ひぽこんコラム

2004年06月05日(土)

 あの九州の犯人のオンナノコ、ここんとこすげええ荒れてたみたいっすねぇ。クラスの男子にナイフつきつけるは、授業中わざと居眠りするは、みたいな。でも担任の教師も親もなんとも感じてなかったらしい。おそらくその度にきっと「ダメですよ。危ないから。ナイフはそう言う風に使うものじゃない」とかなんとか言っていたのでしょう。
 しかしぃ。子供が、もしくは子供の心のままの大人が荒れてるときって、とってもとっても悲しくてしょうもないときだろうに。寂しいなんてのは通り過ぎて悲しくて悲しくて虚しくて虚しくていつ死んでもよくって、ただ生きてる感覚を確かめるために荒れるのだろうに。
 それなのに。感受性おニブちんの教師とか、大人は、そういう子や人相手に「ダメですよ〜。こうしなさい〜」などと教訓を垂れたりする。ありがた〜い人生の「あり方」を説いたりする。正しいことを切々と語る。
 あちゃ〜〜〜。それじゃ逆効果だっての。そいつらのしてることは「私は心配してあげてるの。私はあなたを導いてあげるの。だって私は正しくてあなたはダメだから」と言ってるのと同じ。ちゅ〜か。そいつらの潜在意識は間違い無くソレ。自己満足のための発言、行動。いやらしい。「心配してるいい人な私」に酔ってるだけ。
 そしてそんなこと言われたら、荒れる心は打ちのめされ、もう自暴自棄になるだけになって誰かや自分を傷つけるしかなくなる。先にあるのは、ただ「死」のみ。
 だからそうじゃないのだよ。そういう荒れてるときって、ただ大丈夫って言って欲しいんだよね。でも「大丈夫だぁ。ガシッ」なんていきなり抱きしめられたらグエエだ。(そしてそういう愚かな間違いを正しい人々はよくする)そうじゃなくて、指1本くらいニギニギしてもらって「大丈夫だってば」って言ってもらいたい。それだけなんだよね〜〜。あああぁ。
 でもなぁ。分らないんだよね。おニブちんには。おニブちんは、モノの見方が1コだけだから。正しいと自分が信じる、それだけだから。それ以外の考え方はあり得ないから。そのくせ、おニブちんは己がかなり人の心が分るカウンセラーみたいな気分だから。
 …って。なんか。和田、思いきりイヤな野郎発言っすね。「私だけは分ってるの。ほかの人はみんな鈍感なのよ」=ソフィア・コッポラみたいなぁ〜〜。グハハハハハ。ソフィアじゃけんのぉ〜。ソフィアじゃ〜〜〜。(と、その名前に爆笑する)
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