いつだったか、父の容態が悪くなって、ケアセンターから病院に戻り、 かなり持ち直したのだが、このところまたかなり悪いというので、 久しぶりに夕方様子を見に行った。
肺炎は嚥下ミスで、肺の方に入るべきでないものが入ったためらしい。 そこに、若いころからの持病の喘息が重なった。 この喘息は、私たちが子どものころからたびたび父の生命を脅かした。 症状がひどくなると、もう、次の一息の後には息絶えてしまうのでは、、 と思わされたものだ。 そんな危機を、10回以上もくぐり抜けて生きて来たのだった。
でも本当にかわいそうだと思うのは、 警察官を定年退職後、自動車学校の副校長として仕事を続け、 (定年退職してから働くことない! って言ったんだけども、、) それも退職して、優雅な老後を送る時期になって、 何年も経たないうちに呆けてしまったことだ。 取り立てて情熱を傾けるほどの趣味も持たなかったせいか、 いとも簡単に呆けてしまった。
やっと自由で気楽な生活を手に入れたのに、 人間らしい精神が損なわれて、喜びを充分に味わえない、、、
今、喘息と肺炎で苦しい息を繰り返している父を見ながら、 父にはこの苦しさがあるだけで、 自分が今どうなってるのかもよくわかってないんだろうな、、と思うと ほんとに哀れでしょうがなかった。
看護師がやってきて、喘息緩和用の吸入器(らしい)をセットして、 その管を引き受けて父の口元にずっとあてがってやりながら、 そして、だんだんと症状が落ち着いていく様子を見ながら、 どんな風に死なせてやるのがいいのだろうとか、 どんな風に(自分が)死ねたらいいのだろうとか、、、 いろいろなことを、複雑な思いで考えてしまった。
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