橋本裕の日記
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第1章 暑さのさかり(2)
信夫がこの家を買ったのは20年ほど前だった。それまで名古屋に住んでいたが、家がほしくなって、25年ローンを組んで買った。ちょうどバブルの盛りのころで、手ごろな家を買うとなると、こんな県境の田舎まで都落ちする必要があった。
庭に白や赤の夾竹桃が咲いている。それらは信夫が引越しと同時に近所の店で苗を買ってきて植えたものだ。ハナミズキや菩提樹、百日紅、馬酔木なども手当たり次第に植えた。
石灯籠まで買って庭造りに励んだものの、その後、信夫は心の余裕を失って庭の手入れを怠るようになった。そのせいで大方の潅木は枯れ、めぼしい庭木は垣根の山茶花をべつにすれば、あとは夾竹桃くらいしか残っていない。
荒れた庭を見ていると、それはそのまま信夫の心の姿のようだった。定年後にこの庭の手入れも始めるつもりだったが、この数ヶ月間、これという努力をしていない。ただ、ときおり庭に下りて、雑草を抜くぐらいである。それもこう暑くてはやる気がしなかった。
信夫は昼食の後は昼寝をしていたが、今日はその気にもならず、縁側の踏み石においてあったサンダルを履いて、いつもより早く散歩に出た。庭の木漏れ日の外に出ると、熱い日差しが信夫の薄くなりかけた頭部に容赦なく突き刺さった。
それでも住宅街を抜けると、青田の上を渡ってくる風がいくらか心地よかった。一宮市でも北のはずれにあるこのあたりはまだ田んぼが残っていた。その田んぼや畑の中を用水の清流が流れ、農家の蔵が点々と見えた。木曽川が近いので、鴨や五位鷺などの鳥もやってきた。
家から木曽川の河原まで、歩いて十数分だった。河原にも日差しが照りつけ、青汁の匂いのする草いきれがたちこめていた。河原に人気はなく、子どもの遊ぶ姿もない。信夫は日差しを避けて、木立のほうに歩いた。そして蝉時雨を浴びながら、午後の日差しにきらめいている川の流れを眺めた。
春江が5歳になる典子と乳幼児の純也を連れて戻ってきたのは十日ほど前だった。一人を抱き、もう一人の手を引いた薄汚れた女が庭先に立ったとき、信夫はその女が一人娘の春江だとは気づかなかった。春江の顔を見るのは十年ぶりくらいだろうか。
家を出た後の生活について、春江は何も語らない。信夫もあえて聞こうとはしなかった。二人の孫の父親がどんな男か、興味がないわけではない。しかし、どうせろくでもない馬の骨だろうと見当はついた。そこで信夫は孫たちの父親の影を頭から追い払った。
ところが、さきほど電話がかかってきて、春江が純也を父親に預けて電話口に急ぐ様子を眺めたとき、信夫の頭に真っ先に浮かんだのは、その男のことだった。電話の相手は神岡の妻だったが、男からの電話を待っているらしい春江の様子が、信夫に苦い記憶を呼び覚ました。
妻の静子にも電話をかけてくる男がいた。そして静子は男の気配を信夫に隠さなかった。それどころか、男は一人だけではなさそうだった。そんなわけで、信夫は春江を自分の血を分けた娘ではなく、それらの男の一人の子どもではないかと疑っていた。
そんな思いがあったせいで、静子が死んでから反抗的になって家を飛び出した春江に、信夫は父親らしい愛情を覚えることができなかった。春江の能面のような仏頂面を見るたびに、「なぜ、今ごろになって帰ってきたのだ」という思いさえこみあげてきた。
思い返してみると、妻が生きていたころも、信夫はよく川へ散歩に来た。家庭の問題だけではなく、職場の問題も含めて、30代、40代の信夫は悩みが多く、鬱屈していた。川のほとりへ来て、木立の木漏れ日の中で空を流れる雲や、水鳥や、鳶たち、さらには水の流れを眺めながら、何とか心の平衡を取り戻そうとしたものだ。
川を眺めていても慰められることは少なかったが、それでも信夫は休日の午後になるとここにやってきた。そしてときにはじっとしていられなくて、傷ついた獣のように河原を歩き回り、小石を拾って、対岸へ向けて投げたりした。思わず奇声を発したことさえあった。
信夫はあるとき、この河原を歩きながら、妻の冷淡な態度がいよいよ腹に据えかねて、「いっそ俺の前から消えてくれればいいのに」とつぶやいたことがあった。妻さえいなくなれば、どんなに清々するかと思い、その夜に離婚話を口にした。静子は「しばらく考えさせてください」と言ったきり、だまっていた。
静子が交通事故で死んだのは、その数日後だった。妻が死んだ後、信夫は「消えてくれればいいのに」と口にしたことを思い出して後味が悪かった。しかし、大学院で物理学の研究をし、高校の数学教師になった信夫は、何事につけて理詰めで合理的な考えをする方で、心霊現象や迷信を信じてはいなかった。
だから信夫が妻の死を願うような呪詛の言葉を吐いたことと、現実の妻の死が関係しているとは思わなかった。あの世も神仏も信じていない信夫には、妻の死もただの偶然だとしか考えられなかった。
たしかに信夫が駅から家に電話をかけて、妻に定期券入れを持ってくるように言わなかったら、妻が車に轢かれることはなかったが、彼女が自転車で家を出るのがもう少し早いか遅ければ、交差点で左折するトラックの後輪にまきこまれたりしなかったはずだ。
トラックの運転手も同じような事情だろう。静子の死は多くの偶然の糸が複雑にからみあって生じた不運な出来事である。その成り行きのなかで、信夫の果たした役割はわずかな部分でしかない。
彼女の不注意や彼女を轢いた運転手の過失もあったが、それ以上にさまざまな偶然がそこに働いていた。運転手にはそれでも業務上過失致死の嫌疑を免れないが、信夫までが妻の死に責任を感じなければならないいわれはない。
それでも春江は母親の交通事故を父親のせいだと思っていた。それはおそらく、当時中学生だった彼女の耳に離婚話のことが入っていたからだろう。離婚話でショックを受けた春江は、そのあと、母親の事故死を体験することになった。
父親に反抗的になって、やがて高校を中退した春江は、「私がこうなったのも、みんなお父さんのせいよ」というのが口癖になり、家を飛び出して行った。
春江は今でも母親の死を父親のせいにしているのだろう。そればかりではなく、その後自分の身の上に起こった不幸さえ、すべて信夫の責任だと考えているのかもしれない。それが信夫には心外だった。そして、家の中で春江と顔を合わせるのが苦痛になっていた。
還暦を過ぎた信夫は河原を走り回り、奇声を発する元気はなかった。信夫はただ川面を眺め、風に吹かれてじっと立っていた。そうすると、信夫は、「俺の前から消えてくれればいいのに」という呪詛に似た言葉を、春江につぶやきたい誘惑にかられた。
それはかって信夫が妻に投げかけた言葉だった。そのときは信夫の願いはかなえられて、妻は永遠に信夫の前から姿を消した。同じことが再び起こるかどうか、信夫は試してみたくなった。もちろんそれは、悪魔の誘惑に魂を売り渡す行為にちがいなかった。
信夫はそんな自分に気づいて、少し恐ろしくなった。それから、このような思いを抱いて生きていることが、なにやら無性にさびしく、かなしいもののように感じられた。信夫は15年前の妻の死についても、はじめて罪の意識のようなものを覚えた。
そのとき風が正面から強く吹いてきた。そうすると、信夫の目から涙がこぼれおちた。信夫は涙がこぼれたのは風のせいだと思った。しかし、それは妻の死のあとはじめて流した涙だった。そのことに気づいて、信夫は苦笑した。
信夫の頬を風が乾かしてくれた。見上げると、鳶が二羽、悠々と輪を描いている。信夫は河原をあとにして、堤防にあがった。さらに上流の鉄橋の方に、いつものゆるやかな足取りで歩いて行った。
(毎週日曜日連載1月13日〜)
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