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■ 20万人の顔のこと。
夏休みという時間はひかりかがやいて特別だったけれど、 8月6日はいつも登校日だった。 「ピカドン」の日だからだ。
戦争教育が異様に熱心な小学校って、じつはたくさん あるのではないかと、いま思う。
わたしが通った二つ目の小学校〜三年生から六年生の途中まで〜も、 そのひとつだったのではないかと思う。 いま考えると、ある意味そら恐ろしい。
学年で演劇や出し物をする学習発表会でも、合唱コンクールでも、 それからもちろん修学旅行でも、「戦争」をテーマにしていた。 (劇や歌はいちぶだけだけれど、それでも音楽の時間でうたう 歌たちも。いまでもおぼえている。) 太平洋戦争であり、ヒロシマであり、ナガサキだった。 子どものこころに、いったいどんなものを植えることになったのだろう。
20万人の顔というプロジェクトは、最近でも行われているらしいけど、 わたしが小学校にいたとき、学校をあげてそのプロジェクトに 取り組んでいたことを鮮明に覚えている。 新聞から、顔という顔の写真を切り抜き、壁や柱や天井に貼り付け 20万人という数の大きさを実感させるというものだ。 その一瞬の原爆で亡くなった人の数。今年も数が増えている。
世界中がこのことに嘆き悲しんで平和を誓っているのだと信じていた。
ところが、六年生のある日、わたしはアメリカの小学校に転校。 海を渡ると価値観と教育がまったく違っていることを知る。 教科書で大きく扱われているのは、ヒロシマよりもナガサキよりも パールハーバーなのだ。
いまでも、広島を訪ねると必ず平和公園で手を合わせる。 でも、あのような小学校の教育の仕方が良いのかどうかというと、 大きな疑問がのこる。 わたしたちが小さな手でつなげたあの千羽鶴は、果たして 太平洋を越えたのだろうか。
戦争の恐ろしさを伝えるあのやり方は、果たしてよかったのだろうか。
2003年08月07日(木)
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