思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2001年01月27日(土) 競争と共生

 グローバル・スタンダードということが言われて久しい。「グローバル」とは実質的には「アメリカ」のことである。規制緩和とかいろいろなことが言われているが、要するに「競争原理」の導入であり、「自助努力」「自己責任」ということである。最初は純粋に経済の話であったが、非常にわかりやすく、いい考え方のように思われたため、これが教育をはじめ社会の様々な分野で声高に叫ばれ、そのためのシステムが構築されるようになった。そして今や年金にまでこの原理が取り入れられようとしている。確定拠出型年金、所謂日本版401Kというやつだ(この制度も、元々はアメリカのものだ)。詳しい解説は僕もできないが、早い話が、金融商品を使って自分が受け取る年金のための掛け金を運用し、その結果によって受給額に差が出るというものだ。うまくすれば掛け金よりも増えるが、運用に失敗すれば当然もらえる額は減る。この仕組みに対する関心が高いらしいが、バブル時の財テクで失敗した教訓を日本人は何も学んでいないようである。
 こういうものが出てくる背景には、現在の年金制度の将来に対する不安がある。それはおそらく正しい。このまま高齢化が進行すれば、近い将来現行の制度は破綻し、下手をすれば何も支給されないという事態になることは目に見えている。同じリスクを抱えるならば、自分の才覚によってはそのリスクを回避できる仕組みにした方がよい。そう考える人達がいて、方やそれをネタに商売(金儲け)をしようとする人達がでてくるのは自然の成り行きかもしれない。しかし、ここにはもはや「社会保障」という思想はない。これは紛れもなく、「自助努力」であり、「自己責任」による「競争」なのである。金儲けの才能のある人は豊かな老後を手にし、そうでない人は貧しく不安を抱えたまま老後を送る。この不平等は全て個人の責任で、社会(国)は関知しませんよ、ということなのだ。何ともジコチューなシステムではないか。
 そもそも社会保障とは、「みんなで助け合う」=「共生」という考え方である。そうやって社会を維持していこうという人類の歴史の中で生み出された知恵なのだ。確かに「競争」によって弱い者が淘汰され、強い者が勝ち残っていく社会的ダーウィニズムのシステムは、一見すると公正で公平であり、社会(国)の活性化につながりそうにも思える。だが、これは社会以前の状態、すなわち著名な社会学者の言葉を借りれば「万人の万人に対する戦争状態」に他ならない。結局はほんの一握りの勝者の他は全滅することになる。言うまでもなく、それはその社会の衰退を招くし、個人の立場からしても、より大きなリスクを背負うことになるのだ。となれば、より確実に生き残るためには、一人一人が相手を倒しながら力を付けることに汲々とするよりも、お互いに支え合う方が誰にとってもよいことになるのではないか。これは理想主義でも何でもない。
 北欧各国は社会保障制度が充実していることで有名だ。これは非常に高い消費税等の税金で維持されている。まさに「みんなで助け合う」=「共生」のシステムだ。国民の負担は大きいが、そのかわり子供の教育から介護・看護まで公的なケアが安心して受けられる。当然老後の不安も、我が国に比べて格段に小さい。だからかの国々の貯蓄率はきわめて低いそうである。どちらが国民一人一人にとって豊かで幸福な社会かは言うまでもあるまい。
 生物学でもダーウィニズムには根強い批判がある。自然淘汰の結果、環境に適応した個体だけが生き残っていくというシステムでは、環境が変化したときにその種は滅びるしかなくなるからだ。多様性を維持することが、結果的に種全体を永続させることになる。「競争」による敗者にも存在価値があるということだ。「競争原理」が支配する社会では確実に敗者になるであろう僕としては、その説の正しさを信じたい。


hajime |MAILHomePage

My追加