TENSEI塵語

2009年02月16日(月) 「悼む人」の「悼み」

読み終えても、2〜3日は次の本を取る気にならず、
反芻したり、あちこち読み返してみたり、、、
離れられないことがちょいちょいある。
今回もそんな感じ。。


静人の「悼ませていただきます」は、弔うのでもなく、
供養するのでもなく、冥福を祈るのでもない。
「亡くなった人を、ほかの人とは代えられない
 唯一の存在として覚えておきたいんです」

そのために、彼がその見ず知らずの故人について知ろうとすることは、
「その人は、誰を愛したか。誰に愛されたか。
 どんなことで人に感謝されたことがあったか」
どんな死に方をしたかとか、誰に殺されたかとかいう経緯は
彼の「悼み」にとって関係がない。
殺した加害者を憎み、当の故人のことを忘れてしまっては意味がない。
亡くなった人物の肯定的な面だけを取り上げて覚えておくこと。
それがこじつけや誤解になってしまってもよい。
人間関係はもともと思い込みの積み重ねかもしれないのだから、
こじつけや誤解を恐れず、その人を覚えておくことに重きを置く。。




静人が3歳のとき、祖母が亡くなった。
亡くなる2日前、家族で面会に行ったとき、
「ばあば、なに、ほしい?」の静人の問いに、
祖母は紙に「おぼえてて」と書いた。

静人が小学校3年生のとき、祖父が海で亡くなった。
教え子を空襲で亡くした元教員の自殺という見方もできた。
海水浴客の集まる海岸で祖父の亡くなった海を眺めながら、
「誰も知らないんだね、、」と静人はつぶやいた。
祖父の死にショックを受けて、熱まで出して寝込んだ静人に、
母は亡くなった肉親の話をして、
「彼らのことを忘れずに生きればいいのよ」と抱きしめた。
静人は自分の胸にふれて言った。
「みんなのこと、、、ここに入れておく」

それから、普通の子どもと同じように成長し、
大学卒業後、医療機器メーカーに就職した。
その営業の一環として、病院内でのボランティア活動があり、
外来患者の案内をしたり、入院患者の相手をしたり。。
小児病棟に関わるようになり、多くの子どもの死に直面した。
ある時、亡くなった子どもたちのことを覚えていない自分に
ショックを受けた。。。

そこに親友の死のショックが重なった。
通夜・葬式はもちろんのこと、決まりの供養ごとに参列したが、
1年目の命日の祭儀のとき、仕事でその時間を忘れた。。。


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