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2001年07月16日(月) 共感

通学で使う西武池袋線には「富士見台」という名の駅がある。
その名の通り、そこはかつては富士山が見えた丘だったのだろう。

近年、西武線の立体交差化工事が進み、富士見台の駅の付近も
高架化された。高架区間のちょうど環状8号線との交差する付近から、
南西の方角を望むと、よく晴れて空気の澄んだ冬の朝には
見事な富士が悠然と姿を現す。わずか10秒足らずの刹那の富士は、
寒い朝にラッシュに耐えている人々へのささやかなご褒美。
けれど夏となると、空気も濁っているせいか富士は見当たらない。

ところが、朝からうだるような暑さだったこの日、
行きの電車の中で僕は思いがけず富士と出会った。
いつも見慣れた頂上付近が冠雪した青い富士ではなく、
茶色くてどこか武骨な山。でもそれは確かに富士山だった。

旅をして、様々な表情の富士山を見てきた。
百人一首にも詠まれた田子の浦沿いの東海道から見上げる富士山、
河口湖から眺める裾野の広がった雄大な富士山、
三つ峠から見た「月見草のよく似合う」富士山。

けれど、僕がよく知る富士山は通学の電車の車窓から見える
あの富士山だし、その富士山が一番美しいと思う。

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就職活動中のこの日記に、地下鉄丸の内線の四ッ谷駅付近で
車窓から見える桜について記したことがあった。
自分の事だけしか見えていなかったあの頃、移動中の地下鉄から
見えた一瞬の桜の景色に、疲れきっていた僕の心はどれだけ
助けられたことだろう。期せずして、今僕はその桜のすぐ近くで
働いているのだが。

僕と全く面識のない、つまりインターネット上でこの日記の
存在を知って、こんなつまらぬ日記を読んでくれているある人が、
この春の就職活動中、同じような思いを抱いていたことを知った。

僕はそれを知ってたまらなく嬉しく思った。
共感、生きている上での根源的な喜びとでも言えばいいのだろうか。

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先日サークルの部室でかつての会誌を読み漁っていたところ、
後輩からは必ずしも評価の定まらないある先輩が、
こんなことを記していた。
うる覚えだから正確である保証はないけれど、話の筋は覚えている。


かつて僕のいる学部の科外講演で、ある世界的に有名な写真家の
講演会が開かれた。その写真家は講演会の冒頭、
「今日はこちらから一方的に私が話すのではなく、
皆さんからの質問を受けてそれについてお互いに話し合うという
形式にしたいと思います」と述べたという。

ところがその後すぐに、この講演会を企画した、
僕が講義を受けた限り、講義を90分聴き続けることができる位の
例外的に知的耐久力のある講義を担当する文学論の教員が、
その写真家の事を「○○先生は〜」と紹介してしまった。

そしてその瞬間から講演会は「世界的に著名な写真家」から
「無名の学生」が話を伺うという流れが出来てしまった。
その写真家を一番前の席から眺めていたその先輩は、写真家が、
講演の最中、どこかやるせない表情を浮かべていたのを
見逃さなかったという。


「あなたはかつて、既存の芸術をぶち壊すような自らの作品を
世に発表していくことで、認められていった。ところがその結果
として皮肉にもあなたは「世界的な」という形容詞がつけられる
写真家になってしまった。自らが、かつて徹底的に批判した
『既存の制度』に、なってしまった。

それを知っていたからこそ、そしてその形容詞があなたの
望むところではないからこそ、あなたは講演会の冒頭にあのように
述べたのでしょう?今日はかつて自分がいた学生の側と、
無用の壁を作ることなく話し合って、自らの原点を確認
したかったのでしょう?」

講演会の後、タクシーに乗ろうとする写真家に、先輩が
意を決してそう訊ねると
「今日僕はそういう質問を聞きたかったんだよ」
と答えたのだと言う。


読書会、という実利に乏しく、人気のないこのサークルに
それでも関わる人間がいつづけるのは、
「問い」を「共に」考え「感じる」ことができる
極めて稀な場所であるからなんだ。
単なる「お勉強」をする場ではないんだ。


その先輩はそう結んでいた。

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先週の木曜日、あまり知られていない大学内の夜景スポットで
政治思想を専攻する大学院志望のサークルの友達と話していた。

「なんか下手に小さくまとまっている奴が多すぎると思う。
『大学での思い出の場所は図書館でした。古典を漁るほど読んで
本が恋人でした』って具合にやばさも必要だよ」

彼はそういっていた。
妙に嬉しくて仕方がなかった。


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