ニムの花
ニムのひとりごと*ニムの落し物*ニムの恋

2005年03月25日(金) お忙しいところ恐れ入ります。




毎日バイトで電話をかけてたら自分の携帯で電話するときもコール数を数える癖がついてしまった。何かへのカウントアップ。



「どこか遠くへ消えてしまいたい」なんて思ってはいるものの、そんなの非現実的で、出来たとしてもまた、そこで悩むのがオチなんだろう。「どーせ・・・」が癖になっている最近、何かの良い兆候なのか、サクサクといつの間にか願っていたことが現実になっている。確かにそれなりに努力と我慢はしたのだけれど、一気に実現すると恐怖心を抱いてしまうのが、過度の自信のなさからくるもの。この前の情熱大陸で角田光代がピックアップされていたのだけれど、彼女も母親に褒められたことのない環境から「過度の自信のなさ」を背負っていた。すごく共感できた。けれど彼女はそれを「自分の良さ」に感じ取れていることに羨ましく思った。やはり大きな成功は人に少しづつでも、着実に自信を与えるのだろうか。私は本当に自分に自信がない。いくら他人に褒められても怯えてしまう。というより、恥ずかしくなってしまうのだ。褒められ慣れていないから。「自信のなさ」が大きな壁となって、何度となく前に進めなくなったこともある。

自信に溢れている人間を見ていると、嫉妬する反面、とても羨ましい。自分もこうなりたい、と思うが、ここまで生きてきて埋められた記憶や習慣、自分の観念を簡単に変えることは、もはや無理に近い。もう、この自信のなさは「無意識」という硬い殻の中に閉じこめられてしまい、茹でられた卵状態であるため、もう生の卵には戻ることはできないのだ。いかにそのゆで卵を調理するかがこれからの私の腕の見せ所なのかもしれない。サラダにしようか。それとも味付け卵にしてラーメンの上にでも乗っかってやろうか。そんな人生プランもありなのかも。


なんだか偉そうな言葉が口からポンポンでるけど、私はそんなに悟った人間だったっけ?もうちょっと謙虚に生きてみてもいいんじゃないか?私の言葉はどういう風に受け止められて、その相手にどんな影響を与えてきたのだろうか。無責任な言葉と無意味な言葉。何も残さないのかもしれないけれど、受け止める側にしたら大きな意味を持つこともある。要するに捉え方次第。有意義な時間と無二の友達。これで人生の半分ほどは埋められる。すべてをひっくるめて私が存在する。楽しいことも苦しいことも、「その瞬間」だけのもの。天国か地獄か、やっぱり捉え方次第。



いっちょでっかいことやってみたいね。
そろそろ準備始めましょうか?











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