■ 日々の歩み。 ■
徒然の考察・煩悩・その他いろいろ発信中。

2003年04月13日(日) 薔薇刑。

 昨日の夜、NHKで美輪明宏様の、特集番組を放送していまして。
相変わらず、強い信念と美学を貫き通した生き方だ。

 この人は本当に心が強い人だと思う。
美輪様の主張や思想は、正しいとか正しくないとか、理論的なのかとか、そうした
客観的評価を超越して、説得力がある。一種のカリスマだ。宗教だ。

 自らの手で自由を獲得して生きていくために、差別や貧困や、そういった過酷な
状況にも負けずに、社会の規範や大多数の意見に流されることなく、自分の目で
見て体験し、心で感じて考えた主義主張だから、人の心に響くのだと思うわ。


 「黒蜥蜴」の舞台が公開されたばかりで、その練習風景や実際の舞台の
様子を織り交ぜた構成だったので、番組後半は、三島由紀夫の話が中心。

公私に渉る、美輪様と三島の親密な交流は、有名な話ですが、融通が利かない真面目で
お茶目な三島の人柄が伝わる話が多くて、興味深かったです。

 
 有名なあの耽美写真集、「薔薇刑」が、実は撮影も出版も、奥さんに
内緒だったため、三島邸を訪れた美輪様に、奥様が席を外した時を狙ってこっそり
一部渡したのに、奥様が勘付いて、

「またそんな人様に笑われるようなことをして!」  

 と怒られた、という話が面白かった。確かにあの写真集見たら、そう言いたくなるわ。
(ちなみにこんな表紙 → http://i-debut.org/opinion/m_disp.asp?code=1548

 三島の市ヶ谷駐屯地での自決についても、かなり時間を割いて話していました。
自決の一週間ほど前、美輪様の舞台の楽屋を訪れた三島が、真っ白なスーツに
ピカピカのエナメル靴で正装し、300本の深紅の薔薇の花束を、

「これから先の舞台に、君に贈る全ての分の花束だ」

と言って渡した、という逸話は、何度聞いても胸にぐっとくる。

 彼の自決については、当時のマスコミでは、馬鹿げた凶行、理解不能、といった
見解が多かったようですが、美輪様の、三島が死を自ら選んだ心境についての考察が、
先日読んだ、澁澤龍彦の三島由紀夫論と、大変酷似していて、文面を追うだけでは、
少し理解できなかった部分が、ストレートに納得できて、成る程、と思いました。


 人が自らの生き方を、能動的に決めることは、とても難しい。
人は、この世に生を受けることも、自らの意志では選べない。

 由緒正しい良家に生まれ、祖母や両親の決めるままに、エリートとしての道を歩んで
いた三島は、そんな自分の受動的な青春時代を、恥ずかしく感じていたらしい。

 後年、周囲に笑われようが眉を顰められようが、自らが着たいものを着て、徹底した
管理によって、自己の肉体を改造し、映画や舞台に出演したのも、人に決められた
のではない、自らの意志によって選び獲得した、「自由」を求めていたから。

 彼が素晴らしい作品を生み出したのも、もしかしたら、本来は自在に操ることが
できない、時間や運命といった概念を支配し、自分の精神をその足枷から解放した
かったからかもしれない。

 そして彼は、死ですら、受動的であることを拒み、自らの意志で迎えたかった。

 澁澤龍彦も著書の中で述べていましたが、盾の会での活動も、駐屯地を占拠しての
自決も、表面的な政治的思想は、大して重要ではないのだと思います。
本質は、三島本人が、自らの意志で選択し行動することにある。

 逃れられない刻の流れの中で、せっかく自由意志によって獲得した、鍛え上げられた
肉体は、次第に老い衰えていく。

 自らが作り上げた肉体を、自決によって、自らの手で時間の呪縛から解放する。
つまり、獲得した「自由」を完全な形のまま、自らの手で終わらせること。

 完璧主義の三島の美学が、その死には結集しているのです。


 三島も美輪様も、あの思想や生き方の全てが正しいと、盲目的に信じて崇拝する
必要はないですが、ああいった、真の自由を求めて、日々戦い、自分の目で真理を
追究する姿勢は、私の理想です。


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まめ。 [HOMEPAGE]