橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2007年12月22日(土) 再考・さかさコップの水

コップに水を満たし、紙でふたをして逆さにしても、水は零れ落ちない。これについて、大気圧の働きによるものだと以前書いたが、ネットを検索しているうちに、これについては異論があることを知った。

異論を唱えているのは、埼玉大学名誉教授の金山広吉さんである。「理科研究の盲点研究」(東洋館出版社)のなかで、まっさきに「逆さコップ、大気説を疑う」と題して、この問題を論じている。面白そうなので、さっそくアマゾンで注文して、読んでみた。

一読して、感心した。同時に私は自分の不明を恥じた。先入観とは恐ろしいもので、自分で行った簡単な実験で大気説を実証したような錯覚に陥っていた。

 たとえば、コップの水を半分にして同じ実験を行ったらどうだろうか。この場合、コップのなかの空気の圧力があるので、水は流れ落ちるのではないか。ところが、なんとこの場合も、水は流れ落ちず、紙はコップについたままだという。

 さっそく私も台所で実験をしてみた。書いているとおり、コップのなかに空気が残っていても、水は流れ出さない。水の量を少しずつ少なくしてみても同じことである。

 最後はすっかり水をなくしてみたが、紙はコップにくっついている。空のコップでも紙が落ちないのは、大気圧のせいではなく、濡れたコップの口に紙がへばりついているからだろう。

 もちろん水による接着力はそう大きくはないから、さかさコップの水が流れ出さない理由がこの粘着力で説明されるわけではない。じっさいに空のコップの中に小石をいれて実験してみたが、すぐに紙ははがれてしまった。小石の重量にたえられないのである。

 ところが不思議なことに、コップの口をふさぐだけのほんの少量の水を加え、小石入れて同じ実験をするとこんどは紙が落ちない。これはどうしたことだろう。

 コップのなかには小石のほかは大部分が空気である。これはほぼ一気圧で外気とつりあっている。だから、この小石の重量を支えているのは大気圧でないことはあきらかだろう。

 考えられるのは、紙に隣接した水の表面張力である。水が零れ落ちるためには、水が側面の壁から滑り落ちるか、それとも表面に穴が開いて、そこから気泡が登っていかなければならない。各局のところ、水の表面張力と、水を通さない紙によって、この両者が阻止され、水は流れ落ちないと考えられる。

金山広吉さんは、さかさコップの実験を大気圧のない真空にちかい条件で行い、どうように水が落ちないことを示している。そして、次のように書いている。

<さかさコップの生じる原因の説明は「ふたがコップの広い口を小さな開口部に変え、そこにある水の表面張力の働きが水と空気の交換を妨げるため」とした方がより正確ということになる。

また、別の表現をすれば、ふたをすることによってコップと水とふたが一体化し、一つの物体となるためだともいえる。ゆえにふたを支えるのは大気圧ではなくて水の分子力であり、間接的にはコップを支持している手の力であるということになる>

 これは驚いた。金山広吉さんは「万人が常識と思っていることでも、疑問の目で見ると盲点になっている問題が見つかることがある」と書いている。そしてこうも書いている。

<わが国の学校教育は明治の初期に始まって約一世紀の歴史をもつが、その頃から現在までの長い間ずっと常識と思われてきたことに、そのような問題があるとは誰も思わないだろう。かりにあったとしてもすでに誰かが気付いて訂正しているだろうから、この種の問題はたくさんあるわけではない。しかし注意してみれば、まだ少しは見つかるのである>

 そんな理科教育の盲点が、この本にはあと12個ばかり並んでいる。そのなかからもう一つ、あしたの日記で紹介しよう。

(今日の一首)

 眼に見えぬ原子分子があつまりて
 この世ができてわれも生まれる


橋本裕 |MAILHomePage

My追加