昨日の夜、NHKで美輪明宏様の、特集番組を放送していまして。 相変わらず、強い信念と美学を貫き通した生き方だ。
この人は本当に心が強い人だと思う。 美輪様の主張や思想は、正しいとか正しくないとか、理論的なのかとか、そうした 客観的評価を超越して、説得力がある。一種のカリスマだ。宗教だ。
自らの手で自由を獲得して生きていくために、差別や貧困や、そういった過酷な 状況にも負けずに、社会の規範や大多数の意見に流されることなく、自分の目で 見て体験し、心で感じて考えた主義主張だから、人の心に響くのだと思うわ。
「黒蜥蜴」の舞台が公開されたばかりで、その練習風景や実際の舞台の 様子を織り交ぜた構成だったので、番組後半は、三島由紀夫の話が中心。
公私に渉る、美輪様と三島の親密な交流は、有名な話ですが、融通が利かない真面目で お茶目な三島の人柄が伝わる話が多くて、興味深かったです。
有名なあの耽美写真集、「薔薇刑」が、実は撮影も出版も、奥さんに 内緒だったため、三島邸を訪れた美輪様に、奥様が席を外した時を狙ってこっそり 一部渡したのに、奥様が勘付いて、
「またそんな人様に笑われるようなことをして!」
と怒られた、という話が面白かった。確かにあの写真集見たら、そう言いたくなるわ。 (ちなみにこんな表紙 → http://i-debut.org/opinion/m_disp.asp?code=1548)
三島の市ヶ谷駐屯地での自決についても、かなり時間を割いて話していました。 自決の一週間ほど前、美輪様の舞台の楽屋を訪れた三島が、真っ白なスーツに ピカピカのエナメル靴で正装し、300本の深紅の薔薇の花束を、
「これから先の舞台に、君に贈る全ての分の花束だ」
と言って渡した、という逸話は、何度聞いても胸にぐっとくる。
彼の自決については、当時のマスコミでは、馬鹿げた凶行、理解不能、といった 見解が多かったようですが、美輪様の、三島が死を自ら選んだ心境についての考察が、 先日読んだ、澁澤龍彦の三島由紀夫論と、大変酷似していて、文面を追うだけでは、 少し理解できなかった部分が、ストレートに納得できて、成る程、と思いました。
人が自らの生き方を、能動的に決めることは、とても難しい。 人は、この世に生を受けることも、自らの意志では選べない。
由緒正しい良家に生まれ、祖母や両親の決めるままに、エリートとしての道を歩んで いた三島は、そんな自分の受動的な青春時代を、恥ずかしく感じていたらしい。
後年、周囲に笑われようが眉を顰められようが、自らが着たいものを着て、徹底した 管理によって、自己の肉体を改造し、映画や舞台に出演したのも、人に決められた のではない、自らの意志によって選び獲得した、「自由」を求めていたから。
彼が素晴らしい作品を生み出したのも、もしかしたら、本来は自在に操ることが できない、時間や運命といった概念を支配し、自分の精神をその足枷から解放した かったからかもしれない。
そして彼は、死ですら、受動的であることを拒み、自らの意志で迎えたかった。
澁澤龍彦も著書の中で述べていましたが、盾の会での活動も、駐屯地を占拠しての 自決も、表面的な政治的思想は、大して重要ではないのだと思います。 本質は、三島本人が、自らの意志で選択し行動することにある。
逃れられない刻の流れの中で、せっかく自由意志によって獲得した、鍛え上げられた 肉体は、次第に老い衰えていく。
自らが作り上げた肉体を、自決によって、自らの手で時間の呪縛から解放する。 つまり、獲得した「自由」を完全な形のまま、自らの手で終わらせること。
完璧主義の三島の美学が、その死には結集しているのです。
三島も美輪様も、あの思想や生き方の全てが正しいと、盲目的に信じて崇拝する 必要はないですが、ああいった、真の自由を求めて、日々戦い、自分の目で真理を 追究する姿勢は、私の理想です。
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