一昨夜は天童荒太の「悼む人」を読んでいた。 先々週末から読み始めたものの、先週は行事の準備で中断、 一昨夜のの前日からまた続きを読み始めたのだった。
一昨夜は、「悼む人」である坂築静人が、 なぜ人々を悼む行脚を続けるようになったのか(P162〜183)、 また、人々から仏様と慕われていた甲水朔也が、 自分を殺してくれるに相応しい妻を求め、 断固として妻に殺されることを願った心の内(P241〜249)が 語られていた。
昨日の朝も、起きてからしばらくそのことを考えていた、、、ところへ、 葬儀の連絡を受けたのだった。
こういう時、真っ先に気になるのは、仕事を休んだ場合の、 さまざまな影響であり、そもそも休める状況かどうかである。 先週だったらこの時点でほとんどパニクっていたに違いない。 幸い、先週から3年生は半日授業になっているし、 昨日の私の授業はひとつしかないし、プリントが用意してあったし、 大イヴェントのコンテストは日曜日に終わっていたし、、、 たまたま昨日ときょうは、休みやすい日にあたっていた。 午後からちょっと美術館に行ってみようかな、とさえ思っていた。
去年の葬儀も、一昨年の葬儀も、今回ほどじゃないにしても やはり、それほど困らないところにぽこっと入り込んだ覚えがある。
まあ、それも考えようで、逆に考えれば、忙殺の波がやっと少し引いて、 のんびりと先の仕事まで片づけられると思ったところに、 そうはさせないとばかりにこの事件が起こったとも言える。 よくあるんだな、このタイミング。。
いいタイミングだと喜ぶか、悪いタイミングと悲観するかは、 たいていは解釈の問題だ。 昨日は、よかったな、このタイミングで、、の思いが強かったが、 きょうの午後仕事に出たら、仕事がたまってしまっていて、、(`ε´)
ちなみに、2軒隣のご主人は、一昨年会長、去年副会長、 通夜も葬儀も律儀にしっかり働いていたが、 今回は、仕事も休めないし、早めに帰ることもぜんぜんできない、と 通夜も葬儀も出られないということだった。 詳しくは聞かなかったが、たまたま忙しい時期に当たったのか、 あるいは、最近の社会経済状況の中、 休んだ者から順にリストラの対象になるのかもしれない。 もしも彼の町内会長の年が一昨年でなく今年だったとしたら、、??
せっかく、昨夜から今朝にかけて、「悼む人」の心情に触れて、 それを噛みしめていたのに、きょうの仕事は事務的な意識が強く働き、 人の死を悼むとか、人の冥福を祈るとか、 そんな心情とはかけ離れたような心情で過ごしてしまったのだった。
要するにこれは、タイミングがよかったと言うべきか、 タイミングが悪かったと言うべきか、、??
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