乗ろうとする写真家に、先輩が 意を決してそう訊ねると 「今日僕はそういう質問を聞きたかったんだよ」 と答えたのだと言う。
読書会、という実利に乏しく、人気のないこのサークルに それでも関わる人間がいつづけるのは、 「問い」を「共に」考え「感じる」ことができる 極めて稀な場所であるからなんだ。 単なる「お勉強」をする場ではないんだ。
その先輩はそう結んでいた。
*************************************************************** 先週の木曜日、あまり知られていない大学内の夜景スポットで 政治思想を専攻する大学院志望のサークルの友達と話していた。
「なんか下手に小さくまとまっている奴が多すぎると思う。 『大学での思い出の場所は図書館でした。古典を漁るほど読んで 本が恋人でした』って具合にやばさも必要だよ」
彼はそういっていた。 妙に嬉しくて仕方がなかった。
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