TENSEI塵語

2009年03月29日(日) 初体験の1日を振り返る

今朝、7時過ぎに電話が鳴って、妹から病院に呼ばれた。
昨夜眠ったのが遅く、熟睡のさなかだったので、朦朧としていた。
なかなかすっきり目覚めない体と意識を何とか回復させて、
8時過ぎに病院に着いた。

父は、私が着くちょっと前から目を閉じてしまったそうだ。
最近見に来た時のようなゼーゼーした息の音は聞こえない。
何の機械かよくわからないが、
モニターの数字が30台から50台を行ったり来たりしている。
その数字が20台に落ちてからが早かった。

今までの習慣で、父はきっとまた持ち直すに違いない、と
そういう意識が安易に心の中に住みついてしまっていたので、
モニターの数字が0になってしまうなんて思いもよらなかったし、
聴診器を当てていた医者から宣告を聞いたときも、信じられなかった。
それが8時20分。


母と妹が葬儀屋への連絡と座敷の用意のために帰宅し、
私が、病院との連絡と葬儀屋を待つために病院に残ることになった。

9時ごろに遺体の処置が終わったと看護士が言うので、
父と遺体と一緒に病室で待った。
葬儀屋が何時に来るかの連絡を待っているのに、葬儀屋が先に着いた。
家に電話すると、片づけがたいへんなのであと30分待って、と言う。
葬儀屋にも待ってもらって、結局10時過ぎに搬出した。

我が家の座敷に寝かせて、ドライアイスや枕飾りをセットしてもらい、
ようやく我が家の座敷に静かに横たわった父の傍に、
母がしばらく小さい体を丸くして座っていた。
母は、今年に入ってから家に連れて帰りたがっていた。
生きてるうちは結局連れて帰ることはできなかったけれど、
やっとうちで寝かせてやれた、という思いもあったに違いない。

葬儀屋と具体的な打ち合わせ(つまり商談)に入ってからが長かった。
実に順序だった丁寧な説明には感心するばかりだが、
遺族にとっては、考えること選ぶことが多すぎる。
弔問客の数ひとつ取ってみても、見当がつかないので
考える気にもならないのに、順序立てて見当つけなきゃいけない。

きょうの我が家の場合は、ある程度覚悟できていたことだったけど、
急病とか事故とか災厄とか、突然死に遭った人の家族などは、
いったいどんなたいへんな思いなのだろう、、とつくづく思った。

その葬儀屋との打ち合わせが終わって時計を見たら1時半。。
それから軽い昼食をとりながら、叔父も交えての相談。
そのうち、リフォームで親しくなった職人がやって来た。
母は、とにかくうちで納棺して出棺したいという気持ちで、
そのための障害になる座敷の外の竹を全部伐ってしまおうと、
朝、葬儀屋に電話した後でこの職人に依頼したようである。
(座敷の縁側の外に一列並んでいただけの竹なのだが)

3時過ぎにいったん帰宅して、、、
家では息子の礼服がまだないことに気づいて、私を待っていたが、
その買い物の付き添いは妻に行ってもらった。


6時に再び妻も連れて行き、6時半から枕経。

6時に着いたころには、喪主になる兄も勤務が終わって来ていて、
親戚から頼まれた供花の割り当てやら、親族の出席のまとめやらに
取り組んでいた。
8時過ぎまで兄の相談にのって、帰ってきた。


明日の職場は新年度の体制を決めるための各会議があって、
本当は教科会と図書部会は仕切らなきゃいけなかったのだが、
先週末に教科の授業配当案を作って次期教科主任に渡してあるし、
図書部会の方も要項を作って置いてあるので、
こういうわけだから明日はよろしく、と電話して任せてしまった。
こういう場合に備えたわけではなかったのだけれど、
木曜と金曜にそれだけはやっておいてよかった。


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