2005年04月02日(土) |
そこには愛があるのかい? |
あんちゃん。それはまだ私にはわからないよ。
すごく自分はつまらない人間だと思う。でもそれはそれで自分らしく、たとえどんなに批判されても、このスタンスは変わらないこともわかっている。そんな風に考えること事態がつまらなくて、順応性のない人間っぽのかも。
情緒不安定までいかないけれど、やっぱりどこか足りない部品とかあって、うまく作動しない私の頭は、いつでも堂々巡りをして落ち込ませる。落ち込むくらいなら放棄したいくらいなのに、バカなのかえらく真面目なのか、落ち込むときもとことん正しく落ち込む。けれど、その瞬間に考えていることは全くもってどうでもいいことだったり、悩み以外のことだったりする。それはきっと逃避の始まりでもあり、自分勝手の真髄なのかもしれない。自分が悩んでるくせに自分が真剣に悩んであげないで、誰が悩むんだっつーの!
そこには愛がまだ足りない。自分への愛。
私の頭の中に住んで離れない「キレイな思い出」という名の微生物。気を抜いた瞬間、脳みそに穴をほじくって「思い出」の汚い部分とか事実を食べてしまう。そうすることでより一層美しい思い出へと化していく。そんな微生物と暮らし始めてもう長い。99ある負の部分を1の正のせいで容認してしまう自分の性格に嫌気がさすときもある。けれどそれも愛なんじゃないかと最近思うようになった。けれど、どうしても自分だけは愛してあげられない。99の負にも勝る1の正が私にはないからだ。けれど、1の正があることだけで私は救われる。でなければ死んでやる。なんて簡単に言ってみるものの、今はそんなにし「死」に対して興味はない。昔は「死」を恐れて、眠れない夜を過ごした時もあった。今の私が恐れているものは「死」ではなく「愛」だ。不確かで、抽象的で、見えなくて、計り知れない。愛。重かったり、軽かったり、人を狂わせることを容易くさせる「愛」。
そこには愛があるのかもしれない。けれど見ないフリを続けている。
音楽になってみんなの耳に入って鼓膜を揺すぶり、脳への刺激となってドーパミンを分泌させるくらいの存在でありたい。そして口ずさまれて、あなたの記憶の一部へと。
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