橋本裕の日記
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2007年12月17日(月) 見ることの愉悦

 戦争中は写真家も生活がたいへんだった。ときには軍部に協力して、戦争に協力するような写真も撮らざるをえなかった。戦後はそうした反省もあって、多くの写真家は権力を批判し、社会問題にも真摯に向き合った。

そうしたなかで、木村伊兵衛は少し異色だった。当時の時事的な問題を直接テーマにした作品が希薄なのである。もともと木村伊兵衛には時事問題にかかわらない傾向があった。戦後になって時代が変わっても、彼自身はその立場を変えなかった。三島靖さんも「木村伊兵衛と土門拳」(平凡社)のなかで、こう述べている。

<木村は、告発調の写真を撮らない。だから同じころ木村が取っていた写真には、土門のような重厚さや衝撃はない。大衆への共感と社会問題への肉薄がこの時代の写真に求められていたとするなら、木村の写真はあくまで洒脱なままに円熟に達してしまったかにも見える>

しかし、さらに三島靖さんはこのあと、「かといって、木村が権力に対して無自覚だったかといえばそうではない」と続ける。そして、木村が時の首相・池田隼人を撮ったときのエピソードを紹介している。

<首相・池田隼人の撮影を頼まれた。助手に呼び出されたのは田沼武能。木村はなぜか撮影を助手にまかせきりで撮らない。

「タバコを吸いながら見ているんです。首相も変な顔をしていましたね。それが奥さんとお孫さんを撮ろうということになって、首相の和服の衿を奥さんが直した瞬間にパチリ。権力者がポーズをとった写真なんか撮る気がなかったのですね」と、田沼は話す。……

時代の動きに積極的ではない。かといって積極的に無関心でもない。あえていえば感情に突き動かされて、あるいは必要以上にはニヒリスティックには撮らないこと、そのことで木村は自分がカメラを持って立った地面の感触を、時間を超えて、観覧者が立つその場所へとつないでみせる>

 木村の写真は、時代に対する批判でも告発でもない。そこにあるのは、「見ることの快楽」そのものではないだろうか。とても静かな、愛惜にも似た愉悦と、旅人のそこはかとなく澄んだ視線。そこには当事者のなまなましい感情は希薄である。

私たちは木村の写真を眺めることで、時間をこえてその場所に連れ出され、そのようにいささか高踏的に人生を眺める楽しみを作者とともに共有する。人生にはこのように、あらゆるものをまるで旅先の光景のように、観照的に軽やかに眺める悦楽があるのだ。

(今日の一首)

見ることのたのしみふかし今日もまた
散歩に出かけ白き山見る


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