橋本裕の日記
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授業をしていると、だれかが日光を鏡で反射させて、教室の天井や、ときには教師の顔面にまで照らしたりする。私も何回かこれをやられて、「こら、授業中に、悪ふざけはよしなさい」と注意したことがある。
しかし、ときには生徒と一緒に鏡で遊んでみるのも悪くはない。なぜなら、この反射鏡遊びも、じつのところなかなか興味深い理科の教材になるからだ。
たとえば、近くの壁に写った光のかたちは鏡の形をしている。つまり四角い鏡からは四角い投影像ができる。星型にくりぬいた紙をかぶせると、星形の映像が写される。ところがさらに鏡の角度を変えて、遠くの壁や天井に投影させると、その映像がしだいに丸みを帯びてくる。
映像が丸くなるという現象は、向かい側の校舎の壁に映したときにはっきり現れる。一般に離れたスクリーンに映し出された太陽の反射光ほど、鏡の形にかかわらず、どれも丸くなる。これはどうしてだろう。
まず浮かぶ答えは、映像が丸いのはそれが太陽のかたちを現しているのではないかということである。そうすると、もし日食のときこの実験をしたら、三日月形の映像が映し出されることになる。しかしこれを実験でたしかめるのはむつかしい。それではどうしたらよいだろう。私が思いついたのは、太陽のかわりに、ハロゲンストーブを使うことだ。
そこでさっそくハロゲンストーブのスイッチを入れて、それをオレンジ色に発光させた。そして部屋の電気を消し、手鏡を取り出して、その光をふすまに反射させてみた。そうすると、そこにドーナツの明るい光の輪が映し出されたではないか。
そこでまとめてみると、「鏡で反射して壁に映した光は、近くでは鏡の形がそのまま再現されるが、少し離れると、その光源のかたちがそこに映し出される」ということになりそうだ。それではどうしてこのようなことが起こるのか。
じつはこの現象についても、金山広吉さんが「理科研究の盲点研究」(東洋館出版社)のなかで謎解きをしている。結論をいえば、小さな鏡はピンホールカメラの役目を果たしているということだ。つまり、鏡によって反射された光は、この鏡という小さな穴を通ることによって、スクリーン上に実像を結ぶ。それでは鏡の大きさはどのくらくがよいのか。金山さんはこう書いている。
<像を投影するスクリーンの位置から見た鏡の視直径が太陽の視直径の半分以下になると、太陽の実像である円形の実像ができる。これは鏡が針孔写真機の針孔の働きをするためである>
ピンホールの場合、スクリーン上に対象物がはっきり移るためには、穴は小さくなければならない。穴が大きいとピンホールの結像効果がうすれて、像はぼけてしまう。といって、あまり小さいと光量不足でよくみえない。このジレンマを解決したのがカメラのレンズだ。動物の目も、最初はピンホールだったものが、レンズをもった眼球構造に進化している。
最後に、自然界で観測される身近なピンホール現象を紹介しておこう。それは「木漏れ日」である。木の葉の重なりを通ってくる日光は、その大きさはいろいろだが、ピンホール効果でどれも形が丸くなっている。木漏れ日の丸い形は、じつはひとつひとつが太陽なのだ。日食のときは三日月をした太陽が、地面の上でいっせいに踊りだすことだろう。
(今日の一首)
木漏れ日の丸い光がはねている 君の足もと枯葉が落ちる
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